能開・熊本校の佐藤です。
今回は、ぼくの竹馬の友の話をします。
強く願い続ければ、「夢」は必ず実現できる。
貫き通した少年時代の夢の話です。
40数年前、中学生だった山下泰裕少年は、「一生懸命柔道の稽古に励んで、将来はオリンピックに出たい。メインポールの日の丸を仰ぎながら君が代を聞けたら最高だろう。そして選手を辞めたら、世界の人々に柔道を広げる仕事をしたい」と「将来の夢」と題した作文に書いた。
彼は自分の子供の頃は、悪ガキだったと言うが、ぼくはそうは思わない。とても優しい心の持ち主だった。たしかに体は大きいし、スポーツも得意、けんかも得意?それで、近所の厳しい柔道教室に連れて行かれたのが柔道との出会いと言う。でも本当はその前に剣道をやっていたけどあまり強くなかった(笑)。ところが、柔道はルールを守ればどんなに暴れても怒られない。エネルギーを発散でき、有り余る闘争心を満たしてくれる柔道の激しさに、たちまち夢中になっていったと言う。
彼の「将来の夢」のひとつは、1984年のロサンゼルスオリンピックで実現した。しかし、彼にとってオリンピック出場のチャンスは3回目だった。1回目は補欠、2回目はモスクワオリンピックのボイコットで参加できず。3回目にようやく、それも足を怪我して、苦しんで苦しんで最後のチャンスを勝ち取ることができた。テレビの画面を通してぼくもいっしょに泣いた。彼は、表彰式で日の丸を見ながら「自分は世界一幸せな男だ」と思ったそうだ。さらに続けて「もちろん、自分も誰よりがんばってきた。しかし、すばらしい先生との出会いや、切磋琢磨してきた多くの仲間がいたからこそ、自分の夢が実現できたのだ」と言った。
2003年、彼は国際柔道連盟の教育コーチング担当理事に就任しました。世界における柔道の普及と発展という、まさに夢の通りの仕事に就いた。
最後に、彼からのエールを伝えます。「自分の好きなことなら何時間でも続けられるし、やり遂げた後には心地よい達成感がある。今の楽しさを少しだけ我慢すれば、明日が、未来がもっと楽しくなると思ってがんばってほしいですね。」