みなさんは小田凱人(おだ ときと)という名前を聞いたことがありますか。
先日、引退を表明し、国民栄誉賞の受賞が決まった車いすテニス界のレジェンド国枝慎吾さんの後継者として期待されている弱冠16歳の選手です。
TVの報道番組のスポーツコーナーで取り上げられていたのを見て初めて小田選手を知りました。
彼は小学生の低学年までサッカー少年でチームの中心選手、将来の夢はプロのサッカー選手でした。
そんな彼が9歳の時、左足に骨肉腫(骨のがん)を発症します。
12時間にもおよぶ手術とその後の17回にも及ぶ抗がん剤治療により一命は取り留めますが、股関節に人工関節を埋め込み左足には後遺症が残りました。
9か月に及ぶ懸命なリハビリにより車いす生活にまでこぎつけましたが、当然サッカーは諦めざるを得ませんでした。
そんな彼が病室で見た、国枝選手のロンドンオリンピックの決勝戦での映像が彼のその後の彼の人生に大きな生きる力を与えました。
感情をあらわにして戦う国枝選手をかっこ良いと思った彼はお年玉をはたいてテニスラケットを購入しベッドで素振りを始めました。
抗がん剤治療は大人でも根を上げることが多い中、彼はベッドの上で毎日トレーニングをしていたことに担当医は驚いたそうです。
小田選手はとにかく早く退院して車いすテニスをやりたい一心だったと当時を振り返っていました。
9か月後、退院した彼はすぐに車いすテニスにのめりこみます。
テニスをすることは彼にとって生きることそのものであり、支えてくれる両親への恩返しでもありました。
ところが11歳の時にがんが肺に転移し、再び抗がん剤治療を受ける闘病生活が始まります。
「人生、そんなに上手くいくはずがない、けど、きっとこの試練を乗り越える」という思いだったそうです。
その後、彼は史上最年少14歳11か月でジュニア世界ランキング1位になり、翌年15歳でプロ選手に。
16歳で初めてグランドスラムという世界最高峰のトーナメントに出場し、世界ツアー最終戦で優勝と輝かしい成績を修めています。
プロという勝負の世界に身を置きながらも、おしゃれや音楽が好きな普通の高校生でもある彼は「病気と闘っている子どもたちのヒーロー的な存在になれるような選手」を目指しています。
この放送を見ながら、幼い時に信心深かった祖母に教わった言葉を思い出しました。
「人は生まれるときに、仏様に志願して生まれてくる。そのときにこの世で試練が与えられることを告げられるが、障害を持つ者も、それを承知で、それでもこの世に生まれ出てくる、だから根性が据わっているのだ」と。
パラスポーツを見るとき、多くの人が感動し賞賛し拍手を送ります。
しかし、それは障害を持つ彼らに敬意を示すだけでなく、志願して生まれてきた彼らの思いと生きる力に共鳴するからだと思います。
小田選手には車いすテニスでぜひ輝いて欲しい。
そのことが病気と闘う子どもたちだけでなく、世界であらゆる困難に対峙している人々に勇気を与え、大きな希望となります。