先生は昔から映画を観ることが好きでした。
ストーリーが終わるとすぐにテレビを消して「はい、おしまい。あ~面白かった~!」
でもある人からこんなお話を聞いて、ちょっとだけ映画の楽しみ方が変わりました。

「映画が終わってから流れるエンドクレジット、あれがまたいい感じなんだよな~」

エンドクレジットとは、簡単に言うと、映画が終わったあとに、その映画をつくった人や
協力してくれた人や会社の名前が流れている部分です。
先生にはその人の言うことが理解できませんでした。
「名前とかがひたすら音楽といっしょに流れてくるだけでしょ?」そう思っていたからです。
先生はその人に質問をしました。
「何で?どこがいいの?だってお話は終わったじゃない?」と。

するとその人は言いました。
「だって、この映画を最後まで完成させるために、こんなにたくさんの人ががんばったんだよ。面白かった!って今思えたり、感動できたりするのは、出会ったことのないたくさんの人のおかげなんだよ。だから僕は、映画は最後の最後、エンドクレジットが終わるまで観てこそ、本当にその映画を楽しんだと言えると思うんだ。」と。

先生はびっくりしました。
その話を聞いてから、先生はエンドクレジットが終わるまで映画を観るようになりました。
1時間半、2時間という作品を創り上げるために関わったたくさんの人たちや会社の名前。
きっと作品をつくった人たちにとっては、
「みんなでがんばれてよかった。関わったみんな、ありがとう。観てくれたみんな、ありがとう。」
また、観ている人たちにとっては、
「こんなすてきな映画をつくってくれてありがとう。」
<ありがとうがたくさん伝わる時間>それがエンドクレジットだと考えるようになりました。

作品に関わった人に直接「ありがとう」を言うことはできないけれど、たとえば外国の映画であれば、1人でも名前が読めたら、その人への「ありがとう」の代わりになるのではないかと思いました。うっかりするとシューッと人の名前が上に流れていってしまうので、先生にとってはスピードも勝負!出てきた登場人物の名前がわかるとうれしくなったり、読めん!という名前で困ったり、英語じゃないし!という別の言語に迷ったり(笑)。途中からはちょっと変わった楽しみ方もしていましたね。
みなさんがこれから過ごす夏休みにも、きっと色々な人が関わってくることでしょう。
主人公は自分。そして周りにいる人たちがあなたの物語を彩ってくれます。
山あり谷ありの冒険話、ジーンと感動するようなストーリー、ゲラゲラ笑い転げそうになるおもしろい話など、どんなお話になるのでしょう?

夏が始まる前の今だからこそ、伝えます。夏が終わったときに、関わった人たちみんなに「ありがとう」と思えるようになってほしい。そして、本当にありがとうと言える人になるには、やっぱり全力でがんばること。映画に関わった人ががんばったからこそ、観た人が感動するのと同じ。適当な人の「ありがとう」はうすっぺらい。力いっぱいがんばった人の「ありがとう」はきっとたくさんの人に届くはずです。

「ありがとうを言いたい人がたくさんいます!」
エンドクレジットにたくさんの人の名前がある。そんな夏休みになりますように。

 みなさんが能開に通う理由はなんですか?「志望校に合格したいから」「友達が通っているから」「親に言われたから」「能開が好きだから」様々な理由があるでしょう。それか一つではなく二つ三つ理由を挙げられるかもしれません。
 何年か前に生徒に聞いてみたところ、「志望校に合格したいから」の理由が最も多かったことを覚えています。
 では、なぜ志望校に合格したいのでしょうか?
 「そこでしか学べないことがあるから?」「入りたい部活があるから?」「家から近いから?」「カッコイイから?」「進学実績がいいから?」「校風に憧れるから?」「友達が行くから?」「親に言われているから?」
 これも同じく様々な理由があると思います。(決してこの理由でなくてはダメ!というのはありません。)
 ただし「なんとなく」だけはいけません。努力し続けるには根気が必要です。その努力を支えるには明確な理由が必要です。
 先生が皆さんに伝えたいことは、なぜ志望するのかを明確にして欲しいということです。
 なんとなくではなく「東京大学理Ⅲに行くにはこの高校しかない!」「野球部に入って甲子園目指す!」「TOP校に入って友人の○○君にドヤ顔をする!」と具体的に決めて下さい。
 まだ決められないよという生徒はその高校の情報を集めると良いと思います。
 その高校に通う先輩の話を聞く。その高校の進学実績を把握する。その高校はどの部活が強いのか調べる…視野を広げれば多くの情報が転がっているはずです。
 明確な目標は、努力し続ける皆さんの支えとなります。
 この夏の講習会、合宿は明確な目標に近づくものにして下さい。

 夏休みが近づいてきましたね。

 私の学生時代は、残念ながら毎日毎日一生懸命に勉強してきたわけではありません。だから毎週教室に来るみんなの顔を見たり、他の先生たちからみんなの話を聞いたりして「能開の生徒たちはすごいな」といつも思っています。
 
 優等生ではなくても、大学を卒業するためには卒業論文を書かなくてはいけませんでした。書くにあたって、まずはテーマを何にしようかと考えました。別のゼミにいた友だちに話を聞くと、すでにテーマがいくつか決まっていてその中から選ぶという、うらやましいゼミもありました。(しかしそのゼミは普段はとっても厳しいところでした。)
 しかし、私が所属していたゼミの先生はそんな親切なことはしてくれません。それまで先生の部屋に一人でたずねていくと、“これから社会に出て生きるとは”という説教を必ずされましたからね。どれだけ手のかかる学生だったかが、わかるでしょう。ギリギリまで悩んだ挙句に持っていったテーマは、「学生の逸脱行動」について調べるものでした。当時は、大学に置いてある傘や自転車をとっていく(無断で借りていく)ということが日常的に起こっていたからです。なぜそんなことをするのだろう?

 先生にテーマを伝える時は、ドキドキしました。友だちに協力してもらい、なるべくたくさんの人のアンケートをとって調査することは決めていましたが、それからどうすればよいかわからなかったことや、テーマそのものを認めてもらえないのではないかと思ったからです。しかし先生はテーマを選んだ理由を聞いて言ってくれました。「そう。身近なことから問題意識が出てくるものよ。」と。ほめられたわけではありませんが、とてもうれしかったことは覚えています。
 そこからは、かなり時間がかかりました。アンケートを友だちや後輩やアルバイト仲間に依頼をかけ、できるだけ多く回収して、集計して、コンピューターに打ち込んで、ということを一人でやらなければいけないので、当然時間はかかります。でもとても楽しかった。自分が今やっていることは、与えられた勉強ではなくて、「自分で」調べて、その結果をもとに「自分で」なぜこうなるのかを頭をひねって考えて言葉にすること。苦しい時間でしたが、同時にわくわくするような愉しい時間でもありました。

 卒業論文に近いのは、みんなにとっては「自由研究」でしょうか。講習会の宿題でわからないところを調べるのもそうですね。今度の夏期講習では、自分が“なぜ”と思ったことやわからないことを調べる愉しさ(たのしさ)をぜひ体験してもらいたいと思います。たとえそれがテストの問題には出なくても、その愉しさをきっとずっと覚えているでしょう。

みなさんはテストが好きですか?
大好き!と答える人はなかなかいないと思います。自信があってもなくても結果がでてしまいますからね。それでは、なぜテストをするのでしょうか?

先生は能開の先生になる前に、ある会社で車の運転席、助手席の前についているCDやラジオ(カーオーディオと言います)を作っていました。本体や部品ではなく、その機械のもっと中にあって指令を出す、システム開発を担当していました。システムがなければ機械はただの箱です。何かボタンを押すと、音量が変わったり、次の曲へ行ったり、早送り、巻き戻し、CDを取り出すなどあらゆる指令をだすメインシステムの開発です。先生はそのプログラムを作っていました。
プログラムを作る仕事はとても楽しかったのですが、製品を作って世の中に売り出すためには必ず乗り越えなければいけない試練がありました。それがテストです。
製品を作る会社には必ずと言っていいほど、テストを専門にしている部署があります。そこでは、作られた製品をあらゆる方法でテストしていきます。CDを裏返しで入れてしまったらどうなるか?1曲も入っていないCDを再生しようとしたらどうなるか?CDと間違ってDVDをいれてしまった場合どうなるか?など本当にいろいろなことを確認します。
そしてダメな部分を指摘されます。指摘箇所を修正する。を繰り返して完璧な状態に作りこんでいくのです。テストをすることでより自分の製品の質が高まっていと実感していました。

さて、みなさんが普段能開で受けているテストも似ていると思いませんか?みなさんを製品と例えるのは失礼かもしれませんが、まだまだ質が上がる可能性があるので、テストをして、指摘を受けて、指摘箇所を修正する。それを繰り返す。するとより質が高まっていく。こう考えると、テストをする理由は同じですよね。
テストは指摘をもらえる機会と考えれば、テストはみなさんの質を上げるチャンスです。指摘をもらったときは落ち込むこともあるかもしれません。先生もそうでしたから(笑)。でもこれを乗り越えるともっと良い自分に出会える、と考えてみてはどうでしょうか。きっと普段のテストにも、テスト結果の受け止め方も変わってくると思いますよ!みなさんは、将来世の中に出る立派な製品?にならなければいけないのですから。

さあ今日もみなさんに指摘するためのテストをしますよ!

先日、石川県出身の松井秀喜氏が国民栄誉賞を受賞しました。地元の出身者が国民栄誉賞に選ばれることは大変うれしいことです。先生も自分のことのように喜びました。
ところで君たちは「松井秀喜氏」を知っていますか?地元の人であれば当然知っているかと思いますが簡単にプロフィールを紹介したいと思います。
生まれは石川県能美郡の根上町です。いちやく注目を浴びるようになったのは星稜高校時代です。その豪快なバッティングから「ゴジラ」と呼ばれていました。甲子園でもホームランを量産しました。チームの4番打者として1年生のときからレギュラーでした。高校時代に有名だったのは高校3年生の夏の甲子園でも5打席連続敬遠。これは現在も高校野球界には語り継がれています。そしてプロ野球としても読売ジャイアンツでホームラン王、打点王の2冠を獲得するなどの活躍、そして大リーグでもヤンキースでもMVPの獲得など、野球人としての活躍はめざましいものがありました。
ただ、彼が今回国民栄誉賞を獲得できたのは単純に野球で実績を残したからというだけではないはずです。彼の「人間性」にあったと思います。
1つは「努力する才能」です。日本のプロ野球時代の長島さんとの練習後の部屋での素振り練習は有名です。正規の練習だけではなく、少しでもうまくなりたいということで誰よりも努力をおしまない、そんな姿勢があると思います。もう1つは「謙虚な心」です。引退会見での言葉の中で印象に残ったのは
「名監督ばかりに導かれた選手生活だった。感謝を込め、まずは監督について話したい」というコメントです。自分の力ではなく色々な人に支えられてこそできたことだと謙虚な心が表れていると思います。謙虚な心があったからこそ、色々なことを素直に吸収できたのだと思います。またイベントがあっても途中で帰ることなく最後までつきあう部分や、マスコミに対しての対応もすごくよいという評判でした。そんな人間性の部分も認められて今回の国民栄誉賞につながったのではないかと思います。

君たちも今は将来の夢に向かって頑張っていると思います。能開に通っている君たちは確かに勉強はできると思います。しかし、ただ勉強ができるだけの人間になっていませんか?
勉強ができるだけではなく、「人間性」も必要ではないでしょうか?
そのためにあるのが能開会員の「16の決まり」です。(一部抜粋)
1、 あいさつは元気よくすること
2、 遅刻しないこと
3、 遅刻・欠席の場合は必ず連絡を入れること
10、授業中の聴く態度がしっかりとできるように
12、先生達への言葉遣いに注意する
15、ほかの人の迷惑となるようなことはしないこと

一部ですが、当たり前のことですよね?「人に出会ったときにあいさつをしない」、ありえないですよね。「約束ごとに遅れるとき、行けなくなったときには必ず相手に連絡を入れる」「人の話をしっかりと聴く」「目上の人に対しては敬語を使う」「他の人の迷惑となるようなことはしない」どれも当たり前のことです。能開会員の「16の決まり」は何も特別なことをルールとしているのではありません。社会に出てしっかりと通用していく人間になるために、「人間性」を身につけていくために必須のものです。約1年前に「16の決まり」が配られたと思いますが、今一度初心に返って「16の決まり」を意識して行動していきましょう。日々実行していくことで習慣化されます。君たちも松井秀喜氏のように「野球(勉強)ができるだけではなく、人間性を備えた人」になっていきましょう。

「病は気から」という言葉をみなさんは聞いたことがありますか?意味は『病気は、その人の心の持ち方しだいで軽くもなるし、また重くもなるということ。』です。
先生は小さい頃から車酔いがひどくバス遠足が大嫌いでした。でもそんな先生に先生のお母さんに「はい、酔い止め薬。だから頑張って行ってきてね!」と薬を飲まされてバス遠足に行きました。さすがの酔い止め薬!見事車酔いをせずに先生は遠足から帰宅しました。ところが最近になって先生はお母さんから「そう言えば小さい頃車酔いがひどかったから酔い止め薬飲ませていたけど、実はビタミン剤だったんだよ。」と告白されました。まさに「病は気から」を実感しました。

 「病は気から」とは少し離れますが、勉強に関してはどうでしょう?
Aさん…悪い言葉の魔法使い、Bさん…良い言葉の魔法使い

【勉強が難しいとき】
A「勉強が難しい。どうせ自分になんか出来ないから。」→出来ないと思っているからやらない。
B「勉強が難しい。でも少しでも出来るようになりたい!」→辞書使って調べたり質問したりする。

【勉強がたくさんあるとき】
A「宿題たくさんあって面倒だなぁ。」→面倒だからやらない、やらないから溜まる。
B「宿題たくさんあるけど今日は○ページまではやろう」
→目標に向けて取り組むのでコツコツ宿題ができる。

【(部活や習い事で】疲れたとき】
A「(部活や習い事で)疲れたから、勉強は塾だけでいいや。」→勉強は能開だけ。
B「(部活や習い事で)疲れたけど、1時間だけでもがんばろう。」→1時間だけでも勉強をがんばる。

AさんとBさんと比べてみて1年後どちらの成績が伸びていると思いますか?
みなさんも言葉の魔法を使えることができます。だからみなさんはいくらでも良くも悪くも変わることができます。みなさんは「悪い言葉の魔法使い」「良い言葉の魔法使い」どちらの魔法使いになりますか?

楽しかったゴールデンウィークも終わり、1学期もいよいよ後半戦に入りました。気の早い人は、夏休みまであと何日と数えているかもしれませんね。

先生も夏が楽しみなのは、やっぱり夏休みがあるからかな。ちょっとまとまった休みがあれば、どこにだっていけるよ。水曜どうでしょうって番組を知っているかな? 夜行バスや車を使って全国に行って色んな経験をするのだけど、これがほんとに面白いんだよ。色々大変な目にも遭っているけど、それも含めて家にいたら絶対にできない経験ばかりだ。【夜行バスに乗り続けると、尻の肉が取れる夢を見る】とか、【きれいな景色を見すぎてはいけない、同じ景色は人の精神を破壊する】とかね。この番組を見ると旅をしたくなる。新しい世界を自分の目で見たくなる。機会があったら見ておくと良いよ。

先生のころは【なるほどザワールド】という番組があって、今なら【世界の果てまで行ってQ】かな? 世界中にレポーターが飛んで、いろんな国をクイズ形式で紹介してくれる番組があったんだよ。そのころは香港とスペインに行きたかったかな。まぁ今ならタイとか台湾だね。思いっきり日本語通じるし、ご飯美味しそうだし。

でもね、結局、先生は行かなかったんだよ。『パスポート取るのが面倒』『宿泊所の予約とるのが面倒』『どのバスや列車に乗れば良いのか調べられない』『お金が…』とかね。色々理由をつけて何もしなかった。今ではそれを後悔している。そう思えるようになったのは石川に来てからだ。それまで地元から出ることなく生活していた先生が、居心地の良い地元を捨ててこっちに来たことで、一気に世界が広がった。

一つは携帯電話を持つようになったこと。分からないことは何でも調べられるようになった。現在位置、目的地、行き方、何でも分かる。それに加えて、夜行バスを使うようになった。夜行バスを使えば朝起きれば東京だ。値段だって片道4千円くらいだ。一泊する場所? ネットカフェ使えば、シャワーもパソコンも漫画もあって3千円くらいですむ。合計1万円ちょっとあれば、東京まで往復して一泊してこれる。

こんな経験をした先生は、もう本州ならどこにだっていける。大都市には夜行バスが通っているし、ネカフェもある。到着してからの道案内は携帯が教えてくれる。もう、青森のねぶた祭りだろうが、下関のふぐだろうが手の届くところにあるわけだ。

ただ、どこにだっていけるようになったけど、残念なことに今度は休みが取れなくなった。まあ働くということはそういうことだ。だから学生のうちに世界を広げておけばよかったと後悔している。ちょっと先生は世界を広げるタイミングが遅かった。大学にいる間にねぶたもふぐも行っとけば良かった。沖縄の海で泳いで、北海道の流氷を見ておけばよかった。

だから君たちにこの話をする。自分の世界を広げてみたいと思わないか? 行きたいと思ったときにどこにだっていける自由を手に入れてみないか? 君たちを地元につなぎとめている鎖を切りたいとは思わないか? ただ、君たちにいきなり先生と同じ『夜行バス+ネカフェ』はレベルが高すぎる。なので、安全はこちらで確保した状態で、色々な経験ができるように色んなコースを用意した。

先生のお勧めは『南の島の大冒険合宿』だ。足の指が見えるくらい透明な海と、仲間と何かを成し遂げる経験は、間違いなく君たちを地元につなぐ鎖を切ってくれるだろう。次にお勧めは『北海道大自然特別合宿』だ。この合宿なら君たちが今まで文字でしか知らなかったことを、色々経験させてくれる。間違いなく世界が広がる。残念なお知らせもある。知らない街でも平気で歩ける自由を手に入れる東京トップリーダー合宿は、来年までお預けだ。国会議事堂や浅草の寄席、ディズニーシーを巡れば、知らない街を歩くことが難しいことじゃないことが分かるはずだったが、定員となってしまった。

さぁ君たち、この狭い日本くらいなら、どこにだっていける自由をほしいとは思わないか? 方法は簡単だ。ステップは次の二つだ。①決心すること。 ②親に相談すること。たったこの二つで、君たちの世界は驚くほど広がる。おうちの人が「勉強以外の合宿はちょっと…」って言うかもしれない。でも安心してほしい。『練成合宿』がある。勉強中心ではあるけど、ちゃんと普段はできない経験をできる仕掛けを作ってある。だから期待して参加してほしい。期待を裏切らない自信は有る。いずれにしろ定員になってしまったら夢と消えてしまう話だ。もし、行ってみたい合宿があったら、先生に声を掛けてほしい。あと定員まで何人なのか調べてあげよう。さぁ君はどんな自由を手に入れたい?

みなさんは、新しいことをはじめようと思いついたとき、「色々あるかもしれないけど、やってみよう」と思うタイプですか。それとも「上手くいかない理由が頭にうかんで、それはやめておいた方がいい」と思うタイプですか。

私は中学生の時、生徒会の役員をしていました。当時、私の中学校には合唱コンクールがなかったので、「生徒会で合唱コンクールをやりたい」と先生に伝えたところ、「2ヶ月後にコンクールをひらくのが条件」と言われました。コンクールの進め方を自分たちで決めて、学校のみんなにも説明をしてから、曲決め、練習、本番までの全部を2ヶ月でやりなさい、ということです。
私は「無謀すぎる。無理だ!」と思い、あきらめるように他の生徒会の人を説得しました。しかし、まわりの熱意に負けて、結局「わかった。やる!」と言ってしまいました…。

そしてその後、2ヶ月間がんばって取り組んだ結果、合唱コンクールは大成功しました。そしてコンクールは20年たった今でも行なわれています。
なぜ合唱コンクールは成功したのだと思いますか?
思いつくことはいくつかあります。でも、成功をさせるための理由が、最初からわかっていたはずもありません。成功した理由は後からわかることです。「どうやれば上手くいくのか」と考えるよりも先に、まずは全力でやってみることです。やっている途中で、成功の種がでてきます。それがやがて芽をだし、花となるのです。

冒頭の質問に戻ると、私は「上手くいかない理由が先に思いつくタイプ」です。だからこそ、あのとき、とにかく「やる!」と言い切ったことが、とても大切なことだったと思います。
結局は「やったものだけが成功できる」のです。恐れず、進んでください。

皆さんは、インパクトに残っているCMってありますか?
先生にはたくさんあります。例えば
「スコーンスコーン湖池屋スコーン・・・カリっとサクっと美味しいスコーン」」のダンスのCM。あのリズムが印象的でした。
「ファミコンウォーズが出るぞ~~~こいつはどえらいシュミレーション~~~母ちゃんたちには内緒だぞ」のCM。軍服を着た外国人が整列してジョギングしながら「母ちゃんたちには内緒だぞ」がとても滑稽でした・・・。ちょっと皆さんにはわからないCMですかね。実は映像も頭に残っています。皆もありますよね?
最近だと、東進の林先生の「今でしょ?」、これ絶対、皆大人になっても覚えているCMになると思いますよ。
別に覚えようとしたわけではないのですが、それでも耳に残っています。頭に残っています。

ところで「きく」というと3つの「きく」が存在しますがわかりますか?
「聞く」、「聴く」、「訊く」の3つです。
聞く:英語だとhearでしょうか。耳に情報が入ってくる、つまり聞こえるって意味です。
聴く:英語だとlisten toでしょうか。意識して耳から入れるって意味で、傾聴という言葉もありますね。
訊く:相手に尋ねること、質問するって意味です。たずねるは「訊ねる」とも書けます。

先ほどのCMですが、CMをきく時はどの「きく」なんでしょうか?
普通は「聞く」でしょう。意識しなくても耳に入ってきますよね。でも繰り返し耳にすると記憶に残りませんか?先生は、別に意識して覚えようとしたわけではありませんが、記憶に残っています。
じゃあ、意識して「聴」いてかつそれを繰り返し聴いたら、もっと記憶に残りますよね?絶対残るはずです。
ですので、皆さんはまず様々な人の話を真剣に「聴」いて下さい。
授業とか勉強の内容は繰り返し「聴」いてください。そして、以前話したことあると思うけど、繰り返し聴くにはどうすればよいか?それは「発音」です。発音すれば、それは必ず耳に届いていますので、耳から入ってきます。繰り返し発音すれば、耳に繰り返しその内容を入れることになります。「嫌でござんすペリーさん=1853年、ペリー浦賀に来航」とか「坂下君、賢い、古文単語のさかし=賢い」とか、「maintain、メインテインは意味2つで、主張する、と、維持する」とかどんどん発音して耳から入れてみましょう。

これがシンプルな「効く」勉強方法です。ぜひ、「聴く」と「音読」を「繰り返す」ことを大切にして欲しいと思います。

先生のお話は以上です。

みなさんは「三日・三月・三年(みっか・みつき・さんねん)」という言葉を耳にしたことがありますか。元は芸事や修行の心構えから来ている言葉で、「三日我慢すれば三ヶ月は耐えられる。三ヶ月耐えられれば三年は頑張れる。」という意味のようです。しかし、最近は会社に入社して辞めたいと考える時期(入社してからの年数)という意味で使われます。
みなさんに会社に入社してといってもピンと来ないので、中学生なら部活動、小学生であれば習い事を頭に浮かべてもらうとわかりやすいと思います。
先生の経験を話すと、先生は中学生の時、陸上部でした。といっても自分から陸上をしたいと思って入部したわけではなく、背が高く、小学校の時に市の陸上記録会で入賞したというだけの理由で半ば強制的に入部させられました。結果的には楽しかったのですが。
そのとき、まず入部して「三日」は、とにかくやること全てが初めてでがむしゃらに取り組みました。その練習量と先輩たちのスピードを目の当たりにして、さらには両足の筋肉痛に、これを続けていけるのかとても不安でした。周りの体験入部していた子たちも、無理だと思ったのか1人減り、2人減りの状態が続きました。結局、最初に来た半分の20人くらいが残ったと記憶しています。
「三月」が過ぎると、夏場に差し掛かります。炎天下、一番きつかったのは、練習最後にあった6Kmジョギングでした。ジョギングはとなり町の小学校までの往復なのですが、なんと顧問の先生が車で後ろから追いかけてくるのです。長距離が苦手だった先生は砲丸投げの友達といつも最後尾を走り、何度、車にひかれると思ったことか。この頃、練習がきついと言う理由とただ走っているだけではつまらないという理由で、野球部やテニス部に移っていった仲間がいました。
「三年」経つと、先生も高校生になり、入試で休んでいた陸上を再び始めようかとも思いましたが、元々やりたかったバレー部に入部しました。陸上をやっていたおかげで、練習にはすぐ慣れ、ジャンプ力も先輩と大差ないところからスタートできたのはちょっとうれしかったです。
さて、三日は文字どおり3日、三月は日数でいえば約100日。三年は日数でいえば約1,000日です。100日、1,000日という月日は、目に見える単に技術的な向上だけでなく、実は様々な経験が、目に見えない他にも通用する基盤を作り上げているのです。そのことは、自信へとつながり、新たなことにチャレンジするために再スタートを切る節目となることもあります。
この春から能開に参加した皆さん、そして三年以上会員を続けている皆さん、「地道」なコツコツの積み重ねこそが「自分」を作るのです。何事も辞めたいと思うときはあります。真剣に取り組む人ほど壁が立ちはだかるものです。しかし続けるために考え、悩み、工夫することが人としての成長を促してくれるものと信じます。
最後に能開五訓の言葉を贈ります。

「断じて中途でやめるな。中断はゼロである。」