突然ですが、次の3つの言葉に共通すること、わかりますか。
「姫路城」 「法隆寺」 「厳島神社」
どれも名高い日本史上の建造物ではあるのですが、それだけでは不十分です。では、ヒントになるような言葉を続けます。「富士山」「屋久島」「小笠原諸島」…、さらに「ピラミッド」「万里の長城」「グランド・キャニオン」…。実は、それらはすべてユネスコによって「世界遺産」に登録されているものばかりなのです。(現在、総数は1000件以上。日本は20件。)
人類共通の貴重な財産である、地球上の素晴らしい文化財や自然環境を崇めて、国際的な協力と援助の下で保護・保全し、未来へ向けて末永く受け継いで残していくという考えに基づいた取り組みである世界遺産の中には、平和への願いや人種差別の撤廃などを考えていく上で重要な物件もあり、明確な定義付けはされていませんが、別名「負の遺産」と呼ばれているものもあります。それらは、歴史上で人類が犯した愚かな過ちの出来事を記憶に留め、同じ事を二度と起こさないための教えとしての存在意義があります。日本では、唯一、広島の「平和記念碑(原爆ドーム)」が挙げられます。
その原爆ドーム、今年の5月27日、アメリカのオバマ大統領が伊勢志摩サミット後にその地を訪問したことで改めて注目を集めました。元々、この建物は、戦前から「広島県産業奨励館」(最初は広島県物産陳列館)として運用されていましたが、あの1945年8月6日の原爆投下により、一瞬にして無惨な姿へと変貌したのでした。
戦後、広島が徐々に復興していく中で、存廃の議論が活発になり、取り壊される可能性が高くなりました。そんな折の1960年、1歳の時の被爆が原因とみられる急性白血病のため16歳で亡くなった、ある女子高生の書き遺した日記のほんのわずかな一節がきっかけで、原爆ドームは保存の方向へと大きく動き出すことになります。
「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも恐るべき原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろう。」
この一言に民衆は感銘を受け、やがて保存を求める運動に広がっていき、1966年、永久保存が議決されました。そして、30年後の1996年の世界遺産登録へと繋がっていきます。
世界でただ一つの被爆国家として、正に原爆が投下された生々しさを世界中の人々に、そして後世の人々に伝えていくことは、他の国には決してできないとても大切な使命です。その陰に人々の心を動かした女子高生の悲しい運命がありました。彼女の平和を願う気持ちは、人類に永遠の貴重なメッセージを残していきました。
歴史は神が創るのではありません。一人ひとりの想いのうねりが、果てしない歴史を紡いでいくのです。