世界で初めて恐竜の化石が発掘されたのは1822年のこと。
爬虫類のイグアナに似た巨大な歯と角のような物の化石が発見され、イグアノドンと名づけられました。
ただ、この段階では全体の骨格は発見されていなかったため、イグアナやワニのように
「四本足で地面を這う、角のある動物」
だと想像されていたのです。

ところがそれから50年ほどあとにイグアノドンの化石が次々に発見されました。
研究の結果、角だと思っていたものは実は前足の親指であり、前足は後足より短いこともわかってきました。
そのため、
「イグアノドンは二足歩行をし、尻尾を引きずって歩いていた」
と考えられるようになり、図鑑にのっているイラストも「イグアナのような動物」から「ゴジラのような姿」へと大幅に変更になったのです。

さらに100年ほどあとに発見されたデイノニクスという別の恐竜は、尻尾を高く上げ、すばやく動き回って狩りをしていたことがわかりました。
これにより、イグアノドンも
「尻尾を上げて四本足で歩行する姿」にふたたび書き換えられることになりました。

恐竜は現代に生き残っていないため、化石のような限られた情報からその姿を推測するしかありません。
ですから、その情報が少ないほど真実とは違う結論にたどり着いてしまう可能性があり、情報が増えればより正確な真実に近づいていくことができるのです。
そういう意味では、皆さんが学習で得ているさまざまな知識や情報も、真実を知るために必要な大切なものだといえるのではないでしょうか。

「知りたいと思うこと」は、人間が持つ本質的な欲求です。多くのことを学び、吸収して、皆さんの「世界」をドンドン広げていきましょう!

※(余談)最新の研究では、恐竜の一部には羽毛が生えており、鳥類の祖先であると考える学説が主流のようですね。

みなさんは何かを身につけたい、または上達したいと思ったときに何をしますか?

「そんなの練習に決まってるじゃん!」って思った人も多いかもしれません。
練習することはもちろん大事ですが、正しい「型」を身につけることが上達への近道です。
「型」という言葉は日本の伝統芸能でよく使われる言葉で、初心者が身につける「フォーム」のようなものです。
歌舞伎の世界の世界では幼少期のころから「型」を覚えることで徹底的に基礎を叩き込みます。
スポーツでもまずは正しいフォームを覚えるように指導されますね。
これを覚えずに自己流のやり方で練習を続けてもなかなか上達しないばかりか、けがのもとになったりもします。

これは勉強でも当てはまります。では勉強でいう「型」とは何でしょうか?
ノートの作り方や予習、復習のしかた、丸つけ、解き直しのしかたなどです。
これらが正しく身についていないと勉強の効果も上がりません。
勉強を頑張っている割にはなかなか成績が上がらないという人は一度自分の勉強のしかたを見直してみるといいですね。

正しい「型」を身につけて成果に結びつけていきましょう。

みなさんは、新しいものに拒否反応はありますか?
先生は、人一倍あります。
先日もたまたまTVをつけたら某有名アニメの主人公が変わっていて違和感を覚えました。
ほかにも自動車の新型・声優さんの変更などなど、たくさん感じます。
これらは、単に好みの問題な気もします。

他にも、ガラケーからスマホへの変更。
新しいPCのセッティングなどなど。
先生は、とにかく遅い。
不便さを感じないとちょっと放置してしまう傾向がありますね。
これは、新しいことへの対応が面倒くさいとか、特に現状に不便さを感じていないからだと思います。
と、列挙すると先生の汚点がどんどん増えてしまうので、このぐらいにして本題に入りましょう。

みなさんは、これから夏休みに入っていくと思います。
夏休みはみなさんにとって普段よりは自由度が高くなるのではないでしょうか。
そんな時だからこそ、今の自分から少し違う自分に変わるチャレンジをしませんか?
例えば、「勉強の習慣がない」「苦手をそのままにしている」などを克服しませんか?
これは、なかなか難しいこともわかります。
どうしても今の状況のほうが楽ですからね。
先生がPCを買ったのに箱から出さず放置していると同じです。

では、どのようにすればいいのか。
先生は、あることを決めました。
「やらなければならないこと(やらなくてもよいが)」を早い時間(朝)に「やりやすいところから始める」というタスク(計画)を前日に作っています。
みなさんに例えると、「数学(算数)の〇〇の問題をとけるようにする。
」これがやらなければならないこと、「その単元の教科書や参考書を机の上に開く」これがやるべきタスクです。
これを朝やる。
そうすることで、一日の始まりが達成からスタートです。

そのよい流れに乗って学習をスタートすればきっと新しい自分とも出会えるのではないでしょうか。
ぜひ、簡単なハードルを用意してこの夏すばらしい成果をあげていきましょう!!

進化、という言葉を知っていますか?
ざっくりいうと、生物が長い期間の中で、特徴を手に入れていくことです。
今や兎とくれば耳が長いのが一般的ですが、耳の短い兎が生き残りやすい環境というのもあります。
寒冷地においては、耳が大きく熱を奪われやすい兎はその分たくさん餌を食べる必要があるのですが、餌を探すということは外敵に見つかる危険を冒すということです。
その危険を減らすことができた耳の短い兎は生き残れたわけですね。

その極限にいるのが、『ナマケモノ』です。
極限まで筋肉を落として基礎代謝を抑え、哺乳類なのに体温調節する機能を捨てることで、一日の食事は葉っぱ8枚(10g)で賄えます。
しがみ付いている木の葉っぱや、自分の体に生えた苔を食べることで、ほぼ動かずに過ごすことができ、外敵に見つかるリスクを減らすことで生き残ってきたのです。
伊達に食物連鎖を生き残ってきたわけではないのです。

さて、では人間はどうやって生き残ってきたのかわかりますか?
仮にも食物連鎖を生き残り、今や地球で怖いものなしに振る舞う人間ですが、スタートは他の動物と同じでした。
それが社会を持つことで、一人では困難なことを数でカバーし、一人が知りえた知識を全体化し、文字に残して子どもたちに伝え、文明を発展させたからです。
特に火を使いこなす知識を広めたのは大きいですね。

つまり、前の時代に生きてきた人が残した知識を得て、子どもに伝えていくことは人類が生き残り続けるための生存戦略です。
だからこそ、君たちがしている勉強には正義があるのです。
人類を守るため、正義のために勉強を頑張りましょう!

中学校の卒業アルバムの寄せ書きに当時の担任が書いてくださった言葉。
先日亡くなった音楽家の坂本龍一さんが好んだことわざとして紹介されている記事を見てふとそのことを思い出しましたが、その意味が「人の一生など短いが、たとえその作者が亡くなった後も作品は末永く遺るということ(だから何か遺せるものを作って生涯を終えなさい)」だと私はずっと思い込んでいました。

この言葉は古代ギリシアの医師ヒポクラテスのもので、医師を志す若い医学生たちへの激励の言葉として「医術を極めるためには長い年月を要するから、一生怠らずに学び続けなければならない」という意味だったそうです。
「転石苔むさず」や「情けは人のためならず」などと同じように、もともとの意味から解釈が変わっていったとのこと。
(ちなみに”art”は芸術だけでなく、人が身につけた技能全般を指すこともあります。)

人の一生には限りがあり、いつか終わりが来る。
そう思うと、今この瞬間を大切にしたいと強く思います。
しかし、かといってまだまだ人生は長いのだと思うと、今できることでもちょっと大変だと後回しにしたくなるものです。

世の中で大きな事を成しえている人というのは、おそらくそのタイムリミットや命など時間の有限をものすごく意識できているから、今すぐやる、計画的にやっているのです。
海を渡り活躍している大谷翔平選手はその最たる例で、望んだ成功の姿からの逆算で子どもの頃から「今すべきこと」を考えて実行しているからこそ彼の今があります。

きっと講習会や合宿が愉しいのも、数日しかなくて、時間に限りがあって大変だから必死になり、必死になるからやりとげた時に充実感がある、からではないでしょうか。
有限だと思うからこそ「今」を充実できる。
結果としてあとに遺るものも大きい。

さて、今年の夏をどうするか。
夏休みにやりたいこと、やるべきこと、または9月にあるべき自分の姿を書き出してみて、そして与えられた時間を考える。
そうすると今すぐやるべきこと、タイムリミットが見えてくるでしょう。
もしかするとこの夏の過ごし方がこれから続く君の人生の基礎となるかもしれません。
けっして大げさなことを言っているわけではありません。
だって芸術は長く、人生は短いのですから。

ちなみにヒポクラテスは他にもいくつもの名言を遺していますが、その中で現代に生きる私たちへの警鐘ともいえる言葉を最後に記しておきます。

「人は自然から遠ざかるほど病気になる」

勉強をしているとどうしてもついて回るものが点数、成績、偏差値、順位…。
冷静に考えると本当に大切なのはそんなことではない。
みんなわかっているけれど、頑張っているかどうかの判断基準に使いがちだから、気にしないわけにはいかない。
テストで悪い点を取ってしまったり、偏差値が低かったりすると落ち込みますね。「自分はダメなのかもしれない…」と。

そんな時、少し考えてほしいのです。
自分がどれくらい勉強ができるかは自分が一番よくわかっています。
クラスの中でどのくらいの順位かを想像してみよう。
1位はあの子で、2位はあいつで…という感じで。
そうすると集団の中で自分の位置が見えてくる。
そうやって考えた順位が、いわゆる「偏差値順」なのです。

そして、一つ自分に質問してみよう。
20年後に、ここにいる全員が再会したら、この偏差値順の通りに幸せになっているかどうか…、やはり順番通りに1位の人が一番お金持ちになっているのか…。

答えは必ずしもそうではありません。
偏差値順というのは、将来の何かを保証する順位ではないのです。
では、「偏差値順」とは何の順?
それは、「今まで勉強を楽しんだ順」と言えるかもしれません。
そして楽しむとは、一生懸命に英単語を覚えたり、自分から進んで勉強した内容をノートにまとめたりすること。
その頑張った結果として、知識が増えたり、解けなかった問題が解けるようになることです。

間違えてはいけません。
偏差値は勉強した時間の長さに比例するわけではありません。
嫌々やったり、面倒だなって思いながらやったり、苦しみながらやっても偏差値は上がりません。
楽しんだ順だから。もちろん成績も同じです。

どうせやるなら、成績も偏差値もぐんぐん上がるやり方でやった方が良い。方法はただ一つ。

「勉強を楽しむ!」

この夏、講習会や合宿を通して勉強を楽しみましょう!

君はこの世に生まれた。最初は自分で動くことすらできなかった。それがいつからかハイハイを覚え、いつの間にか歩けるようになった。
最初は自分でトイレに行くことができず、おむつの中でウ○チをする毎日だった。それが自分でトイレに行けるようになった。

最初は話すこともできなかった。
字を書くことも、箸をもつことも、着替えることも、何もできなかった。
赤ちゃんは、最初のうちは何もできない、か弱い生き物である。
自分では何もできず、周りの人たちに迷惑をかけながら、粘り強く教えてもらいながら、いろいろなことができるようになってきた。

その時から約10年以上が経ち、君は様々なことができるようになった。
多くの人から学び、自分でも努力をしながら、昔ではできないようなことができるようになった。

しかしながら、人生100年時代。
君の長い人生から見ればまだまだ「赤ちゃん」である。
できることよりできないことの方が圧倒的に多い。
できないことがあって当たり前である。
赤ちゃんに対して「自分で歩け。自分でご飯を食べろ。」なんて言うだろうか。
程度の差はあれ、現時点での君は、赤ちゃんとさほど変わりはない。

「できない」ということは、悪ではない。
できないからこそ、まだまだ人に迷惑をかけることもある。
人から学ばなければいけないことも数多くある。
思い通りにならずにイライラしたり、泣き出したりすることもあるだろう。
それは恥ずかしいではない。いつかできるようになる。
それまでに迷惑をかける人に感謝をし、真摯に学び、少しでも「できる」に近づくよう努力をする。

それが成長である。

先生は駅伝が好きで、毎年テレビで駅伝を見ます。
箱根駅伝であれば自分の母校を、都道府県駅伝は石川県を応援します。
駅伝では、何人かの選手で襷(たすき)をつなぐので総合力が順位という結果に出ます。
たとえ1人が失敗したとしても他の選手がその選手の思いも背負ってチームのために一生懸命走る姿を見るのが好きです。

先生は駅伝と人の人生は似ていると思っています。
小学生の自分から中学生の自分へ、そして高校生、大学生、社会人としての自分に人生の襷をつなげていると思います。

駅伝と同様に人生でも失敗する時期はあります。
しかし、それまでの自身の頑張りは必ず次につながっていると思ってください。
そして、自身が失敗したり、悩んだりしたときには、相談できる仲間は必ずいます。
皆さんは、そういった仲間を見つけること、そして今、自分自身がしている日々の努力は、必ず将来の自分自身に襷としてつながると思って、努力を続けていってほしいと思います。

年を重ねたためか、これまで考えも及ばなかったこと(または避けてきたこと)に対応しなければならないことが増えてきたように感じています。
その中で、最近必要に迫られて目を通していたものの中で、特に印象に残っている言葉を紹介します。
それがタイトルにもある「最有効使用の原則」です。
この言葉をインターネットで調べてみると、「不動産(土地)の持つポテンシャルを最も発揮させる使い方」のことで、土地の値段は「最有効使用の原則」を満たしている前提で決まるようです。

よく価値があるとかないとか言われますが、「物事の価値」とは、それを利用する人が、最大限に効果が発揮される使用方法をしていることが前提になっているのです。価値がないと言われているものは、もしかしたら効果が最大限に発揮されない「もったいない」使い方をしているものが多いのかもしれません。

Ⅰ期ゼミも後半に差し掛かり、皆さんも毎週のゼミや課題の取り組みに慣れてきた頃だと思います。
ただ、慣れが出てくると油断が生じることから、「慣れた頃が最も危険だ」とも言われます。

これからゼミの予習は学年中盤から後半の内容になります。
当然、学習難易度も高まります。
初めて学ぶ内容ばかりだからこそ、改めて参考書を活用して知らないことを調べてまとめ、基礎基本を正しく身につけながら今後の理解の大きな手掛かりを作ってほしいものです。
「もったいない」勉強の仕方にならないように。

近年は情報社会の発展がとまりません。
特に情報通信技術の変化はすさまじい勢いで成長しています。
2000年にJ-PHONE(現:ソフトバンク)が初めてカメラ付き携帯電話を発売し、写メ(写真添付メール)のサービスを開始しました。
当時、写メを送られてきても、その写真1枚が画面に表示されるまで数秒かかっていました。
たった1枚の写真なのに数秒かかっていたんですよ。

令和時代のみなさんのデジタルデバイスへの順応性は目を見張るものがあります。
すごいなと感心すると同時に危機感を覚えます。
デジタルデバイスが「あったら便利なもの」から「なくてはならないもの」に変化しているように感じるからです。

もちろん、勉強をする上でデジタルデバイスが有効な場面が増えてきました。授業動画をタブレットで視聴したり、生物の勉強を深めるためにYouTubeをみたりと。

しかし、実際にみなさんの様子を見ているとやや状況は違うようです。
推しのアイドルの関連動画をずっと見てしまったり、友達や友達の友達のインスタ投稿をみたり、オンラインゲームでもりあがったり……あるとき生徒に「インスタ巡回しないといけないの?」と聞いたことがありました。
その生徒は「見なくても全然問題ないけど、見るのが習慣になっているから。たまに面白いのも流れてくるし。」と言っていました。
オンラインゲームをしている生徒は「誘われるからやっている。やり始めると終わるタイミングがない。」と言っていました。

あらためて考えて欲しいのが、目の前にあるタブレットや携帯電話が「自分のための道具になっているのか」ということです。
道具は道具であって、それ以上になりえないはずです。

今、携帯を取り上げられたら一番困ることはなんですか。勉強ができなくなることよりも、ゲームができないことやSNSをチェックできない、動画が見られないということではないですか。

デジタルデトックスという言葉があります。
デジタルデトックスとは、携帯やPC、タブレットなどのデジタル機器使用を控える時間を持つことです。
もし、デトックス期間を無事に過ごせたら、デジタル機器を良い道具として使えているということでしょう。
逆に不安でイライラしてしょうがないということならば、依存している可能性があります。

時間はすべての人に平等に与えられているものです。
勉強をする1時間、友達とおしゃべりをする1時間、YouTubeを見る1時間。すべて同じ1時間です。
自分のため、自分の将来のため有益な時間の過ごし方を今一度立ち止まって考えてみてはどうでしょう。

まずその一歩として、24時間デジタルデトックスに挑戦してみましょう。