皆さんは秋山真之という人物を知っていますか?
知っている人は、よほどの歴史マニアではないかと思います。
彼は日本の帝国海軍を代表する名参謀と呼ばれ、日露戦争のクライマックスの一つである日本海海戦において重要な役割を演じる人物です。
日本を代表する歴史小説家である司馬遼太郎の「坂の上の雲」の主人公の一人としても登場します。

秋山は、18歳で海軍兵学校に入学して海軍軍人の道をスタートさせます。
入学後の2回目のテストでトップを取ると、卒業までの間その座を明け渡すことがなかったそうです。
同郷の後輩が勉強のコツを聞くと「先生の授業をよく聞いて、過去の問題をきちんと分析すれば自然と出るところがわかる」と言ったそうです。

1898年には海軍の若手士官を代表する一人として海外へ留学することになり、彼は留学先として当時は二流国とされていたアメリカを選択しました。
そのわけを聞かれると、「アメリカには(当時の海軍の理論家の中でとても有名であった)マハンがいる。
彼から多くのことを学べるし、また、アメリカは今は二流かもしれないけれども、二流だからこそ新たな発想が生まれてくる。
アメリカだからこそ自分の考えを深め広げることができるのだ」と答えたそうです。
アメリカに渡った秋山は、マハンの本を自分なりに徹底的に読み込み、マハンと面会する機会を得ます。
マハンとは1度しか会えなかったようですが、「自分の専門の本ばかりを読むだけでなく、様々な種類の本を読んで学びにしていくべきだ」という意味の言葉をもらったそうで、非常に深い学びを得ることができたと喜んだと言います。

日露戦争では、東郷平八郎大将を司令長官とする連合艦隊の作戦参謀に就任し、日露戦争における海軍の最前線で様々な作戦や艦隊の動きの計画を立案したとされています。
彼を非常に有名にしたのが、日本海海戦の直前に、軍艦三笠から東京の海軍の偉い人たちに送った電文「本日天気晴朗なれども波高し」という一文です。
これは、「天気はいいけれど小さな船では戦いにならないくらいに波が高いので、大きな船を中心に戦いに行きます」という内容を非常に短い文で的確に伝えることができた文として「名文」と呼ばれています。

先生がなぜ秋山のことをお話ししようと思ったのか。
それは秋山の、学びの姿勢について述べた言葉を紹介したいと思ったからです。
彼曰く「細心蕉盧は計画の要能にして、虚心平気は実施の源力なり。(中略)事の成敗は天にありともいえど、人事を尽くさず天と天と言うことなかれ。」
これは、「普段は細かく考えてしっかり準備し、時には焦ったりすることもあるだろうが、本番では心を穏やかに保つことが実力を発揮する原動力である。全力で努力することなく天に運を任せてはならない」ということだと先生は解釈しています。
 
能開では春期講習会が始まっている教室もあると思います。
学校のない長期休暇の期間だからこそ、自らを高める努力を自らの意志でできる絶好の期間となります。
さらには、春休みを越えると新しい学年となり、新たな内容を学んでいくこととなります。
入試を控える学年になる人もいますね。
内容によっては「できるかな?大丈夫かな?」と不安に思うこともあるかもしれません。それがあって当たり前です。
それを含んでしっかりと努力することで、実際のテストのときには平常心で取り組むことができるはずです。
ぜひとも春期講習会を自己最高の春にしていきましょう!