みんなの顔はどんな顔ですか?丸い顔の人、四角い人、卵型の人、ホームベース型の人、いろいろですね。
日本人の顔の形は、大きく分けて縄文人型と弥生人型に分かれるそうです。角型で顔が短く、目が二重で大きく、鼻の付け根が高い人は縄文人型だそうです。
一方、丸型・面長で、目が細く、鼻の付け根が低い人は弥生人型だそうです。みんなの顔は何型ですか?ちなみに、私の顔は、顔が長くて目が大きいという中間型です。
山口県の日本海側の西の方に、土井ヶ浜遺跡という遺跡があります。景色のとてもきれいな角島の近くです。土井ヶ浜の遺跡からは、約300体の人骨が発見されています。人骨が埋葬されていた様子は、土井ヶ浜人類学ミュージアムというドーム型の施設で、人骨のレプリカを使って再現されています。
鵜(う)の骨と一緒に埋葬されている女の人、親子で埋葬されているもの、夫婦だったのか恋人同士だったのか男女で同じ場所に埋葬されているもの、骨折のあとのある人骨も見つかっています。なかには、14本もの矢じりが刺さった人骨も発見されています。それらの弥生人たちは、みな砂浜から西の海のほうに顔を向けて埋葬されていました。
土井ヶ浜は弥生時代前期の遺跡ですが、不思議なことがあります。それは、土井ヶ浜遺跡で発見された弥生人は、顔の形が長く、九州や他の日本のどの縄文人とも似ていないのです。
では、いったい土井ヶ浜の人たちはどこから来たのでしょうか?
最近の研究で、土井ヶ浜の弥生人と同じ顔の特徴を持った人がいたことわかりました。それは、中国の山東省の人たちです。顔の形が長いという土井ヶ浜の弥生人たちと山東省の人の顔の形は、共通点がとても多いそうです。このため、土井ヶ浜の弥生人たちは、はるか昔に中国から、はるばる海を渡って日本にやってきたと考えられています。
なぜ、はるばる広い海を渡って日本にやってきたのでしょうか。ちょうどそのころ、中国は戦国時代で、国中が戦争をしている状態でした。土井ヶ浜の弥生人たちは、そんな戦争の絶えない国から、平和な土地を求めて日本へやってきたのでしょうか。
土井ヶ浜の弥生人たちが西の海のほうを向いて埋葬されていたのは、遠い故郷を見ていたのかもしれません。故郷に残した人々のことを思ったのでしょうか、いつの日か平和な故郷へ帰ることを夢見ていたのでしょうか。
地図もコンパスもない時代に、星や陸の形だけを頼りに、遠く中国からやってきた航海の大変さは想像を超えるものです。そんな土井ヶ浜の弥生人たちの意志の強さ、たくましさを考えると、ただただすごいなあと感じます。何よりすごいと思うのは、広い海の先にある未知の世界に向かって、小さな船で漕ぎ出した勇気です。
今の世の中では、広い海の先にあるのは未知の世界ではないかもしれません。しかし、いままで体験したことのないことや、いままで出来なかったことの先にあるのは、みんなにとっての「未知の世界」です。
この夏、みんなにとっての未知の世界に、勇気をもって一歩を踏み出そう!