こんにちは。
新しい年が始まって早くも一月が経とうとしています。
一年というのは長いようで短いものです。
一年365日、12ヶ月、週でいえば約52週間です。
52週と聞いてあなたは長いと思いますか。
短いと思いますか。
先生は短いと感じます。
光陰矢のごとしという言葉がありますが、
時間の過ぎるのは速いもの、
一年はあっという間です。
皆さんも新しい学年になったと思ったらもう……、という感覚はないでしょうか。
古典に「邯鄲の夢」というお話があります。
中国の唐の時代に書かれた小説「枕中記」の故事の一つです。
手短に言うと、
趙の国に廬生という若者がいました。
廬生は、人生の目標も定まらず、故郷を離れ趙の都、邯鄲に赴きます。
そして、そこで出会った呂翁という道士に自らの身の不平を語ります。
すると呂翁は夢が叶うという枕を廬生に授けます。
廬生がその枕を使うと、
崔氏(唐代の名家)の娘と出会い結婚し、
科挙(官吏登用試験)に合格し、
出世を重ね京兆尹(首都の長官)となり、
夷狄を破って勲功をたてて栄進することができました。
しかし、時の宰相に嫉まれて端州の刺史(州の長官)に左遷されます。
そこで三年を過ごしますが、
再び召されて宰相に上り、
それから十年間、よく天子を補佐して善政を行います。
しかし、今度は突然、無実の罪で逆賊として捕えられます。
思い悩み自殺しようとしますが妻におしとめられます。
ともに捕まった者たちは皆、死刑になりますが彼だけは流罪になり一命を取り留めます。
やがて冤罪であったことが皇帝に知れ、
再び呼び戻されて手厚く寓されます。
五人の子も高官に上り、
十余人の孫を得て幸福な人生を送り、
多くの人に惜しまれつつ眠るように最期を迎えます。
そして、ふと目覚めます。
すると呂翁に出会った当日であり、
寝る前に火にかけた粥がまだ煮上がってさえいなかった。
というお話です。
人の栄枯盛衰は所詮、夢幻に過ぎないということを表す話として知られていますが、
先生はこの話を知ったとき、合わせて時間は過ぎてしまえば一瞬ということを強く思いました。
雑多な日常の中でつい日々に追われてしまいますが、
だからこそみんなには夢・目標、志というものを持って日々、過ごしてほしいと思います。
夢・目標、志というと大きなものを考えがちですが、
小さくとも自分が誇れる夢・目標、志であればいいと思います。
どんな夢・目標、志であっても自分の中から自然と出てきたものであれば本物だと思います。
もちろん大志を抱いている人は、
その実現を目指して驀進してほしいと思います。
話が少しそれましたが、
とにかく時間というのはたくさんあるようであっという間に過ぎるものです。
今年も十二分の一が終わろうとしています。
新年度のスタートももうすぐそこに迫っています。
夢・目標、志を持って、もしくは探して、
今を大切にがんばりましょう。
皆さん、今一番興味・関心があることは何ですか?スポーツについてでしょうか?歴史のことでしょうか?星のことについてでしょうか?さまざまなものがあると思います。
昔から「好きこそものの上手なれ」と言いますが、先生もそう思います。なぜなら、自分の興味・関心が深いものであればあるほど、その分だけ調べたり、練習をしたりしますよね。
先生は、勉強というのは、こうした興味・関心を自分の力で切り開くためのものだと思います。
今まで知らなかったことに出会う喜びというのは、何よりもまして貴重なものだからです。君たちのこれからは、さまざまなことに自分から積極的に目を向けることが求められるし、君たち自身の力にもなってくれます。
先生がいろいろなことに目を向けてみようと思ったきっかけとなった、1冊の本があります。その本のタイトルは「ウルトラマン研究序説」と言います。
表紙にはウルトラマンがかっこよく登場する写真がデザインされているので、最初にこの本に出会ったときには「ウルトラマンや怪獣の本なんだろう」と思い、何も考えずに読み始めました。
しかし、この本はとても難しい本だったのです。十数名の著者がいるのですが、この人たちは、有名な大学の先生ばかりで、自分たちの研究していることから、真剣にウルトラマンのことについて研究しているのです。
たとえば、ウルトラマンは人間の姿からウルトラマンとして巨大な姿に変身しますが、どうすれば人間(大体175センチくらいの男性)から40メートル以上の大きなウルトラマンになるのか、ということを「量子力学」という学問を利用して解明しようとした物理学者。人間の骨はカルシウムでできていますが、ウルトラマンという大きな姿になったときには、カルシウムでは支えきれないはずだから、ウルトラマンの骨は何でできているのだろう、と考えた医学者。ウルトラマンが怪獣を倒したあとに残る怪獣の残骸は、誰が片付け、どのように処分するのだろう、と考えた環境学者。ウルトラマンが壊してしまった建物やコンビナートは誰が弁償する責任があるのだろう、と考えた法律学者・・・などなど、テレビで見ていたら「かっこいい」で終わってしまったであろうウルトラマンには、さまざまな視点でみることができることを教えてくれました。
興味・関心の幅を広げるきっかけになることは、人それぞれです。本によってかもしれません。先生から聞いた話かもしれません。そこから、自分から「どうなっているのだろう」と調べてみることが、君たちの知識の幅やものの見方を大きく変えてくれます。
今君たちがやっている「勉強」は、そうした興味関心を広げるために必要な「やりかた」なのです。今やっていること一つ一つは決して無駄にならないのだと思い、日々一生懸命努力してください。
毎日寒い日が続きますが、この季節になると、先生はものすごくお風呂に入るのが楽しみになります。家のお風呂にのんびりとつかるのもいいんですが、たまに温泉に行くのも楽しいですよね。
日本は世界的に見てもとても温泉の多い国です。先生もいろいろな温泉に行ったことがありますが、その中でも大好きなのが大分県の別府温泉です。別府には街中に本当にたくさんの温泉があります。源泉の数が2,800ヶ所以上で日本の総源泉数の約10分の1を占めています(すなわち温泉の10個に1個が別府にあるということです)湧出する湯量も日量137,000キロリットルで日本最大の温泉地です。
温泉に入るという時には多分旅館やホテルをイメージするかもしれません。別府にもたくさんの旅館やホテルはあるのですが、あまりそういったところには行きません。
だって街中をブラブラ歩いているだけで温泉がいたるところにあるんです。地図を片手に探してもいいのですが、あえて何も持たずに歩くとさらに面白いです。だいたい地区に1つの温泉があります。みなさんの住んでいるところにも「公民館」がありますよね。その「公民館」が温泉になっているのです。だいたい二階建てで、一階が温泉、二階が公民館というタイプが多いです。だいたい公民館とポストと公衆電話がそろっているところに温泉があります。面白いでしょ。
地元の人しかいないようなところですが、お願いをすると温泉に入れてくれます。ものすごく安くて、ほとんどの温泉が100円で入れます。中には無料で入れるところもあります。その代わり中には浴槽がポツンと1つだけ。洗い場もありません。浴槽の周りに直接座って、洗面器で中のお湯をくみ出して体を洗います。
みんなで使う温泉なのでいろいろなきまりがあります。なんでこんなきまりがあるのか、考えてみてください。
・体を洗ってから、浴槽に入らなければなりません。
→体をきれいにしないと、お湯がよごれるからですよね。これは当たり前ですよね。
・洗たくをしてはいけません。
→お湯をたくさん使ってしまうからです。
・浴槽のふちに座ってはいけません。
→お風呂に入るときに手でさわる場所なので、おしりをつけるのはやめましょう。ということです。
これは別府に行ってはじめて知りました。座っていて怒られたんですよ。
・歯をみがいてはいけません
→直接床に座るので、その横で口をゆすいだ水を「ペッ」とされるのは気分がよくないですよね。
みんなで使う場所だから、みんなが気持ちよくお風呂に入ることができるように。と作られたきまりなのです。
でも、実は一番のきまりは「あいさつをする」ことなのです。
最初入った時はびっくりします。なにせよそ者の先生にあいさつをしてくれるのです。お年寄りも若者も子どももみんなあいさつをします。
入る時には「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」
最初はよそ者なので「誰だ?こいつは…?」というような目で見られるのですが、きちんとあいさつをして入ると
「どこから来たの?」「熱くない?水をいれようか?」「せっけん持ってるの?」
といろいろ親切にしてくれます。あいさつをすることで、「仲間」だと認めてもらった気分になります。とても温泉に入りやすくなります。
出るときには「お先に失礼します」と、誰かが出たら、みんなで「さようなら」というあいさつを普通にします。この「さようなら」が最初は慣れなくて、すごくこっぱずかしかったのですが、今ではすごくいい言葉だなぁ、と思っています。
能開にもいろいろなきまりがありますよね。
きまりが守れなくて怒られた人もいるのではないでしょうか?
「なんでこんなきまりがあるんだよ…。めんどくさいな~」と思ったことはないですか
なぜ、きまりがあるのかと言えば、温泉と一緒で、みんなが気持ちよく勉強するためではないかと思うのです。
そして、あいさつは、「ここから勉強に入るぞ!」という切り替えの合図なのだと思うのです。そしてみんな「仲間」として勉強をするからこそ、力がつくのではないでしょうか。
さぁ、新しい年のスタートですね。
元気なあいさつから、はじめていきましょうか!
今日はクリスマスにまつわるお話をひとつ紹介します。それは「三本の木」というお話です。
小高い山のてっぺんに3本の小さな木が立っていました。3本は小さい時からとても仲良し。大人になったら何になりたいかいつも話し合っていました。
1本目の木はきらきら光る宝石でいっぱいの宝石箱になるのが夢でした。2本目の木は大きな船になって遠い外国に行くつもりでした。3本目の木はずっとここにいてみんなが見上げるような高い木になりたいといっていました。「きっとそうなろうね!」と3本の木はいつもはげましあっていました。
それから何十年がすぎました。小さな木たちはすっかり大きくて立派な木になっていました。ところがある日3人の木こりがやって来て木たちを切り倒してしまいます。
1本目の木は、宝石箱ではなく牛や羊にわらを食べさせる「かいば桶」になりました。2本目の木は、大きな船ではなく漁師の小船になりました。3本目の木は材木にされ使い道もきまらないまま放ったらかしにされました。
月日は流れ、三本の木は、自分が何になりたかったのかということなど、とっくの昔に忘れてしまいました。
ところがある日、若い夫婦が家畜小屋にやって来ました。そして彼女はすぐ赤ちゃんを産み1本目の木で作られた「かいば桶」の中に赤ちゃんをそっと寝かせたのです。すると、ひつじかいがやって来て、「この赤ちゃんは神の子のイエスさまだ」と言っています。「かいば桶」になった1本目の木は、「え!ぼくは神さまの赤ちゃんをだっこしているんだ」と、とても喜びました。
さてある日、ある男たちが2本目の木で作られた船に乗り込んできました。彼らが湖の真ん中を漕いでいると激しい嵐が起こりました。すると船に乗っていた一人の男が、風と湖に「静まれ。」と言うとすっかり静かになりました。2本目の木はこの時、すごい人が自分に乗って湖を渡っていることに気づき、とても喜びました。
最後に、ただの材木になった3本目の木は、ある人に引き取られると十字架にされました。そして、ある男がその十字架を背負わされました。3本目の木はこの時、イエスさまの大切なお仕事をお手伝いできてよかった、と喜びました。
三本の木のどれもが、自分が夢に思い描いたような姿にはなれませんでした。しかし、試練に耐えることで彼らの想像を超えた、もっとすばらしい形で彼らの望みは叶えられたのです。
これは、古くからキリスト教で伝えられるお話です。
いよいよ冬期講習会が始まります。勉強をしていると思うようにいかない時もありますが、あきらめずに先生たちと一緒に頑張っていきましょう!!そうすれば、いつかきっと願いは叶うはずです。
この冬は「やる気」と「元気」と「勇気」をもって。
皆さんは、どんなスポーツが好きですか?
野球?サッカー?テニス?卓球?いろんなスポーツがありますよね。好きになると、実際にプレーし、憧れの選手が出てきて、「その人みたいになりたい!」と思う人も多いのではないでしょうか。
先生は、小学生の頃からバスケットボールにはまっていました。当然、憧れのスター選手がいました。その当時、「バスケットボールの神様」と言われたマイケル・ジョーダンというスーパースターがいて、バスケをやってるほとんどの選手がお手本にしていました。
しかし、その当時チビだった先生は(小6で145CM、中3で155CM)、別の選手が大好きで、そのプレーを必死にマネしていました。
その選手は、マグジー・ボーグスという選手です。バスケットは身長が高いと有利なスポーツです。NBA(アメリカのプロバスケットリーグ)の平均身長は190CMくらいなのに対し、この選手は160CMしかありません。しかも、「シューズを履いて」です。NBA史上最も小さい選手です。
はじめチームは、話題づくりのために彼を入団させたのですが、あっという間にチームの中心選手となり、14年間レギュラーで活躍していました。何よりすごいのが、その身長で213CMもある選手のシュートをブロックするわ、ダンクシュート(ボールをゴールに直接叩き込む)はするわで、身長差を感じさせないプレーをしていたのです。
あるとき、インタビューの中で彼はこういうことを言っています。「小さければ、高く飛べばいい。」と。そしてこうも言っています。「小さいことをああだこうだ言っても、ルールが変わるわけじゃないし、急に身長が伸びるわけでもない。だったら、それを凌駕するよう練習すればいいだけさ。」と。チビだった先生は、その言葉を真に受けて、必死に練習しました。おかげでチームメイトにも恵まれ、全国大会も経験できました。
皆さんはどうですか?変えようもない事に文句を言い、努力する手を止めてはいませんか?自分の力で「周り」を変える事は非常に難しい。でも、自分の力で「自分」を変えることはいく分簡単です。もうすぐ冬休み。講習会も始まります。自分のできることを、最大限やってみましょう!
ちなみに、実はこのマグジー・ボーグス選手、今年の9月末に来日しています。そのとき、こうも言っています。
「自分に自信を持ってる人は少ない。しかし自分に自信を持つことは とても大切である。周りにいくら無理だと言われても自分は自分を信じるべきである。」
こう言いきれるだけの努力をしていきたいですね。
一流のプロ野球選手になりたい。有名なミュージシャンになりたい。世間に名を知られる一流の研究者になりたい。一流の大学に進学したい。人にはいろいろな夢があります。その夢を高い確率で実現できる方法が『10,000時間の法則』です。
「どの分野でも、一流になるためには10,000時間の練習(努力)が必要である」
逆に言えば、「10,000時間やり続ければ、どの分野でも一流になれる」ということですね。
ちょっと前に話題になった本に書かれていたので、この法則は知っている人も多いと思いますが
「10,000時間」というのが、なんとも納得できる長さだと思いませんか?
なんでも、プロスポーツ選手や芸術家やミュージシャンなど、さまざまな分野の事例を踏まえて見えてきた法則らしいです。中でも、ビートルズが売れるようになるまでの弱小バンド時代、モーツァルトが独自性の高いコンチェルトを作曲するまでの推定時間、マイクロソフト社の会長であるビル・ゲイツが成功するまでに費やした時間などが有名ですね。
「10,000時間って言われても、想像できないなぁ~」という人のために、どのぐらいの期間が必要なのか計算してみましょう。
毎日3時間やって、およそ9年かかります。(集中することが条件です。)
毎日2時間やって、およそ14年。
どうですか。毎日継続するのが難しい気もしますが、やれない時間ではないですよね。
しかも、10,000 時間経たないと変化がない訳ではありません。継続することで、その能力は常に上昇し、1,000時間もすれば、成果は目に見えてくるそうです。
成果が見えてくれば、あとは続けるのも楽になります。つまり、辛いのは初めの1年間だけですね。
なんとなく、やれる気がしてきたでしょう。
さぁ、あなたはどんな夢をかなえますか?
決してくじけない決意あれば、10年後にその夢はかないます。
これまで有名人と話したことはありますか?
地元の様々なイベントやコンサートなどで見かけたり、街中や観光地でたまたま出会ったりなどはあっても、直接会話する機会はなかなかないのではないかと思います。
先生は、7,8年前ですが、女優の小雪さんとそのマネージャーさんの2人を、半日ほどかけて、長崎市内を案内する機会がありました。みなさんのイメージもおそらく同じだとは思いますが、小雪さんの印象は物静かで、ほとんど自分から話をしないのではないかという先入観を持ってお迎えしました。
はじめの内こそ、初見だったせいもありなかなか話をしなかったのですが、案内が進むうちに、長崎でお勧めの中華料理店はどこなのか、若い人がよく遊びに行くようなお店はどこなのか、さらには通院している東京の歯医者さんの話をしてくれたりなど、中盤を過ぎた頃から、ほぼ一方的に話をしてくるようになりました。最後には、夜になったら宿泊先を抜け出して夜景を見に行きたいと言っていましたが、さすがにマネージャーさんに怒られていました。
翌日、空港まで送った際に、お礼にということでプレゼントをもらったのですが、何だったのかは内緒にしときます…
芸能界というのは、とても厳しい世界で、少しでも油断するとすぐに表舞台からいなくなってしまうところです。みなさんがテレビや映画などで見る、華やかな場面だけで生活しているのではなく、その裏には大変な苦労もあれば、そこだけで見せることが出来る本当の自分の姿があるのだと思います。
よく、『メリハリをつけて行動しなさい』といわれます。それは、常に気を張って生活をしなさいということではなく、姿勢を正さなければならない場面ではしっかりと集中し、リラックスできる場面では、しっかり心とからだを休めましょうということです。
特に小6、中3の受験学年の生徒にとっては、入試が近づくにつれ、気の張る場面の割合が大きくなってくると思います。これまで多くの受験生を見てきた先生が言えるのは、遊び上手な生徒ほど、土壇場の集中力があるということです。もちろん全員がそうであるとは言えません。ただ、2つの自分をコントロールできる人が、周りに影響されることなく、自分のやるべきことをやれるのではないでしょうか。
すべての受験生にいえることですが、受験がゴールではありません。受験はハードルです。乗り越えた先には、必ず次のハードルがあります。全力を出し切っての受験ではなく、しっかりその先までを見据えて、メリハリのある勉強を続けていきましょう。
君たちは「ノミ」を知っているだろうか。大きいものでも数ミリ、下手すると見落としてしまうほどの大きさである。しかし跳躍力においては世界新記録保持者である。何しろ自分の身長の800倍も跳ぶのだから。
このノミを使って1つの実験が行われました。ノミが跳び出そうとすれば飛び出せるぐらいの高さのガラスの広口瓶にノミを入れ、上にガラス板でフタをしておく。ノミは逃げ出そうとして何度もジャンプ、そのたびにガラスのふたにぶつかります。数日するとフタを取ってもノミは跳び上がって逃げようとはしません。
次の実験はカマスという魚を使いました。中央をガラスで仕切った水槽の片方にカマスを入れ、もう片方にはえさをぶら下げておきます。カマスはエサを食べようとして何度もガラス板にぶつかります。そのうちにあきらめてガラス板をはずしても、エサを食べに行かずに餓死してしまいます。
人間はこんなことはないと思うでしょうが、実際に人間を使った実験や、実例があるそうです。1883年、オランダ。「3分の1の血液を失ったら死ぬ」ということをベッドに縛り付けた犯罪者に知らせておき、犯罪者の足の指をメスで切ります。そして足元の容器にはポタポタと音をたてて血液が落ちていきます。しばらくしてそばにいた医師が「まもなく3分の1になります。」それを聞いた犯罪者は静かに息を引き取りました。実は足には痛みだけを与え、血液の代わりに容器に水をたらして音を出していました。
また、アメリカのある鉄道会社では、社員が冷蔵庫の中で作業をしていましたが、外から扉を閉められ鍵を掛けられてしまいました。1日後にその社員が凍死しているのが発見されたそうです。しかし、冷蔵庫の電源は入っていなかったのです。
動物と人間の場合は少し状況が異なりますが、共通するのは「思い込み・あきらめ」が悲劇につながるということ。受験勉強もいよいよ本格化しますし、受験学年でなくても勉強が難しくなる時期です。「解けない・苦手」などの思い込みや、「どうせダメ・やってもムダ」とあきらめていませんか?
「学問のすゝめ」と言われたら、「福沢諭吉」とすぐに浮かびます。そう、あの1万円札の人ですね。
先生が初めて「福沢諭吉」について習ったのは小学校の頃でしたが、直後の小テストに出たので特に覚えています。
「学問のすゝめ」の有名なフレーズとして、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉を強調して習いましたよね?
だから、先生は当時、と言っても実は最近まで、人類の平等を訴えた偉い人なんだと思っていました。素直な気持ちで。
しかし、少し前に突然気になったんです。平等を訴えることと、学問をすすめることに何のつながりがあるんだろう???
調べてみました。
そうしたら、その続きとして「と云えり」とあって、今風にいうと「言われている」になります。
あれ?伝聞?ちなみに、アメリカ独立宣言からの引用だそうです。
まぁ、そこからさらに続いて「実際は違って、貧富の差などがある→それはなぜか?→学問をしている人としていない人の違いだ→学問をしよう!」と、ちゃんと学問を勧めています。
ここまで知れば、タイトルにも納得がいきますよね?
ここまで来て先生は、もっと早く調べておけばよかったと思いました。そして、物事の表面だけしか見ていなかったんだと反省しました。
みんなにも、いままでは当たり前だと思って気にもしていなかったことや、気になったけど「まぁいいか」で済ませてしまっていることはありませんか?
勉強がいつの間にかただの作業になってはいませんか?
「なぜ?」を大切にしましょう。本来何かを新しく知るということは楽しいことです。
ただ、目の前のテストのために、または、受験のためにだけ勉強するのではもったいないと思います。
今勉強していることは、みんなの将来の幅を広げてくれます。そして、将来でもまた、みんなの幅を広げてくれます。
大人になっても勉強は続きます。常に自分を磨いていかないといけません。
より良い人材を社会は求めますからね。
だから、気になったら調べよう!どう調べていいかわからなければ先生に相談しましょう!
というわけで、これが先生の「学問のすゝめ」です。
みなさん、「古典芸能」というものを知っていますか。国語で学ぶ和歌や俳句、社会の歴史で語句として学ぶ能楽や歌舞伎などがそれに当たります。そういう言葉は知っているけれど、聴いたこと、観たことのある人は少ないと思います。先生の中学・高校の友人には地元では有名な能楽一家がいましたし、実家の近くには歌舞伎小屋様式で有名な劇場もあります。幼い頃から、先生の周りには「古典芸能」にふれる環境がありました。
そんな「古典芸能好き(?)」の先生が影響を受けた方の一人が、一度だけお会いしたことがある噺家(落語を演じる人)の故・桂枝雀さんです。枝雀さんの落語の話だけで何時間も語ってしまいそうなので、ここでは枝雀さんのよく言われていた「約束と想像」という言葉をみなさんに紹介したいと思います。
落語には、「座布団に座る」、「かぜとまんだら(扇子とてぬぐい)はこういうときに使う」という約束ごとがあります。また、聴く人、観る人の「想像力」がなければ、落語は成立しません。同じようにみなさんにも、能開生として、「日付とテーマを書く」、「赤線を引く」、「webテストに取り組む」など統一した約束があります。みなさんの一人一人の中には、「マーカーの色」、「ふせんの使い方」、「1週間の学習の流れ」といった工夫しながら作リ上げた勉強の約束があると思います。
では、勉強における「想像」とはどんなことがあるでしょうか。それは、今取り組んでいる勉強によって、自分がどうなっていくかをイメージすることです。「このノートまとめのおかげで来週の通常テストで満点をとれる」、「冬期講習会の小テストで1位を取る」、「合格発表を見てガッツポーズをする」、「医者になって苦しんでいる患者さんを助ける」など、近い未来から遠い未来までの自分を想像しながら勉強に取り組んでください。その「想像」がみなさんの勉強の「もうあとひと踏ん張り」に力を貸してくれるはずです。勉強における「約束と想像」を大切にして日々の学習に取り組んでいってほしいと思います。