皆さんは、「ノミ(蚤)」をご存知でしょうか。最近は衛生状態が良くなったのでヒトに寄生して血を吸う「ヒトノミ」は減ってきていますが、犬や猫に寄生する種類のノミは今もまだたくさんいるようです。

そのノミですが、体長は1mm以下のものから、大きくても9mmぐらいと、非常に小さな虫です。翅は無いのですが、後ろ足がとても発達しているので、自分の体長の約60倍の高さ、約100倍の距離の跳躍をすることができるそうです。

さて、そんな跳躍力に優れたノミを、伏せたガラスコップに閉じ込めてみます。しかし、ガラスコップは透明ですから、ノミは閉じ込められたことに気づきません。自慢の跳躍力で、ぴょーんと飛んでみます。すると見えない壁や天井にぶつかって、床に落ちてしまいます。

あれ? ぴょーん コツ ぽと 

あれ? ぴょーん コツ ぽと 

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何度も何度も繰り返し飛んでみますが、そのうちノミは飛ばなくなります。そしてそうなったノミは、ガラスコップの檻を取っても、二度と飛ばなくなってしまいます。

「自分は、これぐらいしか飛べないんだ」と諦めてしまい、高く飛ぼうとすらしなくなるんです。

皆さんの中にも、そんな人はいないでしょうか。高い目標を持って頑張ってみたけれど、あまりいい結果が得られなかったので、諦めてしまっている人。
もしかすると、高い目標を持つことを放棄してしまっている人もいるかもしれません。

勝手に自分に限界を設けてしまうと、成長が悪くなります。高く飛べなくなります。
でも、皆さんの周りにガラスの檻はありません。
高く飛ぼうとさえ思えば、いくらでも高く飛べるようになります。

この春期講習会で、高い目標を持って、大きく飛躍してみませんか?

みなさんは、「型稽古」という言葉を聞いたことがありますか?空手や柔道など、武道をしている人は、聞いたことがあると思います。空手で言うと、「組み手」と「型」という形式があり、型の稽古は、ルールの決まった約束された稽古です。組み手の稽古のように自由に相手と技をかけあうのではなく、決まった正しい基本の動作を体に覚え込ませる練習です。

クラブ活動で球技をしている人であれば、素振りなどが型稽古にあたります。フォームを身につける練習です。いざボールが飛んでくると、ボールに当てようとするため、手だけで打とうとしたり、姿勢がくずれたりして、上手く打てなかったという経験は、誰にでもあると思います。

では、何のためにこのような練習をしていると思いますか?それは、どのようなボールが飛んできても、いい姿勢で、いい位置で打てるようにするためです。本番で緊張して、フォームが乱れないように。頭で考えなくても反射的に動けるように。全ては、実践で、本番で、使えるようになるための、反覆練習、いわば繰り返し練習です。

ここで、ひとつ注意しなければならないことがあります。この型やフォームがおかしいと、実践や本番に役立つどころか、一向に上達しません。私の習っていた武道では、なんと、先生の許可が出るまで、一人で型稽古をしてはいけませんでした。早く型を覚えたいと思って、家に帰ってからも練習したい気持ちでいっぱいでした。ですが、許可が出るまでは、先生が目の前でチェックできる道場でしか練習させてもらえません。自分でチェックできないうちは、間違った型を体に身につけてしまうといけないですし、変な癖(くせ)がついてしまうといけないので、一人で型稽古はできませんでした。逆に言うと、一人で型稽古をしてもいいですよ、と許可が出た時は、正しい型が身についてきた証拠です。また、自分でチェックできる目を持っているということでもあります。

今、みなさんの目の前にあるノート。型を守って、基本が身についたノートになっていますか?「この字なら誰がみてもわかりますね。」、「余白が上手く使えていますね。」、「このノートなら大丈夫。」、という先生のお墨付きはもらえていますか?お墨付きという言葉を知らない人は、ぜひ辞書を引いてみてください。このノートはだめです、と烙印(らくいん)を押されたくないですね。先生のお墨付きがもらえるというのはうれしく、自信の出ることですが、なによりも重要なのは、みなさんが勉強の仕方を身につけて、力をつけられるノートになっているということです。そういった基本的な「型」、動作の積み重ねは、みなさんの力になります。すばらしいノートになるよう、期待しています。

最近聞いて、面白いなと思った話をします。
みなさんは、「ゴールドラッシュ」という言葉を聞いたことがありますか?

ゴールドラッシュというのは、1848年アメリカのカリフォルニアのある川から砂金の粒が見つかったというニュースが全世界に瞬く間に広がり、世界各地から一攫千金を夢見る金鉱探し達や、彼らに物資・サービスを提供する商人・職人・銀行家・弁護士たちがカリフォルニアに押し寄せたときの状況を表す言葉です。今では大都市の一つとして数えられているサンフランシスコも、1847年には100人そこそこの田舎の村だったそうですが、カリフォルニアへの入り口、物資補給基地、歓楽街として3年後には人口3万5千人の都市へと成長した
そうです。(参考:日本大百科全書)
その金鉱探しの一人、Aさんについて話をします。

Aさんは、集まってきた他の人たちと同じように、大金を手にすることを夢見て、採掘機を始め大量の機材を買い込み、意気揚々と金を求めて掘り始めたそうです。しかし、そう簡単に見つかるものではありません。時間とお金だけがどんどんと費やされていきました。周りでは、金脈を掘り当てる人もいましたが、大半の人間は現実の厳しさを目の当たりにし、夢半ばに次々とその地を去っていきました。そのうちに、彼の心の中にあった野望も現実に打ち砕かれていき、とうとう金探しを諦めてしまいました。次の生活の足しにと、所有していた機材も
全て売り払い、彼はカリフォルニアをあとにしました。
そのAさんの機材を買った人は、まずは土地の調査を専門の人に依頼し、候補地を挙げてもらいました。そしてその候補地を次々と掘り進めていくうちに、大量の金を発見することができたそうです。その発見した場所というのが、何とAさんが掘っていた場所とほぼ同じで、1mほど深く掘っただけだったそうです。

あと1m、諦めずに掘っていれば・・・

Aさんの人生は大きく変わったでしょうね。
実は、同じような経験をみんなもこれからするんじゃないかな、と思います。先生も何度もくじけそうになったり、諦めそうになったりしてきましたから。

「もう嫌だ。」 「しんどい。」 「やめたい。」 「逃げ出したい。」 「諦めた。」 「もう帰るー。」

そんな時に、「あと1m」ということを思い出して欲しい。今はまだ結果は出ていないかもしれないけれど、もう少し続けることで大きく変わる、成長できるかもしれないと信じて欲しい。
確かに大変で、逃げ出したくなることはある。しかし、そこから逃げずに、立ち向かい続ける人間は、成功を手にすることができると先生は思っています。そうやって大切なものをつかんできた君たちの先輩たちの姿をたくさん見てきたから。そして、今ここにいるみんなにも、その魂を受け継いで欲しい。その魂をみんなに伝えていくのが先生のやるべきことだと思っています。ぜひこの思いを受け取って、一歩足を踏み出せる人間になっていこう。

学習と姿勢に何が関係あるのだろうと思ったこともあるかもしれませんが学習と姿勢はとても深い関係があります。

結論から言うと集中力と集中できる時間が変わります。どういうことかというと、姿勢がよくないと腰が曲がり、呼吸が浅くなります。その結果ぼーっとするようになります。

ぼーっとする。つまり、集中していない状態になってしまいます。

皆さんもわかっているように集中せず学習していると学習していることが身に付く事はありません。

やはり、ティエラの教室に通い、一生懸命頑張ろう!と思っている皆さんには学習する全ての瞬間を大切にさせたいと考えています。

一生懸命頑張ろうと思っている君達だからこそ、姿勢を正し、一生懸命頑張らせたいです。

想像してみてほしい。
目の前に小学2年生の子がいる。この子はなかなか九九が覚えられず悩んでいる。数日後にはクラスの前に立って九九の暗唱を発表しなければならない。
さあ、君たちならば、この子になんて声をかけてあげるか。

君たちの中には、小学校に通う前から家庭の中で九九を練習させられて、いざ小学校で九九を習うころには、九九がある程度言えるようになっていた子も少なくないかもしれない。
でも、君たちはもう忘れてしまったかもしれないが、小2算数の最大の山場である九九を覚えるのは大変なんだ。
小2の子を抱える家庭では、家族中を巻き込んで大騒ぎになることもよくある。

そんな、なかなか九九が覚えられない小2の子がいる保護者をターゲットにした便利ツールもたくさん販売されている。

さて、なかなか九九が覚えられない子を、君たちはどうやって助けてあげるか。

「九九のうた」というCDを買って聞かせてあげるか? 九九のゲームソフトを買ってあげるか? それともその子の横について、1×1=1 から 9×9=81 まで、一つ一丁寧に教えてあげるか?

そんなことはしないよね?

答えは明白。声に出して繰り返し練習させるのが最善策。何度も何度もひたむきに練習させればできるようになる。

「もっと楽に覚えたいなぁ」「もっと楽しく教えてよ」「九九の練習は面倒だなぁ」「九九の練習なんかやりたくないよ」「ぼくのやる気を出させてよ」と言ってきたら、どうする?

「文句を言わずに何度も練習しなさい!」と言ってあげれば良いよね。

では、最後にもう一度想像しよう。

目の前になかなか成績が上がらず、目標とする結果が出せずに悩んでいる子がいる。そう、君たち自身だ。

君たちは、君たち自身になんて声をかける?

あなたは社会が好きですか?
多くの歴史嫌いの人が口をそろえて「覚えられない」「歴史の流れが分からない」
と言います。なぜそうなるのか。
答えは簡単です。意味もなく丸覚えをしようとした結果、頭の中で知識がバラバラに散らばっているからです。確かに覚えないといけない部分はあります。しかし意味のないものを記憶に残すことは困難です。さまざまな出来事を網の目のように結ぶことで脳に定着していきます。

例えば平安時代で学習した、「摂関政治」「院政」「平清盛」をストーリー化して説明できますか?なぜ藤原氏のあとに院が政治の実権を握ることができ、その後の平清盛が権勢を誇ったのか。当時の権力者の気持ちになって参考書を読めば、驚くほど理解しやすくなるはずです。完全に「暗記」と思われている各時代の文化にしても同様です。文化の政治的背景を理解すれば、その文化の美術や文学がなぜそのようなものになったかが納得して覚えられるようになるでしょう。試しに参考書「くわしい歴史」の文化の特徴と、その時代の政治を照らし合わせてみてください。

大切なのは「理由」を考えることです。そして出来事などの知識を「理由」で結び合わせていくことです。その最初の知識を持つために「暗記」するといったイメージです。
覚えた出来事などを「点」とすれば、その「点」と「点」を出来事の理由を通じてつなぎ「線」で結ぶ。歴史の得意な人はその「点」のつなぎをストーリー化するのが上手な人ですね。

各時代に登場する「権力者」を軸に歴史の流れを整理してみると分かりやすいかもしれません。みなさんも一度やってみてください。

今週は先生が大学に入学してから間もない頃の話です。
今でも鮮明に覚えているのは、地球が丸いことを示す証拠として『高い山に登ると遠方まで見える』事を取り上げていたこと。もちろん、地球が丸いことは知識としてよく知っていましたし、高い山から見た雄大な風景に感動した経験は何度もありました。
しかしながら、その2つを論理的に地球の形と関連づけて考えたことは一度も無かったのです。
現象と現象を論理で結びつけて、新しい認識に導く科学的思考のおもしろさを教えてくれました。

図1のようにもし地球が平坦であれば、山の高さと関係なく無限の彼方まで見えるはずです。もちろん途中に障害物が話は別ですが、地面が平坦であるとすれば、この推論は『高い山に登るほど遠くまで見える』という体験に反しています。ゆえに、地球は平坦ではないのです。

地球が丸い場合には、図2に示されているような山頂から見ることの出来る範囲(視野の広さは)は、山頂から伸ばした直線と地表面との接点までです。この点を重ねた線が、地平線や水平線です。したがって、地平線や水平線までの距離(L)と山の高さ(h)との関係は、地球の半径をR(=6400㎞)とすると、三平方の定理を使って、次の式を導くことが出来ます。

この式をLについて解くと

となります。
ところで、地球の半径Rに比べて山の高さhは大変小さいので、上の式は次のように簡単にする事ができます。

そうすれば次のような結果が得られて、『高い山ほど遠くまで見える』事がより実感をもって理解できます。

これに加え、数年前の高校入試勉強会で、東進へ通う高校1年生が話していた言葉が今も忘れられません。
『勉強はつまらないことが多いと思います。僕も高校受験の時を思い返せば、つまらない勉強ばかりしていました。しかし、高校の勉強はとても興味深いものが多いことを分かりました。例えば水の化学式はH2Oですが、HO2ではダメなのかとかを追求していくこと等。高いレベルでの勉強のためにつまらない勉強、つまり基礎勉強は必要であると思います。きっと社会に出たときの仕事もそんなものだと思います。だから、今の受験勉強は決して無駄にはならない、また将来の自分の財産にもなることは間違いないので、本気で勉強してください。将来の自分のためにもお願いします。<高校受験合格はゴールではなく、新たなスタート>とはそういうことだと思います。』

「先生、おれ数学きらい」
「おれ、国語いやや」
「英語の単語が覚えられない」
「歴史全くわからない」

テスト前には苦手科目に頭を悩ました生徒たちがこのようなことを口々に言ってきます。
どうすれば苦手と思わなくなるのでしょうか。それはその科目でよい点をとることです。「とれないから苦手科目なんじゃないか!」とみなさんの叫びが聞こえてきそうですが、落ち着いてある生徒の話を聞いてください。

その生徒は小学6年生の12月から塾に通い始めたのですが、算数(数学)がとても苦手でした。
中学生になってもそれは変わりありません。塾の授業でも小テストをするといつも不合格で居残りをさせられました。迎えに来ておられたお母さんも「あんまり遅いと置いて帰る」と怒る始末。
真面目に塾に通い続けたので、数学の授業にはついてこれたのですが、通知表はいつも「3」。

テスト前に「先生!どうしたら数学が好きになる?」とよく言っていました。私たちも「『数学が好きだ』と毎日唱えて自分で暗示をかけなさい」などと言っていましたが、思うようには克服できなかったようです。その後、彼女は無事公立高校に合格しましたが、高校生になっても塾に通い続けてくれました。もちろん数学が苦手なので数学の授業を他の教科より多く受講しました。

そして彼女が高校2年生のとき、ついにその成果が出たのです。なんと彼女は数学で学年1番をとったのです。彼女の数学への苦手意識はすぐには治りませんでしたが、その後何度も1位をとるうちに数学は「得意科目」になっていったのです。

苦手を克服するのに小学6年生の冬から高校2年生の冬までかかりましたが、彼女が克服できた理由は何だったのでしょう。6年間彼女を見ていた私が思うに、「真面目にコツコツと勉強を継続したこと」と「苦手だからといってその科目から逃げなかったこと」が挙げられます。さらに言えば、高校生のとき「苦手だからより多く勉強しよう」と思ったことが最大の要因だったのではないでしょうか。

よい結果がでればさらに人は頑張れるのです。その喜びを得るためにみんな努力しているのです。今結果が出なくてもあせることはありません。その結果は必ずあとから出てくるのです。

竹の話です。
竹ってどんなイメージがありますか?
……「強い」
……。

そんな竹ですが、こんな風に成長していきます。

5年後に一気に、伸びていますね。
4年間は全然伸びていないのに。

じゃあ最初の4年間は何も変わっていないのでしょうか。
そんなことはないです。
では、いったいどこが成長しているのでしょうか。

わかりましたか?
実はこんな風に成長しているんです。
「根っこ」を張ってますね。
「根」が成長しているんです。

まず、しっかりと根を張ることで、太く長い幹を支える基盤をつくっている。
そしてしっかりとした基盤が出来たとたん、一気に伸びていく。
根がしっかりしているから、あれだけ長くても、強風がきても簡単に折れたりはしない。
竹やぶがあるところは地盤がしっかりしているというのは、地中に張り巡らされた「根」によるものなんですね。
そして冬になっても葉を落とすことなく、凛とした姿で立っている。

人はともすると目に見える部分にばかり目が行きがちです。

しかし、見えない部分の成長が、見える部分を変えていくんだと思います。
勉強でもスポーツでも何かに取り組み始めてもすぐには、結果は出てこない。
しかし地道に努力を続けていくことで “体の中に「根」が張り巡らせる”
それがしっかり基盤になったときはじめて本物の結果(実力)が手に入るのです。

1月に入って、いよいよ受験シーズンが本番となりました。
すでに各地で中学入試が始まっていますし、大学入試センター試験も今度の週末に実施されます。

『人事を尽くして天命を待つ』という言葉があります。「人間として出来るかぎりのことをして、 その上は天命に任せて心を労しない」という意味です。受験生の皆さんはそのような気持ちになるまで、徹底的にベストを尽くしているでしょうか。

自分は「やるだけのことはやった。あとは天命を待つだけ」と言い切るためにも、残り少ない日々を大切に過ごしてほしいものです。今、この一瞬を貴重なものと考え、目標に向かって意思決定をしたからには、最善を尽くす——そして、合格した時に思わず涙が出てくるような、そんな受験生活を過ごしてほしいと願っています。

もちろん、入試だけが人生のすべてではありません。人生のほんの一部分です。
ですが、その一部分の積み重ねが大部分を確立させていくのです。そしてそれぞれ部分でどれだけ真剣に取り組むことが出来るか出来ないかで、その人の人生が決定されるのではないでしょうか。

人間の価値は名誉・地位・金銭だけではありません。自分自身に対してどれだけ真剣に取り組んでいるか、いないかではないでしょうか。

受験生の皆さんが最後まで入試に真剣に取り組み、最高の結果が得られることを祈っています。