190225皆さんは普段使っている言葉の正しい意味を知っていますか?普通に使われているからと言って、その言葉の使い方が正しいとは限りません。
以下誤用の多い言葉ランキングからの参照です。
■穿った見方
→ ×ひねくれた見方 ○うまく本質をついた見方
■姑息(な手段) 
→ ×ひきょうであるさま ○一時しのぎであるさま
■確信犯
→ ×悪いとわかっていながらする犯罪 ○信念の下「正しいことだ」と思い込んでする犯罪

これらの言葉は、正しい意味で使っても通じないことが多いのではないでしょうか。意味が通じる方が誤用で、通じない方が正しいなんて、おかしな話ですよね。しかし、言葉は生き物とも言われ、常に変化し続けています。誤用が広まり、本来の意味を上書きしてしまうなんてこともよくあります。(約1000年前、清少納言は枕草子の中で、言葉の乱れを嘆いていました。)

そんな変化する言葉に対応するため、辞書は何度も改訂を重ねています。辞書の代表格「広辞苑」では、新版を出した時には既に次の改訂の編集が始まっているそうです。というのも、新版の編集が終った段階で、既に改善したい言葉が出てきているし、今回は載せられなかったけれど、次回の候補として残った言葉もあるからです。

時代は言葉以上に変化が大きいです。2020年の教育改革で、勉強の仕方も大きく変わります。受験が終った人も、これから受験する人も、次へのステップはもう始まっています。皆さんも常に自分自身のアップデートを重ね、激動の時代を乗り越えてください。

190218みなさんは「いだてん」という言葉を聞いたことがありますか?そう、今年のNHK大河ドラマのタイトルですね。このドラマは、日本で初めてオリンピックに出場し、日本の「マラソンの父」と呼ばれた金栗四三(かなくりしそう)さんという人物を題材としたお話。まだ序盤ですが、なかなか面白いので、毎週楽しみに見ています。
ちなみに「いだてん(韋駄天)」とは、古代インドのバラモン教を発祥とする、とても足の速い神様のこと。お釈迦様の骨を持って逃げた鬼を走って追いかけ、一瞬で骨を取り返したというお話があります。マラソンランナーとして人生を走り抜けた主人公が登場するドラマにはぴったりなタイトルです。

そして、このドラマの題字やポスター制作を手がけているのが、世界的に有名なグラフィックデザイナーであり画家でもある横尾忠則さん。御年82歳にして、いまだ精力的に創作活動を行っており、その作風はかなり斬新で独特なので、一度目にしたら忘れられないようなインパクトがあります。そんな横尾さんが手がけた今回のドラマの題字ロゴも、かなりユニークなものなので、「何これ?」と一瞬びっくりします。興味がある人はその由来や意味を調べてみても面白いでしょう。

横尾さんは、作中で描かれるマラソンというテーマにも深く共感したのだそうです。マラソンは、喜びも苦しみも、全て詰まっている「人生そのもののようだ」と横尾さんは語っています。ランナーの走る姿に、それまでの努力やその人の生きざまが色濃く表れるからなのでしょう。
確かにマラソンは長い人生全体にも例えられると思いますが、皆さんが目標としている志望校合格への道のりだって、マラソンのようなものではないでしょうか。合格という目標までの、過酷なレースを戦うマラソンランナー。走りきるための体力をつけ、どんなペースでどんな風に走るか、自分に足りないものは何か、常に考えながら力を尽くす。時にはくじけそうになっても、また走り出す。果てしなく遠いように思えるゴールへの道のりも、一歩一歩、自分の足で近づいていく。そんな風にして苦しみながらゴールにたどり着いた時の喜びは、何物にも代えがたいものなのではないでしょうか。

今年、すでにゴールにたどり着いた喜びを手にした人も、長い人生の中ではまだ通過点。次の目標に向かうためのレースが始まります。これからラストスパートという人も、そしてこれから目標に向かってスタートを切る人も、力の限り走り切ってください。
「いだてん」のように颯爽と駆け抜けることはできなくても、みなさんが自分なりのペースで、自分の足で走り切る姿が、きっと最高にかっこいいと思いますよ。

190212みなさんもよく知っている「ウサギとカメ」の話。ウサギとカメが競走をし、脚の速いウサギはカメをどんどん引き離して、カメが来るまで少し待とうと余裕しゃくしゃくで居眠りを始めます。カメはウサギが寝ている間に着実に歩を進め、遂にはウサギを追い越して先にゴールするという話です。
勝てるはずのウサギが油断をしてカメに負けたことから「油断大敵」という教訓を、そして、最後まで頑張り続けるカメの姿勢を通して「諦めないことの大切さ」を私たちに伝える話です。

そんな「ウサギとカメ」の話ですが、見方を変えればこんな解釈もできます。
ウサギが競走中に意識していたこと。それは「カメになら勝てる」「カメはまだまだ後ろだから大丈夫」というように、カメのことだけでした。一方のカメが見ていたものは、ウサギの脚の速さやウサギが今どこにいるかではなく、自分が目指している「ゴール」でした。カメはまわりの状況に左右されず、最後まで目標を見失わずに歩み続けたから勝てたのです。

受験生は入試本番まであと少しとなりました。この時期になると「自分は全受験生の中で何番目なのだろうか」「自分の勉強量は他のみんなと比べてどうだろうか」とまわりの状況を意識しすぎるあまり不安になりがちです。
大切なことは、第一志望校だけを見つめ、ただひたすら自分の学力と得点力を本番まで高めていくこと。日々積み重ねる努力を自信に変えながら、一歩一歩力強い歩みを続けてゴールへ向かいましょう。

190204芥川龍之介の「蜘蛛(くも)の糸」
このとても短い小説をみなさんは読んだことがありますか?

あらすじは、悪いことばかりしていた泥棒が、ただ一匹の蜘蛛を助けるという良い行いをしたことで、お釈迦様が「地獄から助けてあげよう」と一本の細い蜘蛛の糸を極楽から地獄に下ろします。その蜘蛛の糸を使って泥棒が極楽に向かって上っていきます。ですが、その後ろにたくさんの人が同じようについてくるのです。泥棒はびっくりして「これはオレのだから上ってくるな!」と声をかけたとたん、蜘蛛の糸は切れてしまい、泥棒はまた地獄に逆戻りになってしまいました。

この物語を読むと、人に優しくしないといけないな、悪いことはしてはいけないんだと感想を持つ人が多いと思います。

ですが、この蜘蛛の糸を題材にした、この感想とは違ったすごく面白い自由研究の記事を見つけました。
山陽新聞デジタルに
【理数教育研究所が全国の小中高生から募った「算数・数学の自由研究作品コンクール」で、岡山県の小学5年生が「蜘蛛の糸」を題材に地獄と極楽の世界の間を人が何時間で移動できるかを計算し、最優秀、優秀賞に次ぐ特別賞の栄誉を手にした。】とありました。
研究の内容は、【「蜘蛛の糸」に登場する泥棒の男が何万里もある地獄から極楽の世界の間を蜘蛛の糸を登ったことに着目し、必要な時間を計算。極楽までの距離を1万里(約4万キロ)と仮定し、近所の公園の登り棒で人が登る速さを計測。そこから12.7年かかることを導き「実際は登り棒より細く登りにくいので、さらに時間がかかる」とまとめた。作中で約千人が登っても切れなかった蜘蛛の糸の強度も割り出した。】
と書かれていました。

単純に「おもしろい!」と思って、インターネットで検索し、実際の作品を覗いてみると、5ページにまとめられた立派なレポートになっていました。

さて、皆さんは身の回りのことで「ん?」と不思議に思った時、どうしていますか?
そのままほったらかしにせず、ぜひ調べたり考えたりしてみてください。人に聞いたり意見を出し合ったりしてみてください。そうすることで色々な考え方を知ることができ、自分の知識の幅を大きく広げることができると思います。
毎日、身の回りの不思議をキャッチして、「おもしろそう!」と感じたことにはどんどん挑戦してみよう!

190128昨今の将棋界は、大きなうねりが巻き起こり、何かと話題に事欠きません。印象的なのは、「新星・藤井聡太七段の登場と快進撃」「おちゃめな“ひふみん”人気」「コンピュータ将棋ソフトの劇的な進化」、そして昨年末、「天才棋士・羽生善治プロ、27年振りの無冠転落決定」というショッキングなニュースが舞い込んできたことです。

若いときからずっと一線で活躍し、圧巻のタイトル連続保持記録をはじめとする羽生善治九段(2018.12.25より)の戦績の凄さは、とても一言では説明できません。ただ、異競技のチェスの腕前も全国レベル、2018年には国民栄誉賞を受賞、AIにも造詣が深い識者である彼は、「日本史上最強の棋士」であると言っても過言ではないでしょう。今回の一件は、平成の終わりと共に混迷の戦国時代への突入を予感させる、将棋界の歴史が動いた瞬間であったように思います。

羽生善治九段は30年以上の間輝かしいキャリアを経てきましたが、その道のりは山あり谷ありの連続でした。時折、自分の欠点が浮き彫りになった状況であっても、彼は欠点の多くは長所の裏返しと捉え、自分の短所を直そうと無理にがんばって矯正すれば、自分のかたちに何か狂いが生じ、更に調子が落ち、長所までが崩れてしまうと考えました。だから、負けがこんでも「足りない部分が明らかにされている」時と認識し、自分にしかない「方位磁石」をじっくりと磨くことを大事にしました。

また、過去の百戦練磨の体験から、「才能」について、羽生善治九段は次のように話しています。
「報われないかもしれないところで、同じ情熱・気力・モチベーションを持って継続しているのは非常に大変なことであり、それこそが才能だ。」

今まさに受験シーズン。目の前の試験やその先の将来に対して、どうしても不安になることが多い時期だと思います。その道を志して少しずつ積み重ねていけば、気が付けば着実に前進しています。今できることをひたむきに続けていくという健全さが必要なのですね。ゴールは遠くとも、一歩一歩進んでいきましょう。

190121先週の末に面白いニュースが飛び込んできました。

鹿児島県の内之浦宇宙空間観測所から打ち上げられた日本のイプシロンロケットに、世界で初めて流れ星を作り出す小型衛星が搭載されていたというものです。打ち上げは無事に成功し、衛星は無事に軌道に乗ったそうです。

この衛星「ALE(エール)-1」が、宇宙空間で流れ星の素になる直径1センチ程度の金属球を放出すると、地球を約三分の一周してから大気圏に突入し、上空60キロ~80キロの高さで輝きながら燃え尽きるため、地上では、直径200キロの範囲で流れ星を鑑賞できます。実験で使う流星源は天然の流れ星の素となる物質より大きく、ゆっくりと大気圏に突入するので、天然の流れ星より長く光り続けることができるそうです。

一方で、このプロジェクトでは、人工流れ星を投下することで、自然界の隕石や流れ星のメカニズムを解明したり、人工衛星や国際宇宙ステーションなどの人工物を大気圏に突入させて安全に廃棄させるためのデータ収集にも役立てていく目的もあるそうです。

まずは2020年の春に(来年です!)瀬戸内海の上空で人工流れ星の実験を行います。そして将来的には1回で数10個の流れ星の素を投下して、大きなイベントなどで活用することが期待されています。

流れ星に願いをかけるとそれが実現するといわれていますが、その瞬間をとらえるのが難しいもの。でもこの人工流れ星プロジェクトが成功すれば、願いをかける時間をたっぷりかけられるようになるかもれませんね。

190115「鶏が先か、卵が先か」という言葉を聞いたことがありますよね。
みなさんはどちらが先だと思いますか?

ある生化学者によると、「鶏が先」だと結論づけている。
(鶏の中に卵のカラを作る細胞があったから)
しかし、ある学者は、「その最初の鶏」が存在するためには「卵」があったと反論(笑)。

一方で、数学者によると「卵が先」と結論づけている。
卵の数と鶏の数を数学的に予測していくと、卵から鶏の数は予測できたが、
鶏から卵の数は予測できないと。

さて、これが神学となると
神の創造したものに「鳥」がある。したがって「鶏が先」

仏教的になると
時間は永遠に繰り返されるという概念がある。
つまり、「はじまりはない」という結論になる。

・・・

見方・視点が違えば、結論は違う。
もちろん、どれも正しいと思います。

たとえば、「得意な科目」は何ですか?と聞かれたときに
多くの人が答えるのは「好きな科目」か「点数が取れる」科目でしょう。
「好きが先」か「点数が先」か…人ぞれぞれ。

好きになるために毎日毎日あの科目大好き!と唱える? 笑
苦手な科目を克服して好きになって得意にする? 笑

何でもいいでしょう。たくさんのやり方があるんです。それを見つけていくのが本当の勉強の楽しみです。失敗してもいいですから、自分が一番楽しい方法で努力するのが一番だと思います。

1901072019年を迎えました。
アポロ計画で宇宙飛行士のニール・アームストロングとバズ・オルドリンが月面に着陸したのが1969年の7月20日。今年はそこからちょうど50年となるわけです。

さて、今回は『重力』に関するお話です。
まず宇宙は無重力空間といわれています。
地上では重力の影響で地上に立つことができますが、宇宙ではそれができません。
ふわふわと浮いている状態になってしまいます。
この状態で起こるといわれるのが「宇宙酔い」です。
吐き気や頭痛、方向感覚がおかしくなるというような症状が出ます。

そもそも人間の体は重力のある環境で存在するようにできています。
皆さんの体を流れる血液は、両足から重力に逆らって心臓まで戻ります。
重力がなくなると勢い良く上昇し、脳にまで流れ込んでしまうそうです。
地上で逆さづりにされるような状態というと、想像しやすいですね。

宇宙飛行士になるには、これに耐えられるように訓練を繰り返すようです。
(もちろんそれ以外の訓練もありますが。)
また、宇宙空間では重力の影響がないため、筋肉がどんどんとやせ衰えていくそうで、そのため、宇宙船内では毎日数時間の運動が行なわれています。

実は重力がある(=重さがある・負荷がある)ことをで、私たちの身体は鍛えられているのですね。これって毎日の勉強に似ていると思いませんか。しんどいなと思いながらも、少しずつ勉強を続けることで、知らず知らずのうちに、皆さんは力がついているのです。

世間では民間人による宇宙旅行も話題になり、宇宙がすごく身近なものになったように思われます。将来、皆さんの中から宇宙飛行士になる人が出てくるかもしれませんね。

181225いよいよ、12月も終わりに差しかかり、入試本番が近づいてきました。受験というのは、どんなに準備しても、不安というものは減りませんよね。そんな不安にも負けず、受験に合格できる「最強の受験生」になるためには、どうすればいいのか?こんな話があります。

入試前日、先生は必ず持ち物の確認をする時に、何かあってはいけないので、余裕を持って持参するようにと話します。例えばシャーペンは1本で問題ありませんが、こわれてしまっては困るので、2本持っていくこと。消しゴムも落ちてしまってはいけないので、2つ(しかも1つは転がりにくい新品の角が取れていないもの)を持っていくこと。しかも筆箱を持ち込めないので、輪ゴムで筆記用具を止めて机の上に置くこと。などを確認します。

入試当日。Aくんは、開始前の時間に、困っている様子の生徒を見つけたそうです。聞いてみると(全く知らない人なのに、声をかけてあげるというのもスゴイのですが)消しゴムを持っていないとのこと。迷わず2つ持っている消しゴムの1つを貸してあげたそうです。
入試が終わって、Aくんは自分のことを話す前に、先生にその消しゴムを忘れた生徒の話を真っ先にしてくれました。名前もわからないその生徒の合格を一番気にしていました。自分のことを差し置いて、その生徒のことばかり言うのです。
Aくんは、見事第一志望校であるその学校に合格し、入学式を迎えました。入学式の日に、Aくんは帰りにわざわざ教室に来てくれました。来たとたん、
「やっとあいつの名前がわかった!」
と言うのです。聞いてみると、なんと、その消しゴムを貸した生徒が同じクラスにいたそうです。初日から友だちになり、喜んで報告をしに来てくれたのです。こういうことがあるなんて…。様々な受験生を先生も見てきましたが、この話は本当に驚きでした。

もしかしたら、「最強の受験生」というのは、自分のことだけを考えるのではなく、周りの人のことを考えることができる人なのではないか…?などとAくんの話を振り返りながら改めて思うのです。
ここから入試が近づいてくればくるほど、自分自身に余裕がなくなり、周りのことが見えなくなってしまいます。でも、少し考えてみるとわかるのですが、みなさんは様々な人の助けを得ながら、ここまでたどりつけたはずです。そういう人たちに感謝の気持ちを持って受験にのぞみませんか?
そうすれば、「最強の受験生」に一歩近づけるかもしれません。

181217「平成」の元号が用いられる最後の2学期がいよいよ終わりになろうとしていますね。皆さんは、この1年間をどのように振り返るでしょうか。さまざまな「変化」があったことと思います。
 
「変化」といえば、我々が使っている言葉もまた、その時代背景や状況によって変化しています。その例をいくつか見てみようと思います。

まずは英語です。

皆さんが英語の時間に習う”shall”。学校では”Shall we dance?”のように誘いの言葉として使うと習ったと思います。しかし、shallはれっきとした助動詞で、肯定文・否定文で主語が一人称(I, we)の場合、「shall」は「…だろう」という意味になります。
(例) ”I shall return.(俺は必ず戻ってくるぞ!)”
また、肯定文・否定文で主語が二人称(you)の場合、「shall」は「…させよう」「あなたは…することになるだろう」という意味になります。
(例) ”You shall have a new computer for your birthday.(誕生日にパソコンを買ってあげよう。)”
しかし、今のアメリカ人はほぼ99%この用法で”shall”は使いません。
この助動詞”shall”は聖書ではよく出てくる単語なのだとか。いずれにせよ、古い用法なのですね。
 
次は我々が普段使う日本語でも考えてみましょう。

一番わかりやすい例が「ありがたい」ですね。
現代では感謝を表しますが、古典では「めったにない」が第1義として使われます。「めったにない」という用法が今でも使われていないわけではありませんが、普段の会話ではあまりお目にかからないですよね。
もとは、仏教から来た言葉で、出典は『法句経(ほっくきょう)』の、「ひとの生をうくるはかたく、死すべきものの、生命あるもありがたし」である、と言われています。人と生まれた生命の驚きを教える教えで、「有り難し」とは、人の生命の尊さへ目覚めた、大いなる感動を表す言葉でもあり、それがいつしか感謝の意味とされるようになったそうです。
また、「かわいい」という意味の言葉は古典では「かなし(愛し)」となり、古典で「かはゆし」は本来「相手がまばゆいほどに(地位などで)優れていて、顔向けしにくい」という感覚で「気恥ずかしい」という意味だったものが、「正視しにくいが放置しておけない」の感覚から、「いたわしい」「気の毒だ」の意味に変わり、かわいそうな相手を気遣っていたわる感覚から、今一般的に使われている「愛らしい」の意味に変わった、と言われています。
このように、言葉は時代によって変化し続けているのです。

君たちも「平成」の世に生まれてきたわけですが、「平成」もあと半年弱で終わりを迎え、次の時代になっていきます。そのときに、大事なものはそのままにしつつ、新しいものには柔軟に対応できるようになりたいものですね。
2018年も残りわずかとなりましたが、来年2019年は新しい元号の元年となることからも、新たなものに挑戦する気持ちを持ってほしいと思います。
能開・ホロンで勉強する君たちならやれるはずです。がんばっていきましょう!