紀元前49年1月7日、古代ローマ武将のカエサルは、兵を率いたままルビコン川を渡りました。彼は、元老院から軍隊を解散してローマに帰還するように命じられていました。
しかし、カエサルはその命令にさからって、イタリアに侵入したのでした。
そのとき、彼が言ったことばが、「賽(さい)は投げられた」です。「事はすでに始められたのだから、途中でやめることはできない。ただ断行あるのみ」という意味です。
この故事から、ある重大な決断・行動をするたとえとして、「ルビコン川を渡る」ということばもつくられました。ただし、ルビコン川はイタリアとガリアの国境を流れていた川ですが、どの川を指すのか正確にはわかっていないそうです。
さて、この「賽は投げられた」の中国版が、「乾坤一擲」です。この四字熟語は、唐代の詩人韓愈(かんゆ)の「鴻溝(こうこう)を過ぐ」という詩からつくられました。
「竜疲れ虎困(くる)しみて川原(せんげん)を割(さ)き 億万の蒼生(そうせい)性命存す 誰か君主に勧めて馬首を回らし 真に一擲(いってき)を成して乾坤(けんこん)を賭けしむ」
竜と虎は、項羽と劉邦のことです。二人が天下を争ったとき、決着がつかずに疲れきってしまい鴻溝を境に停戦協定が結ばれ、億万の生命が救われました。いったい誰がこのような乾坤一擲の決断をさせたのでしょうか、といった詩です。
乾坤は天地の意味で、擲とは賽(サイコロ)を投げることだそうです。したがって「乾坤一擲」とは、一か八か、天下を賭けた大勝負をすることをいいます。
ところでいま、「一か八か」といいました。これはどういう意味でしょうか。
乾坤一擲の類義語には、ほかに「一六勝負」があります。これはサイコロの目の一と六から由来したものです。
しかし、サイコロには八はありません。だから「一か八か」がよくわからないのです。
なぜ、なぜ? なぜでしょう?
じつは、このことば、「丁(ちょう)か、半(はん)か」から生まれたものなのです。
丁は偶数で半は奇数ですが、その“丁”と“半”の上部に注目してみてください。
漢字の上部をとって、“一”と“八”にしたのである、なんてね。
実に名訳である、エッヘン、オッホン。
故事成語やことわざから学ぶことはたくさんあります。そして、そこから新しい考えが生まれることもたくさんあると思います。
挑戦してみてください。