野球が大好きだった身長136㎝の小さな少年は、生徒数わずか80名ほどの小さな海辺にある中学校に入学。その中学校には、部活が軟式テニス部とバレー部と卓球部の3つしかなく、好きなものを選ぶという状況ではありませんでした。でも、軟式テニス部は非常に強く、全国大会で個人・団体とも優勝経験があるほどの実力があり、魅力を感じていました。しかし、残念ながら部活選択の最終日までにラケットを準備できなかった少年は、しかたなくバレー部に入部しました。

 ネットの前に立ち、おもいっきりジャンプする少年。その当時のネットの高さは、2m20cm。身長136cmでは手を伸ばしてもネット上部までは 50cm以上はあり、何度ジャンプしても手はネットを越えることはありませんでした。

 身長が伸び、ジャンプ力もつき、中2の始めにようやくネットから手が出るようになり、セッターとしてレギュラーに定着。試合にも何度も出場しました。その間、何度も何度も、敵のアタックを止めるためのブロックに挑戦。しかし、一度も成功せず。ブロックでは、まったく戦力にならない状態が続きました。

 中学を卒業し、高校でもバレー部に入部。ネットの高さは、一気に2m43cmに上がり、中学での身長やジャンプ力の成長はすべて帳消しとなりました。再びネット上部から手が出ないところからのスタートです。

 ところが、バレーを始めて6年目の高校3年の5月、高台にある高校との練習試合での出来事でした。少年は、初めて納得のいくブロックに成功したのです。ネットからわずかしか出ていない手に、敵のエースが強烈にアタックしたボールが、偶然にもジャストミートしたのです。大量の汗が流れていたので、チームメイトには気づかれませんでしたが、目からは涙が流れていました。周囲から見れば、試合中の一瞬の小さな出来事に過ぎません。でも、少年にとって40歳を過ぎた今でも忘れることのできない大きな出来事になりました。

 中学入学から大学卒業まで、数え切れないほどの試合の中で、数え切れないほどブロックにチャレンジし、納得できるブロック数1。淋しい限りの数字です。でも、この「貴重な1は、他のどの数より大きい」と、おじさんになった少年は今もなお思っています。