あなたは、何のために(目的)勉強をするのですか。

例えば、
①いい大学に入るために(目的)、成績で1番を取る(目標)。
②人の命を救うために(目的)、医者になる(目標)。
③人の役に立つ為ために(目的)、公務員になる(目標)。

この3つの中には、目的の立て方として良いものと良くないものがあります。①は良い目的の立て方ではありません。残りの②、③は良い目的の立て方なのです。この違いを簡単に言えば①には終わりがあるのです。②と③には終わりがないのです。「人の命を救う…一人救えば終わりではないはずですね。

良い目的は、進むべき方向なのです。目標はマラソンで例えると中間のチェックポイントなのです。社会に出た後、自分はどんな仕事をして役に立つのか、ということを思い描いて勉強をして欲しいのです。

先日、数学の授業でチャレンジ問題として難問を解く時間がありました。多くの生徒が「こんな難問は、試験に出ないから…」という理由ですぐに投げ出す中で、ただ一人A君だけが最後まで教室に残り「ウーン、ウーン」と考えているのです。なぜそんなに粘るのか聞くとこう答えが返ってきました。

「ぼくは、治療方法のわからない難病にかかった人を救える人になりたい。だから答えのある問題くらい解けなければ、将来医者になって人は救えないから」でした。(私は思わずA君の身近な大人、ご家族に対して心の中で拍手を送っていました。)

今やっていることの目的(何のために)を常に考えることがとても大切なのです。

「将来、出会う人たちを幸せにするために、僕たちは今勉強しているんだ」こう気づいた時、顔はパッと輝きます。自分の人生が誰かの役に立つとわかったときに感じる幸せを、こうやって積み重ねていって欲しいと思います。

そこには、初めてのことであっても挑戦する勇気が必要です。飛行機が逆風を受け、翼に当たる風を利用して空高く飛び上がるように、人間もある時期に厳しい環境に身を置くことで、志や夢、感謝といった自分の中にある本来のエネルギーにスイッチが入り、そこに向けて、一直線に突き進んでいくことができると思うのです。

その結果として、「合格」が向こうからやってくるのです。

皆さんは現在、小学生・中学生ですが、勉強面だけではなく様々なことを吸収して成長していく必要があります。そのためには色々なことにチャレンジしていく日々を送ってほしいですし、たくさんの経験を積むことが大切です。

初めて経験することは非常に不安に感じます。
ここからは先生の初めての経験について話をします。

先生が大学時代の話ですが、みんなで市民マラソンに出場しようという話になりました。ハーフマラソン(21.0975km)でした。

正直、高校の体育では5kmまでしか走ったことがなかったので、最初は不安でいっぱいでした。でも他のみんなも初めてだったので、みんなと一緒ならということでやってみようと思いました。

マラソンまでは1ヶ月間でしたが、早朝と夜に走る練習をしようということで、ゆっくりのペースでもいいのでと距離を走るようにしていきました。大会当日前には、10kmまでは通して走る練習をして、市民マラソンにのぞみました。

本番での21.0975kmは長かったですが、何とか走りきりました。走りきったあとに疲れ果てて、家に帰ってそのまま寝てしまうと、翌日には自力で階段を上り下りできないくらいの筋肉痛になったことを覚えています。

その翌年にもう一度ハーフマラソンをみんなで走ったわけですが、走るための準備も最初よりはスムーズにいき、終わった後もきちんと体のケアをしてから寝たので、筋肉痛もさほどではなかったのを覚えています。

そういった意味では、一度経験を積むと次からは要領が分かりますし、一度できたことだから2度目以降も大丈夫とも思えます。こういったことで、人間は少しずつ成長していけるのではないでしょうか?

皆さんも今は、子供から大人への成長への階段を一歩一歩のぼっています。最初から「無理」と思わずに、色々な経験を積んでいってください。大丈夫です。みなさんには仲間もいますし、支えてくれる家族もいるのですから…。

春を知らせる虫の1つに「チョウ」がいます。

チョウは人類よりも、はるか昔から生息していたのですが、『万葉集』にチョウが読まれた歌が一首もないことは有名です。昔はチョウとガの区別がなく気味の悪いものとして見られていたことや、ひらひらと飛ぶチョウは死者の魂を運ぶとされ、不吉だと忌み嫌われていたためです。

しかし、ひらひらと舞う優美な飛び方こそ、チョウが天敵である鳥の攻撃から身を守るための逃避行動なのです。

アゲハチョウと鳥の戦いは生まれたときから始まっています。
卵から孵ったばかりの幼虫は、鳥の糞に似て黒と白の混じった色をしています。さすがの鳥も自分の糞は食べないためです。やがて成長し、体が大きくなると、植物の茎や葉と同じ緑色の保護色に姿を変え、大きな目玉模様ができてきます。よく田畑の鳥よけに大きな目玉模様の風船が用いられますが、鳥は大きな目玉模様を嫌う性質があるためです。

他にも、幼虫の体に描かれた白い模様には体全体の大きさをわかりにくくさせたり、鳥が嫌がるにおいを放つ黄色い臭角と呼ばれる角を出して威嚇したりもします。
さなぎも、ごつごつした木の幹では茶色いさなぎになり、緑色の細くすべすべした茎のような場所では緑色のさなぎになります。

アゲハチョウが鳥から身を守り、子孫を残し、種を守ろうとする、これらの生き残りのための遺伝情報はアップデイトを繰り返しながらDNAに書き込まれていったに違いありません。自らが置かれた環境で何とかして生き抜こうとするたくましさを感じます。

4月になるとみなさんも新しい環境での生活がスタートします。自分が思い描いた環境とは異なっているかも知れません。しかし、アゲハチョウのように置かれた環境で賢く生き抜くために、自分を変化させることで環境に適応していくことが大切です。変化は相手に求めるのではなく、自分が行うのです。

ところで、平安時代まで嫌われていたチョウは、平家が家紋にアゲハチョウを用いてからは、武家の家紋として好んで用いられるようになりました。アゲハチョウの優雅で華麗に舞う姿の裏に、どのように時代が動いても、我が御家はしぶとく生きのびて欲しいという思いが隠されていたのかもしれません。

毎年、春になると思うことはいろいろあります。受験は必ずしも全員が合格できるとは限りませんし、それに挑もうとするわけですから、不合格になる人もいるわけで、その現実を受けいれようと必死になっている姿を見ると、こちらもつらいものです。でも、長い目で見るとそれも決して悪いことではないと思うのです。

もちろん苦手科目、成績不振そして不合格・・・。勉強における「失敗」はいつでもいやなものです。ほんの一面に過ぎないのに、「学生」という立場でいる以上、まるで自身のすべてを否定されているように思えたりするから、正直認めたくないという気持ちはとても理解できます。

しかし本当の問題は、失敗したことそのものにあるのではなく、失敗を「認めない」「避ける」「逃げる」ことにあるのではないでしょうか。「練習不足」「わかるまで考えようとせず中途でやめた」など結果につながった原因を認めて改善すれば、おのずと良い結果に恵まれるはずなのに、失敗した「結果」だけ見てくよくよしたり強がったりしていても状況は何も変わらずまた同じ失敗を繰り返していくのです。賢く生きるには、失敗した自分もまた受けとめてあげて、その上で冷静にそのことに向き合うのもまた大切ではないかと思います。

あなたが生きている今の世の中では、酸性雨、大気汚染、森林破壊、海洋汚染、温暖化など地球環境の問題、食料問題、国内外での対立の問題、そしてCOVID-19(新型コロナ)など、以前と同じ方法では解決できない問題が山積しています。特に地球温暖化については経済発展との両立が難しいところまで来ているそうです。これまでと同じような経済活動を続けていたらいずれ地球に人類は住めなくなります。

これまで以上に予想できない出来事が起こり、その場その場で判断し対処しないといけないことがこれからも増えていきます。地震、台風、豪雨など自然災害においても「想定外」という言葉もよく耳にします。まさに複雑化、多様化している現代は予測不能で、目の前で起きていること、経験したことをもとに、考えぬいて答えを見出していく姿勢が要求されています。

今、うまくいっていることにしか目を向けなかったら学べなかったことが、実は失敗の中に多く潜んでいて、失敗を恐れることでその機会を逃してしまうのは非常にもったいないことなのです。

「これから」を生きるために必要なのは「失敗をこわがらない」「失敗をしっかりと受けとめる」ことではないかと思います。今の自分よりも上を目指している人ならなおさら失敗はつきもの。それに一回一回落胆して手を止めてしまうのは「時代遅れ」だと思いましょう。今の時代に生きる人は常に前進しようと試行錯誤する力をつけなければなりません。むしろたった1回や数回の失敗で自らを「こうだ」と決めつけることは愚かな生き方なのです。何回倒されても起き上がって、できるまでやりぬく。先生たちはそういうあなたの味方でいたい。

新しい時代の人になりましょう。失敗に負けない、受けとめて乗り越える人に。

最近自分が話をするときにひっかかる言葉がある。それが「当たり前」だ。ここ最近の社会情勢からというような大それた話ではなく、自分の思う「当たり前」と他人の思う「当たり前」が違うということに改めて気づいたというだけだ。

例えば、ある先生と話をしたときに驚いたことがある。その先生は、何と「両手で歯磨きをする」らしい。なんじゃそりゃと思って聞いてみると、両手で歯ブラシを持つのではなく、左の歯を磨くときは右手で歯ブラシをもって磨き、右の歯を磨くときは、今度は、歯ブラシを左手に「持ち替えて」磨くとのことだった。

私は片手で歯ブラシを持ち、磨く歯の位置によって毛先の向きを変えて磨いていた。ものは試しにと思い両手で持ち替えて磨いてみると、慣れないためぎこちなさはあったが、そこまでの違和感はなかった。その後はというと、両手で歯を磨くことは一切無い。

一見無駄に見えるような他愛のない話でも、新たな発見や好奇心につながることがある。ソーシャルディスタンスが求められ、目に見える成果が求められる時代ではあるが、やはり多くの人と接する時間を作ることで、様々な人との接点を持つことはとても大切だ。

このタイトルでピンときた人もいるかもしれません。カーリングのお話です。2月14日に北海道で行われたカーリング日本選手権の女子決勝戦での出来事です。前回優勝のロコ・ソラーレは、この戦いに勝てば北京オリンピック代表が決まる試合でした。一方、相手の北海道銀行にとっても負けられない戦いで、ロコ・ソラーレに勝って代表決定戦に持ち込みたい大事な試合でした。

その試合の中で珍しい場面がありました。北海道銀行の選手が絶妙な位置にストーンを放ちました。これで「試合が有利に!」と思ったのですが、北海道銀行の別の選手が「自分のブラシがストーンに当たってしまった」と申し出たのです。ブラシがストーンに当たれば失格です。申告の結果、そのストーンは無効になりました。

カーリングには、審判と呼ばれる人はいません。時間や距離を測る競技委員はいますが、ルールに触れる問題が起こった時は、選手同士が話し合って決めることになっています。フェアプレイの精神が大切にされるのです。フェアでないプレーで勝つくらいなら、むしろ負ける方を選ぶのがカーリングの精神です。この場面は、カーリングのスポーツマンシップを象徴するプレーでした。

スポーツとは、何のためにあるのでしょうか。相手に勝利することはもちろんですが、自分が努力してきた成果を確かめるためにあるのです。だからこそ、同じように努力してきた相手にも敬意を表します。柔道や剣道できちんと相手に挨拶することや、ラグビーで試合終了後にノーサイドで相手を讃えることも同じ精神でしょう。

正々堂々と戦うことは、皆さんの勉強にも通じると思います。一生懸命に勉強してきた結果を、毎回のテストで確かめるのです。テストで高得点を取ることが目的ではありません。それは結果です。どれだけ勉強して、どれだけ理解できたかが大切なのです。だからこそ皆さんには、たくさん宿題が出たり難しい問題があったとしても、逃げたりあきらめたりせずに勉強に取り組み、胸を張って教室に来て欲しいと思います。

さて、先のカーリングの試合の結果はどうなったでしょうか? ストーンが無効になった北海道銀行チームが奮起して、最終エンドでロコ・ソラーレに逆転勝利したそうです。北京オリンピック代表が決まる日本代表決定戦は、5月下旬から6月上旬に、両者が再び対決して行われます。

昨年の春、幼稚園の先生をしていた友人と会った時のことです。彼女のカバンの中からチラシがのぞいているのが見えました。「何持ってるの?」とたずねると、にこにこしながら見せてくれたのは、某予備校の生徒募集のチラシでした。チラシには『〇〇大学 法学部合格! □□君』の文字とともに、満面の笑顔で学生服の男の子が載っています。この男の子が幼稚園の時、友人が担任をしていたのだそうです。朝、新聞の折り込みに入っていたものを何となく見ていたら、名前で気がつき、行きがけの電車の中でじっくり見ようと思ってチラシを持って出てきたとのこと。

「小さいころの面影が残ってるわ~。法学部ってことは法律の勉強するんだね。同じばら組さんの子たちもみんな高校卒業だよね。みんな元気かなぁ」と、ひとしきり当時の思い出話を聞かせてくれました。

 さて、皆さんは今までに『先生』と呼んだ人が何人いるでしょうか。数えてみたことがありますか? 保育園や幼稚園、小学校、中学校の先生、塾や合宿、習い事、自然学校やスポーツ教室の先生、たくさんの先生たちがいることと思います。その中でも『忘れられない先生』『大好きな先生』普段は忘れてしまっているけれど、ふと思い出して「もう一度会いたいな」と思う。そんな先生はいませんか?

先生たちの方も同じです。毎年たくさんの生徒に出会い、別れていきますがその中でも、忘れられない生徒や思い出に残る生徒たちが存在します。普段は目の前の生徒たちのことで一生懸命でも、ふとしたきっかけで昔の生徒を思い出すと、あの子のクラスであんなことがあったな、こんな子もいたな、と生徒たちと過ごした時間がどんどん蘇ってくるそうです。そして様々な思い出をたどりながら、生徒たちが健やかで幸せでいることを願うのです。

「先生ってそういうイキモノなの。勉強教えるだけじゃないの。だから先生なのよ」

春の日差しの中、そういうイキモノの友人は、かつての教え子の成長と門出を心から祝福していました。

公立高校の入試が始まっています。皆さんの今までの成長にかかわってきた、全ての『先生』たちは、かつての生徒たちが全力で試験に臨めるよう、良い結果につながるように強く願っています。祈・合格。持てる力の全てを出し切れ。

お家で過ごすことも多くなり、最近は家の中で体を動かすためのアイテムがたくさん出ていますね。我が家でも最近、運動不足を解消するべく、トレーニングに取り組んでいます。といっても、冒険を楽しみながら体を動かす、お家フィットネスゲームなのですが。(ガッキーのCMのヤツです)

気軽にできるだろうと思ったら、これが結構ハードで手ごたえがあります。相当動いたぞ!と思っても消費カロリーはちょっぴりだったりして凹みます。しかし、正しい動きを教えてくれたり、頑張りをほめてくれたり、トレーニング結果を見直せたり、自己流でもくもくとやるより楽しいなと思います。

継続は力なり、これはコツコツ続けてみようと(今のところ)考えているのですが、…ところでこの「コツコツ」ってどんな意味なのか分かりますか?

漢字で書くと「兀々」となります。あまり見慣れない漢字ですが、「兀」という字は「人が頭を突き出している様子」「高くそびえる様子」を表していて、「兀々」は「一つの物事にたゆまぬ努力をするさま」「一心に努力して高みを目指す」という意味を含む言葉です。

確かに「地道に何かに取り組むこと」を表現する時に、「コツコツ」を使いますよね。

高みを目指して「兀々」と積み上げていくことが、しっかりとした土台を築き、自分の力となっていく。勉強で言えば「基礎学力」が土台となって、様々な問題に対応できる応用力や判断力が養われていきますね。お城だって土台となる礎がきちんと築かれていない上には、立派な天守は成り立ちません。

しかし、この「基礎」を「兀々」築く段階がなかなか難しいわけです。体づくりも勉強もそうですが、すぐに結果が形になる訳ではありません。つまずいたりうまく進まない時、解決策が分からず迷ううちに、「もういいや」と投げ出したり、楽な方向につい流れていったりしてしまいます。そんな時は、ゼミで学んだ勉強の仕方に改めて丁寧に取り組んでみましょう。ノートをしっかりと取り、気づきや重要ポイントを整理して考えをまとめていきましょう。ティエラの教室では皆さんに合った様々な教材や学習方法を提案することはできますが、本当に力をつけるためには、皆さんが基本をおろそかにせず、毎日机に向かう姿勢を崩さないことだと思います。もちろん、教室の先生たちが皆さんをいつもそばで支えていますから、困ったことやどうしても解決できないことは、何でも相談してください。

さて、もう少しで新学年を迎えますね。「基礎」となる力をつけるには、自ら地道な努力をするほか道はありませんが、その道を確実に進んでいける学びがティエラにはあります。結果を焦らず、自分の努力を信じ、高みを目指して「兀々」と頑張ってください。

皆さんは、映画を観るときは字幕派ですか、それとも吹き替え派ですか? 俳優たちのオリジナルの音声が聞ける字幕、映像に集中できる吹き替え、どちらも一長一短ありますよね。

同じセリフでも、音声より文字の方が理解するのに時間がかかるので、字幕を作る際にはルールがあります。日本語の場合は1秒に4文字まで、そして、1行は13〜14文字で2行までというルールです。これは、一般的な日本人が楽しんで観ることができる文字数だと言われています。ところが、これが翻訳作業を厄介にしています。早口の人なんて出てくると大変です。

字幕と吹き替え、8本の映画で、それぞれのセリフの文字数を数える検証がありました。平均すると、吹き替えの方が15%もセリフが多いという結果でした。差の多い映画では、字幕の方がワンシーンで500字近くの情報が削られていました。限られた文字数の中で、いかにわかりやすく表現するかが翻訳者の腕の見せ所です。

一方で、吹き替えなら、早口の人のセリフは単純に早口で言えばいいだけなので簡単に思えますが、吹き替えも決して簡単ではありません。「リップシンク」と言って、俳優の口の動きに合わせて言葉を選ぶのですが、言語が違うので、当然口の動きは違います。これを、できるだけ不自然にならないように、意味を変えないように、かつ口が動いている間にセリフが収まるようにするのは至難の技です。

ミュージカルでは口の動きが不自然にならないように、日本語の語尾を英語と同じ語尾に揃えたりしています。そのうえ、周囲の音声まで全て日本語にしなければいけないので、吹き替えの方が翻訳に時間がかかります。

たくさんの制限の中、セリフを省略し、言い回しを変え、時には意味さえ変えながらも日本語として成立させるため、翻訳者たちは日々奮闘しています。ある有名な翻訳家が「他の国の言葉を日本語にすること自体に無理がある」と言うくらい難しいことです。

日本語には日本語の、英語には英語の良さがあるように、どちらにも違った良さがあります。制作者の苦労や工夫がわかってくると、今までとは違った角度で楽しめるようになりますよ。

みなさんは「IQ」という言葉を知っていますか?
多くの人が、頭がいい人を表す数値だと答えられるでしょうね。

では、「EQ」や「CQ」はどうですか?
「EQ」は聞いたことがある人もいるかもしれません。
でも「CQ」はほとんどの人が知らないのではないでしょうか。
実はこの「CQ」が、とても大切な力になるんです。

少し説明をすると、
●IQ(intelligence quotient=知能指数)
頭の回転が速く答えに到達するのが早い人のことをIQが高い人だなと言われたりします。

●CQ(curiosity/creativity quotient=好奇心または創造性指数)
知識欲が旺盛で、新しい問題が出てきたらワクワクして取り掛かるような人がCQが高い傾向にあります。

●EQ(emotional quotient=感情指数/心の知能指数)
自分でやることをきちんと決め、失敗してもくじけずに決めたことをやり切れる。また、自分だけではなく他人との調和を取れる人がEQが高くなります。

この3つの能力が、これからの社会で必要だと言われています。
知識量が多いだけでなく、自分で何かをやりきったり、周りと協力して何かをやり遂げたりすることが大事だということです。

そんなのは言われなくてもわかってるし、そのためにどうしろって言いうのよー!と聞こえてきそうですね。
確かにどうすればいいのでしょうか?

「EQ」を高くする方法のひとつは、モチベーションをあげることです。
「次のテストで90点以上を取ったら○○を買ってあげる」と言われたらどうでしょう?
すごく自分が欲しいものならがんばりますよね。
でも、毎回ご褒美があるとは限らないし、いつもやる気を出し続けることは難しい。

そこで必要になってくるのが、自分の心をコントロールすることです。
勉強でもスポーツでも、がんばること自体に「楽しい」と思えたり、目標を立ててそれをクリアしていくことで「やった!」と達成感を感じたりすると
次にもチャレンジしてみたくなるように気持ちになります。
そうやって自分でやる気を作ることも大切だと思います。

そのためには、一生懸命物事に取り組み集中力を鍛えていくことが大切だと思います。
最近話題になっていた、「鬼滅の刃」でも全集中で困難に立ち向かっていました。

みなさんも、塾でも学校でもお家でも「IQ」「CQ」「EQ」を高めていきましょう!