皆さんは二宮忠八という人物を知っているでしょうか。
二宮忠八は実はライト兄弟より先に飛行機を作り出した人です。実際に人間を乗せた有人飛行に成功したのはライト兄弟ですが、その10年以上前に、ゴムを使った模型飛行機を作り、10メートルの飛行に成功していたのです。明治24年のことでした。
その後、二宮は実際に人間を乗せた飛行機の研究に取り組み、軍に資金援助を求めましたが、軍の高官はそれを却下し、二宮は独自で開発を進めました。開発は思うように進まず、やがてアメリカでライト兄弟が世界で初めて有人飛行に成功したという知らせを聞き、二宮は制作途中の飛行機を叩き潰し、開発を断念してしまったのです。
もし軍が二宮の飛行機づくりに協力していたら、ライト兄弟より先に、人類初の飛行に成功していたかもしれません。
一方、現代のインターネットに欠かせない技術として、光通信があります。そのために必要な光ファイバーを初めて発明したのは、東北大学の西澤潤一という研究者でした。昭和39年、西澤教授は特許庁にこの技術の特許を申請しましたが、特許庁はその有用性を認めず、差戻しされてしまいます。西澤教授は何度も申請を繰り返しますが、やがてその間にアメリカの会社が開発した技術が国際特許を取得し、西澤教授の技術が認められることはありませんでした。
このように日本の産業技術には、「途中までいったのに惜しかった」というものがたくさんあります。しかし、それらは決して無駄に終わったわけではありません。飛行機の開発はその後の飛行機産業に引き継がれましたし、光ファイバーの技術は現代の私たちの生活の基盤にもなっています。
先輩たちの多くの努力によって、私たちの生活が支えられていることを、皆さんも一度、考えてみませんか。