身体を動かしていなくても、算数や数学の問題を前に格闘したあと、「あ~お腹がすいた~」という経験をしたことが皆さんあると思います。受験生なら夜中の勉強の後の夜食が楽しみ♪という人も多いかもしれませんね。

実は「頭を使うとお腹が減る」ということには、ちゃんとした理由があるんです。

皆さんの頭の中にある「脳」は、体重のおよそ2%の重さがあります。たったそれだけの重さにも関わらず、脳で使われるエネルギーは身体全体の20%もあるのです。つまり脳は体の他の部分の10倍のエネルギーを使っているのです。「頭を使うとお腹が減る」のは、気のせいなんかではなく、ホントのことです。

脳で使われるエネルギー源はブドウ糖(グルコース)だけです。ほかの体の細胞のようにいろんな成分を燃料として使うと、燃えカスとして細胞に負担がかかる物質ができてしまう。でも、グルコースを燃焼させると水と二酸化炭素しかできません。ほかのものは一切できません。とってもクリーンなエネルギー減なのです。

なぜ「頭を使うとお腹が減る」のかというと、脳の中にセンサーがあって、このグルコースの濃度を感知しています。頭を使うとグルコースが減っていきます。もしも極端に低下してしまうと、脳の神経細胞はエネルギー不足でどんどん死んでしまい、危険な状態になります。こんなことにならないように、グルコースの濃度がある程度下がってくると、「お腹がへった~」というSOS信号を出すのです。脳を守るためのしくみが働いているんですね。

勉強を頑張って、お腹が空いたと感じたら、それはいっぱい頭を使ったという証拠。よし、今日は腹ペコになるくらい勉強するぞ!というのも面白いかもしれませんね。もちろん、すぐにエネルギー切れになっては困りますから、しっかり食べてから勉強した方がよさそうですよ。

新年度のゼミが始まって1ヶ月半。能開福井本校では、第1回目のゼミで「将来の夢や志望校」など、子どもたちが今、どんな夢・憧れを持っているのかをアンケート調査しました。このアンケートをもとに、親・子・先生による三者面談が5月中も継続して行われています。

小学3・4年生でも、半数近くの会員が自分の夢について書いています。ましてや小学5・6年生や中学生にいたっては、約8割近くの会員が夢の職業(憧れの職業)を書いています。
いろいろある職業の中でも一番人気は…。「医師」のようです。

三者面談で、「なぜ医師になりたいのかな?」という質問を投げかける私。やはり、「困っている人を助けてあげたいから。」という返答が多い中、「ドラマで医師の活躍するドラマがあって、それで憧れて。」という回答もあったりします。実際に医師をされている保護者の方に最近のドラマについてその信憑性(現実の医療現場に近いのか)を尋ねたところ、案外信憑性が高い(医療現場に近い)らしいので驚いています。

さて、高度な専門性と豊かな人間性を必要とされる医師。社会的にもそのステータスは高く、相当の高い学力を身に付けていかねば医師にはなれない現実。今回ご紹介したいのは、医師としてご活躍されている方で、へき地診療所から医療現場をスタートされた方の福井新聞に掲載されたエッセイ(随想)です。

医師免許取得後3年目で赴任を命じられた先は、医師は自分一人だけのへき地診療所。「不安」と「不満」が入り混じる中、様々な症状を抱えて来診される患者さん。その多くは高齢者。その中に、難治性湿疹を治すために通ってこられたおばあちゃんがおられました。

処方した私の薬では治らず、皮膚科に通ってそれを治された後で「先生、今度からこの薬を出すといいよ。」と教えてくれたおばあちゃん。私のような若造を医師として頼りにしてくれたり、育ててくれたりする村の人々と接していくうちに「この人たちのために自分は何ができるのか」と考え始めました。さらに「自分がこの村を支えるんだ!」という強い思いを抱くようになりました。

~(中略)~

実は一度、非典型的な症状の肩こりを呈したクモ膜下出血を見逃してしまった経験が私にはあります。患者さんの親戚の方は、誤診で気落ちする私を責めるどころか慰めてくれました。「一生懸命やってもうまくいかないことは誰にでもある。先生、こういうことはお互い様だよ。」…私にとって生涯忘れられない言葉となりました。幸いにもこの患者さんは全く後遺症のない状態で退院し、今でもお元気です。自分自身が大きな病気を患って2ヶ月間仕事を休んだ間も、村の人々からのたくさんのお見舞いや激励をいただいたりしました。

若い頃は自分が地域を支えているつもりでした。ところが、様々な恥ずかしい経験・体験などを通じて、それでも許していただいたりしていた自分を省みると、実は地域に育てられ、地域に支えられてきたことに感謝する気持ちでいっぱいの自分がここに存在しているのです。

「失敗は成功のもと」ということわざがありますが、十代の若いみんなの失敗は、周りの先輩たちや大人たちが受け止めてくれ、またいろいろと助言してくれるものです。見知らぬ世界(非日常の生活空間)に飛び込んでいろいろな人と交わる中で、対立・葛藤することも当然あるでしょう。そういった経験を積んで、みんなはたくましい人間へと成長していくのです。この夏、勉強にスポーツにボランティア活動に大いにチャレンジしましょう!

自転車競技の一つに「ダウンヒル」があります。

夏場のスキー場など、急斜面の荒れ地につくられたテクニカルなコースを高速でいかに速く走破するかという単純な競技です。

はじめてダウンヒルの大会に出場したときのことです。たいした練習もせず、ひどく軽い気持ちで出場した大会でした。それなのに、とにかく緊張したことを覚えています。自転車はマウンテンバイク、前後のサスペンションは当たり前で、肘・肩・胸・脊椎を保護するプロテクターにフルフェイスヘルメット、口にはマウスピース、手にはグローブをはめます。ダウンヒルの大会では通常は一人ずつスタートしタイムを計測していきます。スタート地点には「スタート台」があります。スタート台は一段高く、この場所から岩や木の根っこでゴツゴツしたコースを見渡すことができます。

心の中では「どうせ速く走れやしない」「誰も期待していない」と思っても、順番が近づくにつれ緊張感はどんどん高まっていきます。スタート地点の人が背中をたたいてスタート。練習とは比べものにならない緊張感からまったく思うようにレースをすることが出来ませんでした。

練習でできないことはもちろん本番では出来ないけれど、練習でできていることも本番では出来ませんでした。

ほんの数分の「勝負」ですが、自分が「いける」「できる」という強い気持ちで挑めなかったことが残念で仕方ありませんでした。原因はもちろん練習不足です。

さて、みなさんも「勝負」をしなければいけない場面があります。それは部活の大会、学校のテスト、受験、検定試験、もしくはクラスの前での発表なんかもそうかもしれません。どれだけ軽い気持ちで挑んだとしても、必ず緊張します。強い気持ちで「勝負」するためには「練習すること」と「練習する方法を考えること」です。どちらも積み重ねが大切です。その積み重ねが緊張感をおさえ、自信を与えてくれます。自分に自信を与えてくれるのは自分自身です。

そして「勝負」の日は自分では決められません。ある日突然決まります。部活の大会や学校のテストがそうだと思います。ですから文句を言わず、「勝負」の日が決まったらすぐに行動です。

その日から練習あるのみです。

受験生にとって、志望校を決めることはとても大切なことです。
志望校とは、合格して『本当に行きたい高校』のことです。
今の自分の力で行けると高校を必ずしも志望校とは言いません。
志望校は、自分の一生の『母校』になる高校であり、『人生の宝』になります。

志望校の『志』とは、『士』の『心』と書きます。
『士』とは、『サムライ』のことを意味します。手を広げ命がけで人を守る姿です。
『志』とは『サムライの心』を意味します。

では、『サムライ』の『心』とはどんな心でしょうか?

江戸時代の日本では、男子は15歳前後に元服し、社会的に一人前に認められると同時に、いつでも主君の為に『命を捧げる覚悟』をしました。
もちろん現代ではそういうことはしませんが、15歳という年齢はまさに受験生であり、君たちの事ではないかと先生はいつも思っています。
高校受験は単なる『合格』や『不合格』ではなく、自分の一生に関わるとても大切な『儀式』でもあることも意識して欲しいのです。

福井の生んだ幕末の志士『橋本左内』(安政の大獄で、藩主松平春嶽を守って処刑された)は、15歳にして今の『藤島高校』の前身である『明道館』の校長代理を務め、藩内の師弟の教育指導を行い、その著書『啓発録』(15歳で書き上げた)の最初に、〔大事を成し遂げるにあたって、『第一に稚心去るべし』〕と言い切っています。

受験生にとって、大事とは『志望校に合格し、母校とする』ことです。
その受験生が、大事を成し遂げようとするときに、

・だらだらTVばかり見ていて、いいのですか
・漫画ばかり見ていて、いいのですか
・ゲームばかりしていて、いいのですか
・部活ばかりに明け暮れて、いいのですか
・言われないと勉強しない、でいいのですか

受験生として、『志望校合格』にむけて、好きなことややりたいことばかりする『稚心』を『断つ』ことが絶対に必要です。

『断つ』ということは、『覚悟』がなければできません。
君達には『覚悟』を持って欲しいのです。

その『覚悟』は『高校受験合宿』に参加することでさらに確かなものとなります。
受験生にとって夏休みは【夏を制するものは受験を制す】といわれるように受験の天王山です。今から夏の『高校受験合宿』参加するという『覚悟』を決め、好きなことを『断つ』という受験勉強のスタートをきってください。

『高校受験合宿』に参加した経験が、受験勉強がもっとも厳しくなるⅡ期以降の『心の支え』になってくれるのです。

 東日本が巨大地震に襲われてから、約一ヶ月半が過ぎました。時は巡(めぐ)って、風薫る爽(さわ)やかな季節となりました。例年なら、人々の身も心も爽やかになる季節です。

 しかし、今年ばかりは、どことなく重いものがあるようです。日本全体が重い空気に包まれているように感じます。
 『復興( ふっこう) の種』という掛け声のもとに、多くのティエラ生から「義援金」や「がんばりポイント」の寄贈がありました。今も続いています。また、「激励メッセージや作文」の呼びかけにも気持ちよく協力してくれました。
 日本社会に「自粛」という空気も広がっています。確かに自粛も不可欠です。
 けれども、まだ他にできることはないかと、先生は考えました。それは、長期的展望にたった『復興』ということです。つまり、君たち一人一人が、自立したたくましい大人(社会人)になっていくということです。それは、『今を一生懸命生きる』ということから始まると思います。
 この春の講習会で、小六国語の確認テストから下記の問題文に出逢(であ)いました。少々長くなりますが、しっかり読んでみてください。

 「植物は、どこでも好きなところに勝手に生えているとみなさんは思うかもしれませんが、実はきびしい気候条件、土壌( どじょう) 条件、生物的な条件にたえて芽を出します。芽を出したとたんに次の社会的な規制に直面します。まわりの植物と競争し、おたがい我慢( がまん) しながら、共生していくのです。生物社会は競争を通してのみ発展します。どうかすべての競争を拒否( きょひ) しないでいただきたい。
 きびしい競争相手は、反対側からみるとしばしば共存(きょうぞん)者でもあるのです。そして我慢のできない生き物はこの地球上では一時も生きていけませ ん。生物社会の共生とは仲良しクラブではありません。少々苦手ないやな相手であっても、少し我慢しながらともに生きていく。競争、我慢、共生のきびしい社 会的なおきてと、置かれた環境(かんきょう) 要因(よういん) に規定されながら、それぞれの植物は生きているのです。」
——-宮脇 昭 著「森は地球のたからもの3 森の未来」より

 宮脇さんは横浜国立大の名誉教授であり、環境界のノーベル賞とも言われている『ブループラネット賞』を受賞された方でもあります。その言葉には説得力があると思いませんか。
 『競争、我慢、共存・共生のきびしい社会的おきて』の中で生きているのは、私たち、生物である人間も同じです。
 子ども時代というのは、より良き大人(社会人)になるための訓練の時です。ある日、突然大人になる訳ではありません。長い年月の、その一日一日のすべて が関連していると言っても過言ではありません。ただ、日常の暮らしの中では、ついつい忘れてしまうことでもあるのです。『非日常世界』の中でこそ、忘れて しまっていたことに気付き、その重要性を再認識できるのです。私たちは、だからこそ、時にはその『非日常世界』に身を置く必要があるのです。

 ティエラが呼びかける『合宿教育』とは、まさにその『非日常世界』の舞台ではないでしょうか。
 「困難にたじろがない ひとりで勉強できる子に」という教育理念を根っこに、感動・感激、夢中、おもしろさ、楽しさといったすべてを含んだドラマの主人公となって、『競争、我慢、共存・共生』を学んでいくのです。
 班で競い、個人で競いながら、「一人はみんなのために みんなは一人のために」とは何なのかということを学んでいってほしいのです。
 人生における貴重な財産となる『思い出』とともに、必ずや君たちの未来に活かされていくものと信じて疑いません。

 「こんなに楽しいもんやったら、もっと早くから参加しとったらよかった。来年は、もう来られへんわ。」
と言った、二年前の小学練成合宿に参加した小六の女の子の声を、先生は今も忘れません。

いよいよ新しい年度がスタートします。Ⅲ期、春期講習会を通してしっかりと準備はできたでしょうか。準備万端の人も、準備が不十分で不安を感じている人も今日からの一日いちにちを一生懸命がんばっていきましょう。今できることをしっかりとやる。その積み重ねが本当の実力を養ってくれます。

さて、その新年のスタートにあたって一つ先生から大事にしてほしいことを言っておきたいと思います。それは自分の目標を見失わずにスタートから一歩いっぽがんばってほしいということです。よく新年度のスタートになると「慣れてからがんばります」という言葉を聞きます。もちろんそれが間違いということではありません。ただ、忘れないでほしいことがあるのです。それは皆さんの夢・目標です。夢・目標を達成するために必要なことはスタートだからこそやっておかなければなりません。

ここで解りやすいように例え話をしましょう。
一年をマラソンのレースとして考えてみましょう。4月はスタートからの3~4kmになるでしょうか。夢・目標は順位やタイムということにしておきましょう。まず完走しなければいけませんのでそういう意味では無茶は厳禁です。しかし、目標の順位やタイムを達成するためには他人と、そして自分と戦わなければなりません。目標の順位・タイムをみたペースが必要です。最低限のペースはスタートから維持しなければ最初の3~4kmで勝負ありです。後半でいくらラストスパートをかけようが限界はあります。それこそリタイアの原因になるでしょう。

新しい学年のスタートという意味で4月は重要な一ヶ月です。スタートは忙しいから、大変だからといって手を抜いてしまい、その結果、目標から遠のいてしまってはあまりにもったいがありません。新年のスタートの4月も冷静に分析していけば意外と時間はあるものです。イメージで忙しいからではなく、きちんと分析して自分の目標に向けた計画をたててがんばってほしいと思います。どう考えても大変だという人は、それこそ一人でいろいろ考えて悩むのではなく能開の先生に相談してほしいと思います。人生の先輩でもありたくさんの生徒と触れ合ってきた能開の先生たちがしっかりとしたアドバイスをしてくれるはずです。

今、日本は大変な状況の中にあります。その中で勉強をがんばれる環境に対する感謝の気持ちを忘れずに能開の仲間と一緒にがんばっていきましょう。今年度が君たちにとっていい一年でありますように。

『神は、我々を人間にするために、何らかの”欠点”を与える。』

この言葉を聞いたことがありますか!?
かの有名な劇作家シェークスピアの名言のうちの一つです。
簡単に言うと、人間は誰もが何らかの欠点を持っており、完璧な人間などありえないということで、その不完全さがより人間らしいという意味だそうです。

今回この言葉を紹介したのは、これから新学期に臨んでいくみんなに一番の難関を越えるためのヒントがあげられたらと思い、この話をしています。新学期を迎えるみんなにとって最大の難関はやはり友達作りだと思います。先生も、小学生の頃は、毎年新学期のクラス発表が1番嫌な気分でした。前の学年で友達だった子とも離れるし、新しく一緒になる友達と仲良くなれるかが不安で仕方ありませんでした。なので、先生は必死に自分を取り繕いながら、いい自分を演じていた記憶があります。

ただ、最初にあげたシェークスピアの言葉にもありますが、完璧な人間などありえません。いくら自分を取り繕ったとしても、いずれはメッキが剥がれます。それよりも大事なことは、しっかりと本当の自分で向き合うことだと思います。

これから新しい友達と向き合っていくみんなに意識をしてほしいことは、以下の3つです。

① 自分の欠点を把握しておくこと
② 相手の欠点をきちんと受け入れること
③ 自分の気持ちを素直に伝えること

先生自身が思うのは、やはり本当の友達は欠点を見せられる人間だと思います。
それは信頼関係がなせるものであり、それこそが本物の友情であると考えています。
最近話題のACのCMでも紹介されている、先生の好きな作家の金子みすずの詩で『私と小鳥と鈴』という作品があります。その中の好きな一説で”みんな違ってみんなイイ”というフレーズがあります。その言葉に象徴されるように人間はそれぞれにいろいろな個性があり、たくさんのいい所を持っています。きちんと正面から向き合い、お互いの良い所や欠点をさらけ出しながら、本当の友情を築いてみませんか。

こんにちは、みなさんは、「四習」という言葉を知っていますか?
成績を上げたい、成績の上がる勉強の仕方を身につけたい・・・と思っている人は多いと思います。
能開の勉強の仕方は、「予習先行型学習」と「繰り返し学習」を基本にしています。
これは、それぞれに意味を持っていますが、有名進学校などもほぼ同じシステムをとっています。カリキュラムにも関係していますが、効果が大きいからです。
ここ数年で、県立中が全国でかなりの勢いで増加しています。所謂、中高一貫教育の実践なのです。中学3年間と高校3年間の学習を5年間で修了し、残りの1年間を大学受験勉強に集中するためです。東京の御三家の筆頭と言われる開成では、この6年間を4年間で修了するそうです。さすがに、東大合格者数10年間トップを占めています。
まさに、予習先行型と繰り返し型の原理の証明にもなっていると思います。

そこで今回は、「四習」ということをひも解いてみたいと思います。
通常、
⇒①予習(参考書・ノートまとめ)
⇒②本習(授業・テスト・聞く姿勢)
⇒③復習(要点整理・間違いなおし・問題集)というプロセスを考えますが、更に、
⇒④演習という徹底訓練をします。正確さとスピードを磨くのです。
ここが肝心ということなのです。
宮本武蔵の「五輪の書」には、徹底した基礎訓練を千日行うことを「鍛」、万日行うことを「練」、つまり「鍛練」ということを強調しています。言い換えれば、「わかる」と「できる」は、異なるというわけです。わかっただけでは、成績は大きく伸びない。
自由自在に応用が利くまで、演習しておかないと本物の実力とは言えないということです。

もうすぐ新年度がスタートしていきます。
自分の学習スタイルを今一度点検して、いいスタートダッシュをしてください。

公立高校入試と国公立大学入試が終わり、今年の受験シーズンもようやく終了しました。すでに多くの皆さんが、決意も新たに、進学・進級に向けた勉強を始めています。

今日は、そんな皆さんに、「これを知る者はこれを好む者に如(し)かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如(し)かず」という言葉を紹介します。孔子という、今から2500年ぐらい前の中国の偉い思想家の言葉です。「あることを良く知っている人も、そのことを好きな人には勝てない。そのことを好きな人も、それを楽しんでいる人には勝てない」という意味です。

どうですか。この言葉は、いろんなことがらに当てはまりますよね。勉強を例にとれば、「どんなに成績が良い人も、いやいや勉強している限りは、勉強が好きな人や楽しく勉強している人にそのうち追い抜かれてしまう」ということになります。
こういうと、皆さんの中には、「先生、ひどいや。部活で疲れて眠いのに、毎日がまんしていやな勉強をがんばっているのに…」と怒り出す人もいるかもしれません。でもご安心あれ。先生は、孔子さんのこの言葉は、物事が上達する際の段階を表しているのだと考えています。

最初から勉強が好きな人なんていません。今、勉強が好きだという人も、最初はいやいや勉強していたはずです。でも、退屈な漢字・英単語の暗記や計算練習を毎日続け、苦手な問題に繰り返しチャレンジしていくうちに、今まで解けなかった問題が解けるようになり、点数も少しずつアップし、苦痛でならなかった勉強が面白く、好きになっていったのだと思います。

ですから、今、つまらなくて味気ない勉強を頑張っている皆さん、先生にだまされたと思って、どうかその努力をもう少し続けてみてください。そうすれば、いつの間にか、勉強を楽しく感じ、「三度の飯より勉強が好き」という自分になっていることに気づくはずです。少なくとも、好きになったあとの勉強がどれだけ面白くてエキサイティングなものであるかに関しては、先生の100年保証付きです。プレステやWiiなんか目じゃないですよ!

勉強をしようと机に向かうものの、始めのうちはなかなか集中できなかったのに、時間が経つにつれて自分でも驚くほど勉強がはかどった経験はありませんか?
また、乗り気ではなかった部屋の掃除も気がつくと必要以上に細かい部分まで掃除をしていた…など。

これは脳の「側坐核(そくざかく)」という部分が深く関係しています。
側坐核は脳のほぼ真ん中、左右に1つずつにあります。
この部分が刺激されると脳内物質が分泌され、「やる気」を引き起こします。
しかし、この側坐核は「勉強を頑張るぞ!」「部屋を掃除するぞ!」と思っていても活発に動き出してはくれません。
側坐核は「実際に行動する」ことで活発に動き出し、一度働き出すとどんどんやる気が出てきます。
始めに書いたものも「実際に勉強や掃除をする」ことで側坐核が刺激され、やる気を引き起こし、そのやる気が継続することで想像以上の成果に繋がるのです。

やる気が出ないな、感じたときは「実際に行動する」ことから始めてみましょう。
そのあとは自然とやる気が出てきますよ。
最後にひとつだけ大切なポイントを。
実際に行動するときの始めの一歩は「ハードルの低い部分から手をつける」です。
最初からいきなり応用問題を解くのは大変ですね。
勉強も運動と同じでウォーミングアップが必要なのです。
例えば、その日1日の勉強計画を立てる・英単語を読む・昨日解いた問題の復習としてノートを見直す、などです。

皆さんのちょっとした行動が脳を活性化させ、やる気を引き出します。
試しにやってみて、本当かどうか確かめてみましょう。