今日、6月27日は戦国時代末期の武将で初代仙台藩主の伊達政宗が亡くなった日です。
「独眼竜」の異名をとった彼のことを知っている人も多いと思います。先生は、だいぶ前に放映された大河ドラマ「独眼竜政宗」を毎週欠かさず見ていたくらい、好きな戦国武将の一人です。
「伊達者」という言葉に代表される、ハデで粋なファッションの考案者としても知られていますし、彼が着用した鎧(よろい)は、のちに映画「スターウォーズ」に出てくるダースベイダーのモデルにもなったくらい有名です。

政宗は戦国武将ですから勇ましい話が数多く残っていますが、案外知られていないことがいくつかあります。
まずは「筆まめ」だったこと。
大名ともなると手紙は自分で書くことはせず、祐筆(ゆうひつ)という代わりに手紙などを書く部下がいるのですが、彼は祐筆に任せず、自分で手紙を書くことを好んだようです。彼が書いた手紙は数多く残されていて、その中には家族あての「こういうことを心がけなさい」「お酒を飲みすぎないように」「茶の湯や香道、和歌などにも親しむように」というアドバイスだったり、「江戸への出立まえにお前(娘)に会えないのは大変残念だ」と親子愛にあふれる内容だったりします。

また、彼は料理好きであったことも知られています。
「馳走(ちそう)とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなす事である。」という言葉を残したぐらいです。自分の食事のレシピを細かく指定していたそうですし、2代将軍徳川秀忠(ひでただ)や3代将軍徳川家光に自ら手料理を振舞うほどで、全国各地から旬のものや珍味を取り寄せ、およそ60種以上の食材を使い豪華な懐石(かいせき)料理を振る舞ったとか。この際には将軍の部下と口喧嘩(げんか)をしたくらいだったそうです。

さらに、彼は自らの生活を事細かく決めていたようで、彼の伝記である「貞山公治家記録」から彼の一日の生活を今でも追うことができます。
起こす時間を細かく指定したと思えば、部下のことを考えてもう少しゆっくりでもいいと指示をしたり、早起きしてもあえて部下を呼ばずに寝ているふりをしてみたりなど、気さくな一面も見せてくれます。

もう一つ、彼は漢詩や和歌に巧みだったことが知られています。
非常に有名なのが、のちに小説家司馬遼太郎が題名にもした漢詩、「馬上少年過 世平白髪多 残躯天所赦 不楽是如何(馬上少年過ぐ、世平らかにして白髪(はくはつ)多し。残躯(ざんく)天の許すところ、楽しまずんばこれ如何(いかん)せん)」現代風に意訳すると「若いころは戦場で往来したものだが、平和になって気付いたら白髪の老人になっていた。幸せな老後は天が許したもの。これを楽しまなくてどうする」となります。

彼は東北の人なので、当時の京都から離れたところに住んでいて、京都の公家や千利休などの文化人と付き合うのは大人になってからのことです。しかし、非常に多くの趣味を持つ文化人でもありました。なぜなのか?いろんな見方ができると思いますが、先生はこう思います。彼は「知識にどん欲な人だった」と。自分が知りたい、やりたいと思ったことにはとことんこだわる、そういう人だったのではないかと。

来月末には夏期講習会がスタートします。長期休暇だからこそ多くのことを学べる最大のチャンスが来ます。そういう時期だからこそ、政宗のように自分から進んでいろんなことにチャレンジしましょう。「どうやればうまくいくのかな?」「もっと良くするには何が必要かな?」と知識を得るのにどん欲になってください。
夏に「勉強の政宗」を目指そう!