191015ある日、魔法使いが一人の少年の前にあらわれて、一粒の魔法薬をプレゼントしました。
どんな魔法薬なのかというと、これから学習する知識や問題の解き方を一瞬で習得できてしまう魔法薬なのだといいます。
少年は毒でも入っているのではないかと疑いましたが、お母さんからテストの点数で怒られたばかりでむしゃくしゃしていたので、思い切って魔法薬を飲んでしまいました。

翌朝、目が覚めてリビングへ行くと新聞が目に入りました。するとどうでしょう。難しい漢字ばかりのはずなのに、隅々まで読み方も、何が書いてあるのかも分かってしまいます。

「魔法使いが言っていたことは本当だったんだ!」

それからというもの、教科書に書いてあることも、授業で先生がお話しになることも、知っていることばかり。テストはいつも満点。

少年は有名な難関中学校に合格。優等生として周りから尊敬され、楽しい学校生活を送り、何の苦労もせずに日本一難しい大学に首席で合格しました。

大学の入学式の日。あの魔法使いが再びあらわれました。

「あれからもう8年になるが、すっかり背も伸びて立派になったね」
「はい!あなたには本当に感謝しています。何か恩返しができれば良いのですが」
「いやいや。これから十分に楽しませてもらうから大丈夫だよ」
「楽しませてもらう…ですか?」

魔法使いが何を楽しみにしているのか、よく分かりませんでしたが、
にたにたとほくそ笑む様子が不気味で、逃げるように魔法使いと別れました。

数日後、大学の講義が始まると、今までになかったような、いや、とても懐かしい感覚を覚えます。
講義内容に知らないこと、分からないことがあるのです。

大学のテキストをパラパラめくると、知っていることも少しは書いてありますが、知らないこともたくさん書いてあります。中には知らないことだらけの箇所もあります。書いてある意味の分からない箇所もあります。

「もしかして…」
そうです。あの魔法薬で習得できたのは、ちょうど高校卒業程度の知識までだったのです。

そして、この8年間でもっと経験しておくべきだったことがたくさんあることに気付かされ、その失った時間の大きさに呆然としてしまいました。


この物語はここで終わります。
その後、この主人公がどういった人生を歩んだのか、想像してみてください。
そして、もっと経験しておくべきだったこととは、どんなことだったのでしょうか。
あなたなら、魔法の薬をのみますか?

191007皆さんは、「クリアンサス デ フーア」という言葉を耳にされたことはありますか?
日本ではあまり見かけないストリートチルドレン、いわば路上生活をしている子どもたちのことを意味します。私がブラジルにいた頃に家族から常に言われていたことで、足を踏み入れることを禁止されていた場所の一つでした。

あることをきっかけに一度だけその子どもたちとお話をする機会があり、少し戸惑いながらも、自分の疑問をぶつけることにしました。それは、「なんで犯罪に手を染めるの?」という質問でした。その時の子どもたちの表情は、片時も忘れることのできないものでした。涙を流し、しかし力強く、「生きていくためだよ」とはっきりとした返答でした。

しかし、その次の瞬間に「将来の夢の話」をしてくれました。その子の夢は、「学校に行きたい、勉強をしたい」という、日本の子どもではおよそ夢になりえない内容でした。その表情もまた瞼に焼き付いています。今までに見たことのないくらい眼光鋭く、しかしながら、心の底からの笑顔でした。まさに、「決意の笑顔」そのものでした。

その時に、私の夢、そして目標も生まれました。ブラジルに学校を作りたいという途方もないくらい規模の大きなものです。その夢へはまだたどり着けていませんが、熱意の火は消えていません。

ティエラの教室で働く中で、ふとこの経験について思い出すことが数多くあります。教室の子どもたちも私に「決意の笑顔」を見せてくれているからです。「どんなに困難が目の前にあっても、笑顔でいられる強さを持とう」と、日々、子どもたちと話しています。

教室の子どもたちは、この理想的な思考を実際に行動へと繋ぐべく、毎日が笑顔のカーニバルみたいに活気がある空気で教室は満たされています。たくさんの笑顔の先にあるそれぞれの未来に期待を膨らませながら、私も笑顔で子どもたちと戦い続けています。その毎日に、感謝の気持ちでいっぱいです。

「ありがとう」という魔法の5文字を胸に、愉しく子どもたちの前に立ち続けると、第2の夢の息吹も芽生え始めている今日この頃です。

190930夏合宿に参加した人は、あれから1ヶ月が経ちました。「もう1ヶ月経つんだ!」と思う人、「まだ1ヶ月!」と思う人、みなさんはどちらでしょうか? 先生も勉強合宿ではないものの、運動の合宿に参加したことがあります。主に、身体能力を高めることが目的なのですが、日常ではできないトレーニングが用意されています。

人里離れた小学校の廃校跡を宿舎として利用し、快適とは言えない環境で開催されます。それぞれ自分の目的を持って参加していますので、その環境がどうかなんて問題ではありません。木の台に毛布を敷いただけのような寝床、季節は秋なのに、お風呂は水風呂。こう書いただけでも、初めて水風呂に足を入れた時の「ひぇ~」っという感じを思い出します。

合宿中は肉や油を使わない超薄味の食事で、昼と晩のみ。朝起きると、飴(あめ)を1つ配られます。飴をなめながら、早朝から散歩が始まるのですが、いつまでたっても終わりません。約4~5時間歩きまわります。途中で、砂丘(さきゅう)があったり、岩山があったりして、登るように指示されます。体力のある人は、走って登るとか○往復するというような、よりハードな指示があります。

宿舎では、柔軟体操や体を細分化する運動を主に行います。また、合宿中には、それぞれに応じたメニューが壁に掲示されていて、プログラムの合間やわずかな自由時間を使って、消化していきます。このメニュー量は個人差がありますが、各自の限界を超える程度の量になっています。

最終日前日には、班を組んで、最初から最後まで班員が離れることなく、歩くペースを一定に保ち、ゴールするというミッションが課されます。班員の歩幅や歩くペースは違いますから、歩みが遅れてあきらめ気分になったり、脱落しそうになる人、ペースを乱す人も出てきます。道に迷う班も出てきます。性別・年齢は異なり、健康強化のために来ている年配の人もいれば、オリンピックや格闘技の選手もいます。

それでも、お互いに励まし合いながら、班でまとまって歩くことを指示され、それを守りながら目的地へ向かいます。毎朝の散歩は、自分自身に向き合ったり、他の人の動きをみたり、この日のための訓練だったわけです。

みなさんが参加した合宿とも共通するところが多いにあると思います。非日常の場、不自由な環境、食事や生活のルール、基礎の訓練や本番(模擬入試・発表)への準備、自分の限界への挑戦、班行動や班員との協力。

合宿地から帰ってきた時の充実感や爽快感は素晴らしいものでした。しばらくは、合宿中と同じような、体の動きの良さや軽さを感じながら活動ができました。合宿に行く前と行った後では、大きな変化が感じられます。ただ、日常の中で消えていく感覚もあります。もしかしたら、自分のものとなって、違うステージにいることに慣れたからなのかもしれません。たった数日で、行く前よりもパワーアップできたと体感することができる。これは、合宿の魔法だと思いました。

みなさんは、自分の変化を今も感じますか?成長した自分を手に入れられましたか?この魔法を、日常で活かしていくことができれば、参加した目的を、合宿に参加したその先にある目標を、きっと達成することができます。

不自由な中で、見知らぬ人達の中で、自分がどんな風に感じて、どう行動するのか。こういった体験に、今この時期も、また将来も、入試や大学や社会の中で直面する場面が多々あります。このような経験を積んでおくと、いざ本番という時に、大きな気持ちで、余裕を持って、広い視野で、物事に向き合える器ができます。今年、合宿に行かなかった人、来年受験生になる人は、自分の成長のために、来年の夏、ぜひチャレンジしてみましょう。

190924新学期が始まり、はや1ヶ月が経過しようとしています。
運動会、体育大会、合唱コンクールなど、学校行事も多いなか、年間の中でも難しいことを学んでいくのが2学期です。

さて、皆さんは学習計画を作っていますか?
週間や一日、のように、期間はどんなものでも構いません。
「計画を立てるのは苦手。」「計画を作ってもなかなか上手くいかない。」など、よくあることですね。でも、計画を立てることで見えてくるさまざまなことも無視はできません。

予定通りに事が進めばとても嬉しいですね。また、逆の場合には改めて計画を練り直さなければなりません。とても面倒なことなのですが、そこには“嬉しい”“悔しい”といった感情の動きも出てきます。そういった心の動きが次に向けての動機付けになったりします。上手くいかない場合も諦めずに何度もトライしてみましょう。

「頑張ろう」と思えることはとても良いことです。でも、そう思えないときが一番大変ですね。そんなときも当然あります。だからこそ、頑張ろうと思えるきっかけを作っておくことがとても大切だと思います。

良いスタートを切るために準備してきた夏のさまざまな取り組みを活かすためにも、改めてこの1ヶ月を振り返ってみましょう。そして、自分なりの計画を作ってみてください。

190917とある人気グループのイベントの話をしたいと思います。その日は朝10時から開場で、早くから多くのお客さんが並んでいました。10時になり、スタッフが誘導を始めましたが、10時以降に来た人を優先して案内を始めました。実は、そのイベントには「10時前に並んではいけない」というルールがありました。その理由は、駅近くで行われるイベントのため、朝早くから行列ができてしまうと、他の人の迷惑になってしまうからです。そのため、きちんとルールを守った人から優先して中に入ることができ、ルールを守らなかった人は後回しにされました。

世の中には色々なルールがあり、中には強制されているように感じるものもあるかもしれませんが、ルールを守ることは非常に大切なことです。みんなが自分勝手に行動したらどうなるでしょう。「欲しい物は勝手にとってよい」「気に入らない人は殴る」などが許されると、世の中はメチャクチャになります。みんながルールを守っているからこそ、世の中は平和なのです。

学校や塾でも一人ひとりがきちんとルールを守っていると、後から入ってきた生徒もそれを守ろうと思う気持ちができてきます。ルールというのはみんなを縛るためのものではなく、みんなが幸せになるための道具です。

ルールを守ることができる人は受験でも有利です。勉強においても自分でルールを作り、毎日確実に一歩を積み重ねることができるからです。「小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています。」とイチローも言っています。ルールというのは結果に大きく影響します。

もちろん、能開にもルールがあります。みなさんご存知の「能開会員のきまり」です。これは教室に通うみなさんが、気持ちよく勉強できるためのルールですが、同時に立派な人間になって欲しいという先生たちの想いも込められています。
みなさん、ルールを守って立派な人間になってください。

190909楽しかった夏休みも終わってしまいましたね。
宿題は、きちんとできましたか?
問題集や課題などたくさんの宿題をがんばって仕上げたんじゃないでしょうか?中でも自由研究は『何を調べるか』から自分で考えないといけなかったと思うので大変だったと思います。

最近、理科の研究に関する面白い記事を見つけたので、みんなに紹介したいと思います。

「セミが地上に出てからの寿命はおよそ1週間」ということは、みんな知っていると思います。
ですが、本当に1週間しか生きられないのでしょうか?
こんな疑問を持った岡山県の高校生、植松蒼さんは2016年の7月中旬から9月中旬にかけて、捕まえたセミの羽に油性ペンで番号をマーキングして放し、後日、再捕獲を試みるということを、住宅地や雑木林など4カ所でほぼ毎日行いました。その期間に捕獲したセミは、アブラゼミ、ツクツクボウシ、クマゼミなど計863匹でした。
毎日毎日暑い中セミを捕まえては放す日々。想像するだけでも大変そうですよね。地道な調査方法に驚き、そして感心しました。
さて、植松さんが捕獲したセミを確認すると、15匹を再捕獲、4匹を再再捕獲できたそうです。調査の結果は、アブラゼミ、ツクツクボウシ、クマゼミの3種のセミで10日以上の生存を確認。なんと最長生存確認記録は、アブラゼミが32日間、ツクツクボウシが26日間、クマゼミが15日間でした。
1か月以上も生きているセミがいるとは!!小さい頃からセミの寿命は1週間だと思ってきた身としては本当に驚かされた瞬間でした。
植松さんはこの研究結果を、広島大学で開かれた「中四国地区生物系三学会合同大会(日本動物学会中国四国支部・中国四国植物学会・日本生態学会中国四国地区会)」で発表・報告し、高校生の部(動物分野)で最優秀賞を受賞されたそうです。

2学期も始まり、目の前の勉強が忙しくなっていきますが、机の上の勉強だけにとらわれずに、日常で感じた「なぜ?」に目を向けて調べていくことも大切な勉強だと思います。
みんながなんとなく知っていることも、本当は違っているのかもしれませんね。

190902皆さんの周りにいわゆる雨男、雨女はいますか?この人がいると何故かよく雨が降る、というやつですね。
先生は超がつくほどの雨女です。
楽しみにしていた遊びの計画、大事な行事やイベントなど、「今日は晴れてほしい」と思う時ほどきまって雨が降り、ゆううつな気分になることもしばしばです。あまりに強力な雨パワーに我ながらうんざりし、晴れ男、晴れ女と呼ばれる正反対のパワーを持った人たちに、ぜひ頑張っていただきたいと日々切に願っています。

日常生活では、皆さんにとっても、雨はあまり歓迎しないものだと思います。この夏、突然のゲリラ豪雨に見舞われた経験がある人もいるのではないでしょうか。九州では大雨による大きな被害が出たばかりで、時に雨は暴力的なものとなって容赦なく我々の暮らしを脅かします。そんな光景を目にするたび、うんざりな気持ちがさらに重くなります。

しかし、永遠に降り続ける雨というものはありません。雨が降った後には、必ず晴れやかな青空が顔を出します。雨が降るからこそ、その後の晴れた空への喜びを感じるのです。
春にはあたたかい雨が雪を解かし、花の開花を促します。長い冬から春を迎えた喜びも、また雨がもたらしてくれるものなのです。
先生は普段雨に降られることをイヤだなと思っていますが、雨雲の隙間から見える青空には嬉しくなるし、雨上がりには空気が洗われたような清々しさを感じます。四季折々の雨の風情豊かな表情には、心が癒されたりもします。作物を育てる人々には、雨は天の恵みですよね。雨が連れてくる良いものだってあるんだなと気づかされるのです。

皆さんが普段、イヤだなぁ、しんどいなぁと思っているものがあったとして、それをただ遠ざけているだけでは、その向こう側にある喜びや、物事の新たな見え方は、知らないままかもしれません。
でも、全てのことは悪い面だけでなく、その後に訪れる喜びや発見につながっていると考えると、どんなことにも前向きに進んでいける気がしませんか?何か苦しいことに出会ったら、「やまない雨はない」と心の中で唱えると、落ち着いて次の一歩が踏み出せます。

そんな、雨の後の晴れの日に人一倍喜びを感じる雨女は、今大ヒット中のあの映画を観に行こうと思っています(笑)

190819普段、何気に目にするカレンダー。「日」から「土」へとひたすら繰り返されているものですが、特定の日について、ある法則が成り立ちます。その特定の日とは、「4/4、6/6、8/8、10/10、12/12」の5つです。これらすべて、毎年同じ曜日になるのです。その理由は、それぞれの日数間が7で割り切れる63日だからです。(ちなみに、今年はすべて木曜日です。)

そもそも、7日を1週とする暦を使い始めたのは、古代メソポタミアの人々でした。元々、メソポタミアでは、月の満ち欠けの周期を基準に、28日~30日を「1月」としていましたが、時代を経て、1月を4分割し、7日程度をひとまとまりとする「週」を使い始めました。「新月→上弦の月→満月→下弦の月、という節目の形が由来」とも、「月では長かったので分割した」とも言われています。近くで誕生したユダヤ教の旧約聖書でも、「神は7日で世界を創造した」とされています。「週」の成立と直接に関係があったかは不明ですが、古代の西アジア地域では、7日というのが重要な単位でした。また、紀元前の古代エジプトでは占星術が発達していて、太陽系の惑星が、太陽や月と並んで注目されていました。つまり、太陽・月・水星・金星・火星・木星・土星の7つです。メソポタミアとエジプト、この2つの文明が交差し、「曜日」が誕生しました。すなわち、1週に含まれる「7日」に、先の「7つの星」を紐づけてできたのが曜日とされています。その後、エジプトの暦を参考に、中国でも曜日の名前に惑星の名前をつけていきました。平安時代の初めに、この内容が書かれた仏典(「宿曜経」=すくようきょう)を、空海などの遣唐使が日本に持ち帰ったのが、日本に七曜という概念が伝わった経緯です。7つの曜日は藤原道長の日記にも記されており、平安時代には吉兆を占うなどの目的で使われていましたが、普及はせずに廃れてしまいます。時を経て、江戸時代の頃に一部の暦で復活し、明治政府が正式に暦(=太陽暦)に曜日を用いることを定めて、今に至っています。

ところで、あるアンケートで、土日を休みにしているビジネスマン1,000人を対象に、好きな曜日(平日で)を聞いたところ、トップは圧倒的に「金曜日」だったそうです。(逆に、嫌いな曜日1位は、断トツで「月曜日」でした。)この結果は、学生であっても同じことが当てはまるかもしれません。

ふと思うのですが、曜日の名は、「もっと意識して自然と触れ合え」というメッセージが込められている気がします。月を見る、火をおこす、水と遊ぶ、木に触れる、土を踏む、陽光を浴びる。そこには、動物としてのヒトには欠かせないもの(心と体の栄養剤)がすべて詰まっているのです。この夏休み、「勉強と自然」とをうまくバランスとりながら、暑さに負けず、元気に乗り切っていこう!

190805猛暑が続いています。夏休みも半分を過ぎようとしていますが、夏期講習会、学校の宿題、部活や遊びなど、忙しい日々を過ごす中、体に疲れがたまってきてはいませんか。

毎日の生活の中で、体の疲れを癒す最高の方法が「お風呂」です。「今日は時間がないからシャワーだけ!」という人もいるかもしれませんが、湯船に肩までしっかりつかって「入浴」することが疲れをとる鍵です。
入浴すると、体の血管がひろがり、心臓の動きが強くなります。そうすると、たくさんの血液が体中をめぐるようになります。
血液は、酸素や栄養分など、私たちにとって大切なものを体中に届けてくれて、さらに、二酸化炭素や疲労物質などを回収してくれるのです。これにより新陳代謝が活発になって、体の疲れが癒される仕組みです。入浴は、体をきれいにするだけではなく、毎日を元気に過ごす上でも大切な生活習慣なんですね。

入浴の質をより高めることができれば、疲労回復の効果もアップします。入浴する際のポイントをいくつか紹介します

1 最適な温度は40度
少しぬるいかな、と感じるぐらいがよいです。のぼせたり、体調不良になるリスクも減ります。

2 肩までしっかりつかる
先程書いたように、しっかりお湯につかって全身を温めましょう。いきなり入ると体がびっくりしますので、かけ湯をして、お湯の熱さに体を慣らしてから湯船につかりましょう。

3 時間は10分から15分
長時間入浴する必要はありません。顔や額が汗ばんでくるぐらいを目安に、無理をせず、我慢せず、入浴を楽しみましょう。

4 入浴後は、体の熱を逃さないように
お風呂から出た後は、扇風機やクーラーで体を冷やそうとしてしまいがちですが、せっかく温めた体を冷やすのでおすすめできません。早めにパジャマを着て、熱を逃さないようにしましょう。

大切なのは毎日欠かさず入ること。忙しい時こそ、しっかりお風呂の時間をとって体調を整えることを意識していきましょう。

190729いよいよ夏休みに入りましたが、皆さんはどのように過ごしていますか。せっかくの夏休みですから、勉強にも遊びにも、思い切り力を注いでほしいものです。

さて夏山のシーズンに山登りする人も多いと思います。最近は特に富士山に登ることが人気で、外国人も含めて大勢の人が登っているようです。そういえば、能開でも昔は富士登山合宿があって、先生と子供たちが山頂までチャレンジしていました。その富士山は山梨県のものか静岡県のものかという論争がありますが、実は富士山の山頂付近には県境が存在しないのです。そればかりか、山頂付近には別の持ち主がいるのです。

江戸時代、富士山の山頂をご神体とする浅間(せんげん)大社に、徳川家康が八合目以上を寄付したことがきっかけで、所有者は浅間大社になりました。明治以降に一度は国有地に戻ったのですが、浅間大社が裁判に訴えた結果、現在も八合目以上の気象観測所や登山道を除いた部分は、浅間大社のものになっています。そして山梨県と静岡県は山頂を県境未定としたまま、協力し合って富士山の環境保全に努めているそうです。

このように日本の地形や地名には不思議なものがたくさんあります。たとえば都道府県の中で北海道だけがなぜ「道」という名前がつくのか、福岡県になぜ「博多市」が存在しないのか、東日本と西日本の境界はどこなのか、住所の「大字」「字」は何を表すか、などなど。

日本の地名には、その土地に暮らしてきた人たちの歴史や文化を知るてがかりが残されていることが少なくありません。時間がたっぷりある夏休みに、皆さんも身の回りで疑問に感じていることを調べてみてはどうでしょうか。きっと世界が広がると思いますよ。