みなさんは、世界一身長が高い国はどこにあるか、知っていますか?
アメリカ、カナダ、ロシア・・・いろんな国がイメージされると思います。
実は、その国はヨーロッパにあります。

それは、みなさんもよ~く知っている国、チューリップ・風車で有名な「オランダ」なんです。
オランダ人の男性の平均身長は182cmです。ちなみに、日本人の男性は170cmと、約10cmも差があります。少し驚いてしまいますね。
先生は、「世界一身長が高い国」と聞いて、つい「アメリカかな?」と思ったのですが、そうではありませんでした。多くの人にも「アメリカ=大きい」というイメージがあると思います。確かにアメリカに比べると、日本は小さな国です。広い土地、大きな家、大きいサイズの洋服に靴。平均身長も高く、人口も約2倍。しかも英語は世界共通語。
私たちがアメリカについて見るものの多くは「ビッグサイズ」です。だから、つい、1番はアメリカだとイメージだけで思ってしまったのですね。

英語を勉強することは当たり前のこと、むしろ、英語が話せないと“ダメ”だと言われる時代になってからもう何年もたっています。だからかもしれませんが、つい先日、こんな話を日本在住のある外国人の方から聞きました。

「私が道を聞きたくてコンビニに入ると、70歳くらいの店員さんが一人いました。『○○まで行くにはどうすればいいですか?』と尋ねると、その店員さんは大きな声で『I can’t speak English』と叫びました。私は、日本語で話していたのにです。そして、日本語で答えを聞きたかったのです。でも、その店員さんはそれを繰り返すばかりで答えてはくれませんでした。」

しっかりと相手を見て話を聞けば、外見は外国人でも日本語が話せることがわかったはずですよね。しかし、店員さんは相手の外見だけで判断をして、きちんと話を聞きませんでした。その外国人の方は、とてもがっかりされたそうです。

彼は最後にこうまとめてくれました。

「私の国ハンガリーは、日本よりも小さく、人口も少なく、ヨーロッパの中では身長も低い。でも、自分に、自分の国に誇りを持っています。逆に、日本の人は自分たちがダメだと思い込んでいる人が多いように思います。日本にはすばらしい文化があり、言葉がある。それなのに、アメリカばかりと比較している。だから『英語が話せないとダメ』だと思い、外国人を見ると英語で話さなければと思ってしまう。私の息子は、全く英語が話せないんです。でも、日本に来ると、やっぱり英語で話しかけられてしまいます。もちろん英語が話せることは大切です。でもそれよりも、もっと大切なのは、目の前の相手をよく見て、堂々と自信を持ってコミュニケーションをとることです。」

はっとした瞬間でした。

みなさんはこの話を聞いて、どう思いますか?

君たちは『 努力すれば結果がでる!!』と言われたことがあるだろう。
どうだろうか。努力をした分だけ常に結果がでているだろうか。

先生は、必ずしも努力したからといって結果がでるとは思っていない。
『努力』といっても、その度合いには個人差があり、期間的な違いもあるからだ。
では、結果がでないのならば努力しても無駄なのか。
部活動で試合に負けたからといって、練習していたことが無駄なるのか。
一生懸命考えて解いた問題が正解していなければ、考えた時間は無駄になるのか。
受験で失敗したからといって、挑戦したことが無駄になるのか。

努力をしていくことで何かしら学んだことがあるはずである。
成功して学ぶこともあれば、失敗して学ぶこともある。
むしろ、先生は失敗したほうが学びは大きいとさえ思う。
結果がでないことはあっても努力することが無駄になることは一切ない。

さらに、どんな些細なことであっても無駄な出来事はないだろう。
すべてのものごとには『学び』が隠されていて、どれも君たちを成長させてくれているはずである。
君たちには、誰よりも多くのことを経験し、誰よりも多くの『学び』に気付いて欲しい。
人間は学び、成長する生物。
人生に無駄はないはず。

みんなはよく「授業を受ける」といいます。
授ける、授かる という意味の「授」という言葉、よくみると「てへん+受ける」という組み合わせになっています。

手を使って(意識的に、積極的に) 受け止める姿勢こそが「授業」なのでしょう。
しかしおうおうにして、右側の「受ける」だけが大きい人がいます。

受け身で、ただぼんやりと聞いているだけ。これでは授業ではなく受業になります。
自分で調べたり、問題を解いたりしてから臨む。そうすれば、自ずと目は黒板に集中し、耳は先生の声をききのがしまいとし、手はノートに書き写すのに使われます。

以前、先生が教えた生徒の話です。
中3の男子でしたが、その子のノートを見てみると、英語の問題文も全て書き写し、当然日本語訳もして、それに赤ペンで書きこみがしてありました。公立模擬試験がはじまると問題文全部をノートに写して復習してきていました。それまでのテキスト予習でそうやって授業に臨むというくせがついていたから苦ではなかったそうです。長文や会話文の中の単語や用語や言い回しが、次のテストで問題として出るかもしれないから、ともいっておりました。その子は授業中に鉛筆を放すことはありませんでした。
社会の問題が延々とノートに書かれているのも圧巻でした。そういえば社会の重要用語というのは、あるときは問題で、あるときは答えででますね。

よくお母さんたちも「授業があるから能開に行く」というと安心されます。でも受け身の受業では何時間、何十時間参加していても身になりません。
手偏のほうが大きい「授業」で参加しないと意味がありません。思い当たる人がいたらこのゼミから変えましょう。

付け加えると、きく時も「門+耳」でなく「聴く」でいて欲しいと思います。
耳と目と心が全部がはいっていますから。

 みなさんは「慣れる」という言葉を聞いてどんなイメージを持ちますか。また、みなさんはどんなもの、どんなことに慣れていますか。
 一つ目は、身の回りにある道具や持ち物などに「慣れる」ことが挙げられます。「慣れ親しむ」、「使い慣れる」、「肌慣れ」などという言葉があります。みなさんも「使い慣れた勉強道具」というものがあるはずです。「このシャーペンは手にしっくりする」や「この参考書はどこに何が書いているのかほとんど分かる」という経験のある人もいるはずです。道具や持ち物であれば、「自分のものになる」ということが、「慣れる」という意味になると思います。
 二つ目に、勉強すること、その勉強の内容に「慣れる」ことが挙げられます。「机に向かって集中することが身につく」、「この計算問題だと自然と手が動く」という受験生もたくさんいると思います。また、「慣れ親しんだ問題」を目にすると、安心して解答できます。「もの慣れた分野」、「習熟度別問題」などというような表現もあります。勉強面においては「できるようになる」ということが、「慣れる」という意味になります。
 「慣れる」という意味を英単語1つで表現することはできません。小学生には難しいとは思いますが、英熟語であれば、“be used to”や“be accustomed to”と表現することはできます。また、「習慣」を表わす英単語には、“custom”や“habit”があります。「慣れること」という意味は、英語でも日本語でも一言で表現することが難しいようです。
 表現すること以上に、道具や持ち物、勉強することや問題に、「慣れる」ことはとても難しいことです。「自分のものになる」、「できるようになる」ために、絶対に必要なものは「時間」です。何度も繰り返すこと、たくさんの時間をかけることなしに、「慣れる」ことはありえません。春休みには、次学年の学習の取り組みがスタートします。春休みは、たくさんの「時間」を費やすことができるはずです。その中で1つでも多く、「自分のもの」を見つけて、新学期にそなえていきましょう。

日本を代表するおとぎ話である「桃太郎」は皆さんよく知っていると思います。
実は「桃太郎」伝説は全国にあることを知っていますか?
その中でも香川県高松市に伝わる「桃太郎」のお話をします。
なぜこの話をするかというと、今、日本の考古学を大きく揺るがそうとしているある一人の人物にぶち当たるからです。
高松の「桃太郎」は桃から生まれてはきません。桃太郎は孝霊天皇という天皇の子(稚武彦命(わかたけひこのみこと))として登場します。桃太郎は自分のお姉さんのもとに行くために旅に出ます。その途中の高松できれいな女の人が川で洗濯をするところに出会い、一目ぼれします。そしてその女の人と結婚をして高松で暮らし始めます。
平和に暮らしている桃太郎の村に、海賊(=鬼)がやってきて悪さをします。そこで桃太郎は自分の仲間たちとともに海賊の本拠である女木島(めきじま)に海賊を退治しに出かけ、海賊の大将を倒します。その後鬼に奪われた財宝を持って村に戻ったのですが、海賊の残党が桃太郎に復しゅう戦を挑みに来るのです。それも退治した桃太郎は、奥さんとともに幸せに暮らしたということです(桃太郎が暮らしていたとされている地区は今「鬼無(きなし)」というそうです)。
以上が高松に伝わる桃太郎の伝説なのですが、最初にもいったとおり、この話には日本史の教科書を変えてしまうかもしれないある人物が出てきます。それは桃太郎のお姉さんです。
もしこの人が実在の人物なら、天皇家の系譜をたどると「倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)」という人物になります。この人のお墓は奈良にある箸墓(はしはか)古墳といわれています。
実はこの箸墓古墳、今考古学では「この墓は卑弥呼の墓なのではないか」といわれていて、非常に注目されているのです。実際に弥生時代中期ごろに作られたとされている銅の鏡が多く出土していて、卑弥呼のことが書かれている「魏志倭人伝」の内容によく似ているそうです。とすると、桃太郎は卑弥呼の弟ということになります。
このお話は伝説ですので、正しいかどうかはわかりませんが、どうですか?自分の知っているお話が歴史に深くかかわっているかもしれないということがわかると、面白く感じませんか?
このようにして、自分の知っている事柄をすこし調べてみるだけでも、多くの新しい発見があり、気づきがでてくるのです。そうやって歴史だけでなく、さまざまな学問は深まっていったのです。
特に歴史が苦手だと思っている皆さん。日本の歴史は本当に奥深く面白いのです。ぜひ、苦手という殻を捨てて、歴史に向き合ってみてください。

「勉強って何のためにするのだろう。誰のためにするのだろう。」と考えたことはありますか。
「勉強が好きで好きでたまらない!」という人はいますか。
「わ~い、勉強だ!勉強だ! やったあ!」と感じている人はいますか。

私が知っている限りでは、そのような人はいません。

「勉強はあなたの将来のため。だから我慢してやらなければならないのよ。」と家族の人から言われた記憶はありませんか。
確かにそう言えるかもしれません。
皆さんの中には、今はまだ自分の進みたい方向がはっきりしていない人がいるでしょう。
世の中の職業にどのようなものがあるか、よくわからない人もいるでしょう。
だから、将来のための勉強と言われても、なかなか理解できないかもしれません。

「勉強は何のためにするの」という問いに対して、あえて私は、
「社会にでて、周りの人のため、家族のため、そして自分のために、今は出来る勉強をやるのだよ」と答えたいと思います。

例えば、君たちのお父さんやお母さんのことを考えてみてください。
お父さんやお母さんは、仕事や家事を通じて社会の役に立ったり、皆さんの世話をしたりしています。
何も自分のためだけに仕事をしているわけではないはずです。
仕事を通じて周りの人のためになったり、君たちのために働いたりしているわけです。
そこには愛すべき、幸せになってほしい家族があるからです。
だから一生懸命働けるわけです。

“周りの人のためにする勉強”なら、少しは我慢して取り組めると思いませんか。

 国語を勉強する上で必ず勉強するのが「同音異義語」です。
入試にもよく出題される内容です。例えば「タイショウ」という言葉でも「対照・大正・対象・大将・対称・大笑・・」と様々な意味を持つ語句が存在します。
「大将が大勝し、大笑した。」駄洒落も同音異義語の言葉遊びです。
では、一番多い同音異義語は何でしょう?それは・・・
「コウショウ」という言葉で、なんと48語句もあります。どんな語句があるかは、自分で調べて見てください。

さて、先生が一番大切にしている同音異義語があります。「タイリョク」です。
タイリョクと聞いて、まず頭に浮かぶのは「体力」だと思います。
しかしもう一つ、「耐力」という言葉もあります。普段みんなが行っている勉強にはこの2つの「タイリョク」が必要です。

 まず、「体力」です。体力をつけるためには、運動・スポーツなど様々あります。そして普段の生活でも自然とついていきます。特に、みんなは成長期にあたるので、どんどんついていくでしょう。

 もう一つの「耐力」はどうでしょうか?本来の意味は、材料が耐えうる力のことを指しています。材料が耐える力は人の手によってつけられますが、先生が考える「耐力」は自分自身で耐える力をつけることです。
普段の生活の中で「耐力つけるぞ!」と思う人はほとんどいないと思います。そして、耐力をつけることは中々難しいのです。
 耐力をつけるために必要なことは我慢です。例えば、ずっと机に向かって勉強することも耐力をつけるための大事な一歩です。
 耐力がないと、厳しい環境に置かれたときに我慢ができなくなります。大人になってからつけようとしても、つけるのは大変です。だから、今のうちからつける必要があります。耐力がついたときに、人は成長していくと思います。
 
 「体力はあるけど耐力はないかもしれない。」と思った人は、「自分はタイリョクをつけよう。」と前向きに考えてください。
 
 これから先、様々なことがあると思います。2つの「タイリョク」を兼ね備えて、未来へ進んでいきましょう!

いよいよ受験シーズンの突入です。
入試前に、受験生に向け最後の言葉をかける機会が先生にもありますが、その時に必ず言うことが1つだけあります。

今日ここにみんながいて、受験ができるのは、みんなの周りにいるたくさんの人が、サポートをしてくれたからだよね。そういう人の存在を、決して忘れてほしくないのです。特にお父さんお母さんや兄弟、おじいちゃんおばあちゃん、おうちの人。
一番近くで、みんなのことを心配しいろいろなサポートをしてくれたはず。
ぜひ、今日受験が終わって、家に帰ったら、「ありがとう」とお礼の言葉を言ってほしいと思います。

ありがとうの語源は、形容詞「有り難し(ありがたし)」が「ありがとう」となったといわれています。
「有り難し」は「あること」が「難い(かたい)」という意味で、本来は「めったにない」や「珍しくて貴重だ」という意味です。
鎌倉時代以降に仏教の影響で、仏様の慈悲などで貴重で得がたいものを自分は得ているというところから、宗教的な感謝の気持ちを言うようになり、江戸時代ごろから感謝の意味として一般に使われるようになった言葉だそうです。

受験というのはまさに人生に何度もない「有り難い」経験ですよね。
もっともっといえば、今あなたがここに存在していることも「有り難い」ことなのかもしれません。

合格・不合格という結果ももちろん大切です。
でも、最も大切なことは、受験までにどういう過ごし方をしてきたか。そして受験を通して周りの人に感謝の気持ちを持てたかどうかだろうと先生は考えています。

面と向かってなかなか「ありがとう」とは言いづらいもの。
言いづらかったら、家でお父さん・お母さんの背中に向かって、心の中で「ありがとう」といってもいいのではないでしょうか。

思いは必ずや、通じると思います。

がんばれ!受験生!

あるお百姓さんが、朝早く起きて畑を耕そうとしました。ところがトラクターの燃料が切れていたので、近くのガソリンスタンドへ買いに行きました。途中で、豚にえさをやっていないことを思い出して納屋にえさを取りに行きました。すると、保管しているジャガイモが発芽しているのを発見しました。これはいけないと、ジャガイモの芽を取っているうちに、暖炉の薪がなくなっていたことを思い出し薪小屋に足を運びました。薪を持って母屋に向かっていると、鶏の様子が変なことに気付きました。どうも病気にかかったらしく、応急処置をほどこして、薪を持って母屋にたどり着いた頃には日がとっぷり暮れていました。
 お百姓さんは「ヤレヤレ忙しい1日だった」と思いながら、一番大切な畑を耕すことができなったことに気付いたのは床に入ってからでした。

 1日の時間の使い方は、いろいろなものをトランクに詰めることに似ていると言われます。トランクに荷物を詰めるとき、何気なく詰めていると一番大切なものが入らなかったり、少しの量しか入らない場合がよくあります。そうならないためには、どうしても入れなければならないものを選び出し、順番を決めて詰めていく必要があります。これは1日のやるべきことについてもまったく同じことがあてはまります。

無駄の無い1日を過ごすために
① 1日にやるべきことを全部書き出す。
② 次に、どうしても今日やらなければならない重要なことを選び出す。
③ ②で選んだことを3つにしぼって、順位をつけて実行していく。

さて、君は今日、まず何をするべきか?

2010年が終わり、2011年が始まりました。2011年をどのような年にするのか。目標を立て、気持ちを新たにするのがお正月なのではないでしょうか。お正月には色々な『きまりごと』があります。その『きまりごと』は地域によって様々ですが、今日は先生の家のお正月のルールを紹介したいと思います。今は守っていないこともありますが、子供の頃は絶対に守らなければならないルールでした。

 元旦の朝は必ず午前中に起きなければいけません。そして、俗に言う一張羅(いっちょうら)つまり、持っている服の中で一番立派なものを着ます。その後、家族全員が、床の間に鏡餅(かがみもち)の飾ってある座敷に集合します。床の間の前に置かれたテーブルには、おせち料理が並べられていました。元旦の午前中には刃物(包丁)を使ってはならないルールがありますので、おせち料理は前日に準備されます。もちろん、お雑煮の材料も前日に切って用意してあります。ここからが『お正月』のはじまりです。まずは一家の大黒柱であるお父さんがお正月のあいさつをし、その後、御屠蘇(おとそ)を家族全員が順番に飲んでいきます。御屠蘇とは邪気をはらい寿命を延ばすとされる薬酒で、大中小三種の杯で飲みます。杯につぐときも3回で、飲むときも3口で飲むきまりでした。御屠蘇を飲んだあとは、おせち料理を食べるのですが、必ず全品食べることがルールです。これは、全ての料理に意味があるからです。例えば、「黒豆」はまめまめしく元気に働けるように、「数の子」は子宝と子孫繁栄を祈って、「えび」は背中が曲がるまで長生きすることを願っての料理です。おせち料理を食べた後には、お待ちかねのお年玉が待っていましたが、これはお正月の『きまりごと』ではなかったかもしれません。

 まだまだ、『きまりごと』は続きますが、特に印象に残っているのが「お風呂ルール」です。元旦はお風呂に入ってはいけません。「働かざる者、お風呂に入るべからず。」です。お風呂は2日の朝に入ります。また、2日の日は午前中のうちに「仕事」をしなければなりません。これが『仕事初め』ですね。子どもたちは(先生も含めて)勉強をしていました。ここで始めるからこそ、一年間、しっかりと勉強ができると教えられました。

 『一年の計は元旦にあり』皆さんはどんなお正月を過ごしましたか。お正月から勉強をスタートさせましたか。今からでも、まだ遅くはありません。満足いく1年間となるようにしましょう。