1709199月になり受験生は本格的な追い込みの学習がスタートしてきます。
勉強が好きでなくても、入試という現実的な壁は時間を追うごとに迫ってきます。

現実的な壁と心の壁は別物だと先生は認識していますし、皆さんも認識しましょう。
心の壁とは自分自身が作ってしまう壁のことです。
例えば、「目標通り学習が進まない」「成績が上がらない」など、ネガティブになってしまうことが心の壁です。

この壁は自分自身が取り払えるのではないでしょうか。
現実的な壁は避けられませんが、心の壁はいつでも新しい壁を作ることはできます。
1つの心の壁が苦痛になれば消去すれば済みます。
いつまでも壁と立ち向かっても越えられないなら切り替えることが大事です。

この心のジャッジが受験生には必要と思います。

そこで、次に現れるのが「心象風景」でしょう。
この風景は無敵ですよ。
心の中で良いイメージを持ち、その良いイメージに向かって自分が進んでいることを想い浮かべるだけです。

例えば、「成績が上がって褒められる風景」「部活で活躍している風景」「志望校に合格した瞬間の風景」などいろんな前向きな風景を描くことができます。

どのように自分自身をコントロールしていくか。
受験だけでなく、これからの人生で「心象風景」は自分自身を高めていくアイテムになりますよ。費用は無料です。

170911みなさんが日頃、勉強した成果は、学校のテストや受験などで結果として表れます。そのためには情報を記憶する、それも短期間で大量に覚えた人が有利です。
思考力? 作文力? それらも経験値をパターン化して覚えればよいわけです。
では、効率よく学習するにはどうすればいいでしょうか。語呂合わせや暗記法、一問一答などでラクして覚えるよりも、参考書やインターネットでじっくり調べながら、しっかり記憶が定着するように科目の枠を超えて学習してみませんか?
例としてことわざ「急がば回れ」を楽しみながら覚えてみましょう。このことわざは、わざわざ遠回りをしなさい、というわけではなく、「選択を誤るな。充分な情報をもって事にあたれ」ということです。

昔、連歌師の「宗長(そうちょう)」が詠んだ
「武士(もののふ)の矢橋(やばせ)の船は早くとも 急がば回れ瀬田の長橋」
という歌がこのことわざのもとになっています。
「東海道で京まで行くには矢橋の渡し船を使って琵琶湖を横断したほうが近道だが、琵琶湖西側にある標高848mの比叡山から吹き降ろす突風で船が転覆する危険があるため、確実な移動方法を選ぶならば瀬田の唐橋(長橋)を渡って大津に行くほうが良い」

琵琶湖と言えば滋賀県にある日本一の面積を誇る湖です。そしてここで向かう場所は大津(現在の滋賀県県庁所在地)です。その西部にある比叡山延暦寺は、最澄が建立したのですが、比叡山が天台宗の修行場としてふさわしい「厳しい自然環境」だったこともうかがわれます。
また、昔の戦術においても、味方同士が待ち合わせて同時攻撃をするためには渡し舟では到着時刻が不確定なため、瀬田の唐橋経由で正確な合流時刻を決めた、とも言われます。「唐橋を制する者は天下を制す」というくらい、ここでは歴史上多くの戦がありました。
こういったことをなぞらえながら覚えていくことが国語(ことわざ)・算数(速さ)・理科(季節風)・社会(歴史・地理)を学習する、ということではないでしょうか。

早く着くことが目的ではなく、勝つことが目的
早く覚えることが目的ではなく、深く理解することが目的

むやみやたら勉強するのではなく、じっくり考えながら、自分なりの策を練って2学期の戦(定期テスト、検定試験)に備えましょう。

170904「あなたが言う『美しいもの』とはどういうものですか」

写真に興味を持ち、カメラの使い方と、写真の取り方を教えてくれるセミナーに参加してきました。旅先での風景を見たままきれいに撮影できれば楽しいだろうな、と思ったからです。冒頭の言葉は、そのセミナーでカメラマンの先生がおっしゃったことです。そして、「『美しいもの』とは人それぞれに感じ方が違うもの。私が美しいと思うものを、あなたはそう思わないかもしれない。感じ方は人それぞれ。あなたの『美しい』はどういうものなのか、具体的な言葉で説明してもらわないと、美しくとるための的確なアドバイスはできない」と。
そのカメラマンの先生が美しいと感じるのは「コントラスト」で、光の明暗、色の対比に美しさを感じるそうです。そんな写真を撮るために、撮影場所を事前に何度も見に行ったり、撮影当日の天気を確認したりと様々な準備をし、機材を整えてから撮影に臨むとおっしゃっていました。

さて、皆さんは身近にあることを、具体的な言葉で言い表してみたことはありますか。皆さんは学生ですから、「受験」や「勉強」について考えてみましょう。
「あなたが言う『受験』/『勉強』とはどういうものですか」
例えば、ある生徒はこう答えました。
「受験」とは将来の夢を叶えるためにある。だから、毎日必ず最低3時間以上は机に向かい、定期テストは、絶対8割取るぞ!

当たり前にあるものを「こういうものだ」と具体的に言うのは難しいかもしれませんが、具体的な言葉を使って自分の考えをまとめると、そこに近づくために自分がしなければならないことがはっきりしますし、それは目標にもなります。具体的になった自分の考えや目標を、周りの人たちに伝え、共有することができれば、的確なアドバイスが得られる機会も増えることになります。

2学期のスタートです。「よし、がんばろう!」と前向きな気持ちを持ってスタートを切ることは大切なことです。新たな始まりのとき、せっかくですから、何をどうがんばるのかを具体的な言葉にして、それを達成するために自分は何をすればよいのかを考えてスタートを切ってみるのはどうでしょうか。

170828今年もティエラの夏合宿が終わりました。みなさんの中には、いずれかのコースに参加して一生懸命頑張った人も多いことでしょう。

さて、「東京トップリーダー合宿」では今年、日本の「ものづくり」を支えている東京都大田区の町工場を訪ねました。大田区では、その世界に誇る高い技術力を持った町工場が力を合わせ、冬季オリンピックで走るボブスレーを開発する「下町ボブスレーネットワークプロジェクト」が進められています。大田区で作ったボブスレーがオリンピックの舞台で活躍することで、その最高レベルの技術を世界にアピールしようというわけです。
より速く走れるそりを目指して、何度も挑戦し、2018年のピョンチャン五輪では、なんとジャマイカチームがその機体に乗ることが決定しました。他国のボブスレーのそりは、BMWやフェラーリなど、世界的に超有名な自動車メーカーが関わって作っているわけですから、日本の小さな町工場の作ったそりがオリンピックに登場するなんて、本当にすごいことなのです。(ちなみに日本のチームは、ドイツ製のそりで走るのだそう…)
合宿では、この「下町ボブスレー」で、そりを発進させるときに選手が押す“プッシュバー”という部品を作っている会社の社長さんにお話を聞くことができました。
社長さんは、この「下町ボブスレー」を通じて、町工場同志の絆が深まったとおっしゃっています。大田区では「仲間まわし」という文化があり、一つの会社ではできないことも、それぞれの得意な部分をまわし合うことで、高性能な製品を短期間で作り上げることができるという強みがあります。まさに、「下町ボブスレー」のそりも、この「仲間まわし」によって作られています。しかし、工場の数がどんどん減っていったり、取引先が地方にあったりすることで、「下町ボブスレー」に参加するまで、どんな会社なのかくわしく知らなかったり、他の町工場に親しい人はいなかったのだとか。でも、同じ夢に向かって力を合わせるようになったことで、相手のことを知ることができ、互いの状況を考えて仕事をし、熱意やプロ意識を共有しながら、信頼し合って仕事ができる関係へと変わっていったのだそうです。
一人ではできないことも、それぞれが全力で頑張り協力すれば、素晴らしい結果を生み出すことができるのですね。

ふと、合宿に参加していた生徒のみんなの、話に耳を傾ける真剣な表情を見ながら、これはまさに合宿でも同じことだなとしみじみと思いました。最初はよく知らないメンバーで班を作り、少しずつ打ち解けて、目標を達成するために自分の役割を果たし、お互いを思いやる──。
合宿という場所で、大田区の「仲間まわし」と同じことを、みんなは体験しているんじゃないかと思ったのです。東京トップだけではなく、他の合宿でも同じでしょう。合宿という日常を離れた場所で、一緒に頑張った「仲間」が、合宿に参加したみなさんにはきっといるはずです。そこで共に分かち合った喜びや苦しみを、決してその合宿かぎりのものにしないでください。ふだんの生活では、一人で頑張らなければならないこともあるでしょう。しんどいなと感じる時もあるでしょうが、そんな時こそ、「みんなとあんなに頑張ったんだから絶対大丈夫!」と自分にはっぱをかけてください。
この夏、仲間と踏み出した一歩を、もっと前進させるために、本物のエネルギーに変えるために、自分と仲間の力を信じて、秋からも頑張っていきましょう!

170821今年の夏合宿でも、各地で受験合宿が開催され、多くの受験生が参加しました。

受験合宿には「入試体験」というプログラムがあります。この入試体験では、合宿に参加している生徒たちが、志望校選びから願書提出、試験本番、そして合格発表と、本番さながらの流れで、入試を体験します。

合宿の中でのプログラムとはいえ、最後の合格発表は緊張の瞬間です。合格した生徒と不合格だった生徒が一瞬で分かれ、歓声や落胆のため息が聞こえてきます。

この入試体験で合格できた人には「おめでとう」と言いたいですね。でも本物の入試での合格の喜びは、この数十倍以上の感動や喜びがあります。その喜びを本当に味わえるように、9月からも気持ちを緩めることなく勉強を続けてください。入試体験で不合格だった人が死に物狂いで追い上げてきますから、油断はできませんよ。

逆にこの入試体験で不合格だった人は、この時期で良かったと思ってください。本気になれば、まだまだ追い上げることができます。大切なのは今までの自分に足りなかったことが何かをしっかり見つめること。勉強とゲームの時間を区別せずダラダラしていなかったか、授業と授業のスキマ時間を無駄にしていなかったか、目標を設けずに毎日の勉強を何となく続けていなかったか…。そういったことを見直せば、本番の入試で合格できるチャンスは十分にあります。

入試体験で合格した人も不合格だった人も、大切なのは頭のスイッチを切り替えて「本物の受験生になる」と決意すること、そして受験生としてやるべきことを実行することです(何をするべきかは、能開の先生に相談してください)。受験合宿に参加できなかった人も同じですね。あと数ヵ月後に間違いなく受験がやってくるわけですから、ここからが本当の勝負だと思ってください。

過去に合格した先輩たちは、夏合宿や夏講習をきっかけに、本気で受験勉強に取り組んだという声が少なくありませんでした。そう、合否を分けるのはここからの数ヶ月の過ごし方です。本物の受験生になって、来年の春に合格を勝ち取ってください。先生たちが応援しています。

170807「男子、三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ」という慣用句があります。原文は『三国志演義』が出典で、呉(ご)の武将(ぶしょう)呂蒙(りょもう)の故事から出ています。

こんな逸話(いつわ)です。

呂蒙という人は、呉王(ごおう)孫権(そんけん)に度々重んじられてきましたが、家がもともと貧しく、学問に触れる機会もなかったこともあり、武力一辺倒で学問に全く興味のない人でした。そのため、書類なども自分が話した内容を聞き取らせて、部下に作成してもらっていたそうです。そんな呂蒙の学識のなさを笑って、人々は、「呉下の阿蒙(ごかのあもう)」とからかっていたのです。「阿蒙」というのは、今で言う「蒙ちゃん」といったニュアンスで、さげすんだ言い方ではなく、親しみを込めて、「おばかな蒙ちゃん」的な感じでからかっていました。
そんないつまでも「阿蒙」のままでいる呂蒙を見かねた呉王孫権は呂蒙に学問を勧めましたが、はじめのうち呂蒙は「軍中は何かと忙しく、書物を読む時間を取れない」と言い返していました。しかし、孫権は「博士になろうとしなくていいから、歴史を見渡して見識を広めてみてはどうか」と、どの書物を読んで学ぶべきかを教えたともいいます。国王にそこまで言われたら、やらざるをえません。呂蒙は発奮して、勉学にも本腰を入れ、やがて本職の儒学者たちをもしのぐほど読書をし、勉強を続け、見る見るうちに教養を身につけます。
勇猛(ゆうもう)なだけで無学であった呂蒙を軽蔑(けいべつ)していた知識人の魯粛(ろしゅく)は、日に日に上がる呂蒙の評判を聞いて挨拶(あいさつ)に向かいました。実際に語り合った呂蒙は、以前とは比べ物にならないくらい豊かな学識を兼ね備えた大人物へと成長していたのです。
おどろいた魯粛は、「昔言われていた『呉下の阿蒙』であったとはとても思えない」と称賛(しょうさん)しました。これに対して呂蒙は「士別れて三日、即(すなわ)ち更(さら)に刮目(かつもく)して相待すべし」、つまり「士たるもの、別れて三日もすれば大いに成長しているものであって、また次に会う時が目をこすって違う目でみなければなりませんよ」と答えたのです。

人間だれもが能力を持っている。外見からはわからないほど、色々な能力をもっているのである。この慣用句も、三日間というわずかな時間でも人間は変わることができるということを言っているのですが、この呂蒙の逸話から、みなさんには3つの大切な事をわかってもらいたいのです。

一つは、孫権が呂蒙に学問を勧めたこと。つまり、変わるための「きっかけ」があったとうこと。
一つは、呂蒙が変わることができたのは、変わるために勉学に励むなど努力を続けたということ。つまり、人は自分の考え方や行いを「変える」ことで、変わるんだということ。
一つは、呂蒙は、自分のためを思って言ってくれる孫権の言葉を「素直」に受け入れたこと。
つまり呂蒙は、孫権の言葉を「きっかけ」に、「素直」にその言葉に従い、自分を「変える」ための努力を惜しまなかったことで大いに成長できたのです。

この夏、君たちは講習会や合宿などで、多くの「きっかけ」に出会えると思います。そんな「きっかけ」をうまくつかんで、自分を変えてみませんか。

170731「怖いリンゴの絵を書いてください」と言われるとみなさんはどんな絵を書きますか。
テレビ番組で、何人かにこの指示を出してどんな絵を書くのか実験したところ、ほとんどの人が「怖い顔をしたリンゴ」の絵を書き、個性があまり出なかったそうです。
ところが「リンゴに顔は書かないでください」という制約を設けたところ、リンゴの周りに墓場の絵を書いたり、リンゴにナイフが刺さった絵だったり、怪しい模様のリンゴから毒々しい液体が出ている絵を書いたりと、様々なアイデアが盛り込まれた個性豊かな絵が集まったそうです。

なんでも自由にできる環境よりも、逆に「制約」のある状況の方が、限られた中でなんとかしようと創意工夫するため、良いものができることがあります。
先生は映画を良く観るのですが、新人監督が低予算で斬新なアイデアの映画を作って注目を浴び、映画会社がその監督に多額の予算を使わせて新作を撮らせると、見た目はすごいけれどアイデアに乏しいつまらない映画になることがよくあります。お金という制約がなくなったことで、思考が散漫になるからかもしれませんね。

勉強も同じことが言えると思います。日々の勉強で「時間が足りない」「部活との両立がしんどい」など、様々な場面で「制約」を感じるときがあるでしょう。そんな大変な時こそ、どうすればできるのか考え、創意工夫し、自分を高めるチャンスです。そしてこの夏、合宿に参加するみなさんは、普段感じない不自由さの中で大きく成長してください。

170724誰もが知っている推理漫画『名探偵コナン』。
初登場から四半世紀近くの歳月が流れた今でも絶大な支持を得ながら、現在、コミックスは93巻まで刊行され、テレビアニメは22年目を迎えています。
また、劇場版アニメも年1本のペースで計21作公開され、ここ最近では4年連続で最高興行収入を更新し続けるなど、国民的作品として、ますます上昇傾向の人気を誇っています。

大人顔負けの抜群の頭脳を持つ高校生探偵・工藤新一。彼は、黒尽くめの男たちによって試作段階の毒薬を飲まされ、身体が縮んで幼児化してしまいます。
自分が生きていることを知られたら再び命を狙われて周囲の人間も巻き添えにされてしまうため、正体を隠して江戸川コナンと名乗り、黒の組織の行方を追いながら、持ち前の推理力と洞察力、更には万能アイテムを駆使して、次々に起きる警察もお手上げの難事件を解決していく。そんなストーリーなのですが、アニメ版第652~655話「毒と幻のデザイン」では、目の錯覚を利用したいくつかの幾何学的なトリックを使ったある事件が発生しました。

その中の1つは「ジャストロー錯視」。心理学者のジャストローが100年以上前に発見した、まったく同じ大きさのカマボコのような扇型の図形を並べると、扇の中心の側に置いたものが大きく見えるという誤認識で、本編では、大きく見えるバウムクーヘンの方に毒が降り掛けられていました。
ミュラー・リヤー錯視やツェルナー錯視など、形の錯視だけでも実に多くの種類が存在します。加えて、明るさや色の錯視もあり、一度調べてみると面白いですよ。

もう1つは「ゲシュタルト崩壊」。ゲシュタルトとは、ドイツ語で「形態・姿」というまとまりのある構造を意味します。
本編では「若」という漢字が使われていましたが、一つの漢字を長時間注視することにより、その漢字の各部分がバラバラに見え始め、よく知ったものでも、その漢字が何という文字だったかわからなくなってきます。
すなわち、姿かたちが壊れて全体性が失われてしまい、個々の構造部分に切り離して認識し直してしまう知覚現象なのですが、漢字ドリルでの練習などで、何度も同じ漢字を書き続けたときに、こんな感覚になったことはありませんか。(夏目漱石の小説「門」の冒頭近くでも、この現象に関連する場面が出てきます。)
例えば、「借」「貯」「弾」「秋」「粉」など、別々に意味を持った文字で構成される漢字は特に崩壊しやすいようです。(解・話・勇・校・較・明…、挙げればきりがありません。)

黒の組織の陰謀によって数々の苦境にさらされ続けてきたコナンですが、今回の事件に限らず、彼はいつも、正義の心と勇気を持って、謎に立ち向かっていきます。
そして、真実を解き明かすためには、どんな状況になっても諦めるということをしません。自分の大切な人たちが危機にさらされたとき、どうすれば助けることができるのか、どうすることが最善なのか、どうすれば居場所を特定できるのか、という風に、「どうすれば今の目的が達成できるか?」ということだけを考えています。つまり、コナンの生き方は、常に、「何でできないのか?」ではなく、「どうすればできるのか?」というポジティブな考えがベースになっています。
人は、否定的な問いかけを自分にすると、自己暗示が進行してどんどん自分に自信がなくなり、失敗を恐れ、何もできなくなってしまいます。逆に、肯定的な問いかけができるようになると、ふとしたときに解決策が浮かんできたりします。この「どうすればできるのか?」という問いかけには、これから達成しようとする目的に対して、「自分ができない」というネガティブな要素がありません。
だから、自分に対するマイナスイメージも軽減されます。問いかけ一つを変えるだけで、何か問題(壁)にぶつかったときの行動も、まったく別のものに変わるのです。

暑くて長い夏休み、頑張ろうとしている勉強のたいへんさにめげそうになったとき、コナンの前向きな思考をぜひ思い出してくださいね。

170718プールサイダーという言葉があります。プールで飲むサイダーじゃないよ。念のため。

プールサイダーと言うのは、プールの横(プールサイド)に立って、自分は泳がないのに、タイムが遅いとか、フォームが良くないとか、他人の泳ぎをいろいろと批判する人のことだそうです。確かにプールに行くと、せっかくなのに自分は水の中に入らず、他人が泳ぐのを見ているだけの人もいますね。でも、泳ぐ楽しさや難しさは、実際に泳いだ人にしかわからないものです。

皆さんの周りにも、そんな人はいないでしょうか。勉強や部活、スポーツなど、他人のことをいろいろと批判するのに、それには参加しようとしない人です。評論家タイプの人ですね。

もしかすると、参加する勇気がないのかもしれません。失敗して笑われることが恐いのかもしれません。あるいは、本気になれば自分はいつでもできると思っているのかもしれません。でもやっぱり、見るのと参加するのとは違います。

勉強でも部活でもスポーツでも、参加して初めてわかることがあります。失敗した悔しさは、次こそ頑張ろうという気持ちにつながります。失敗を次に生かすために、いろいろと工夫が生まれますね。そして、うまくできたときの喜びは、仲間と分かち合うことで何倍も大きくなります。でもそういったことは、プールサイダーのまま傍観者でいると、経験できないことなのです。

いよいよ夏休みが始まります。いろんなことにチャンレンジできるのが夏休みです。見る人から参加する人へ、思い切って踏み出してください。

170710これは有名構文を使った英文で、小中学生の皆さんにはちょっと難しいかもしれませんが、「カーナビと道路地図の関係は、先生と参考書の関係と同じだ」という意味です。何を言いたいか、今から説明します。

皆さんの家にある車にカーナビは付いているでしょうか?昔は、高級車にしかついていない時代もありましたが、今やグレードによっては軽自動車にも標準で付いているので珍しくありません。
1990年頃にGPS搭載のカーナビが発売されたそうですので、まだ歴史は浅いのにあっという間に普及しました。それくらい便利なアイテムです。
実は先生は、カーナビを付けていません。理由は金が無い…ではなく頼りたくないから、です。その代わり、道路地図を車に入れて、困ったらその道路地図を見て目的地に行きます。それが楽しいし、それで困ったことはないので必要性を感じません。
おかげで道は裏道も含めてかなり詳しいです。先生の友人は、カーナビに依存しすぎて、ナビなしでは自宅近辺以外は怖くて移動できないそうです。
今は便利な時代で、車のギアをR(バック)に入れると、バックモニターがカーナビの画面に映り綺麗に駐車ができる機能もありますが、先生は付けていません。理由は、頼りすぎるとバックモニターの無い車の車庫入れができなくなりそうだから、です。腰痛が酷くなって運転がきつくなったらつける予定ですが…。

便利なものはとても役に立つのですが、頼りすぎるのはよくないと先生は考えます。先生達は、授業中に「参考書出して」とよく言いますよね?まずは、自分の力で問題と向き合い、解ききって欲しいから、です。簡単な英単語は自分で辞書で調べて、赤線内に書く、これが勉強です。先生に聞けば早いけど、それでは定着しないのです。
教室のブース内に学習定着率の表「ラーニングピラミッド」が貼ってあるので、見てわかると思うけど、人から口頭で教えられたことって、あまり頭に残らないものです。自分の頭で考えたり調べたことの方が長く頭に残ります。先ほどのカーナビと同じです。カーナビに依存している人は道を覚えなくなります。これはカーナビ使用者の多くが口を揃えて言います。
もし問題を解いていて困ったら(わからなかったら)、先生に聞く、ではなく、まずは参考書で類似問題を調べてその解法をよく読んでください。その意味がわからなかったら、先生に聞く。これを習慣化しましょう。これができるようになると、大人になっても困りません。
でもこれがゴールではありません。究極は参考書など使わずに問題を解ける状態にすることです。入試本番では誰にも、何にも依存することなく、問題を解かないといけないわけですから…。