「当たり前のもの」は、当たり前のものですから、普段、意識することはあまりありません。ただ、「当たり前のもの」が当たり前ではない体験をすると、あらためてその大切さに気づかされます。
夏合宿に参加して、あらためて保護者の方のありがたさを感じた人も多いのではないでしょうか。
ありがたみを感じるよりも、あまりに当たり前になりすぎていて、「何でこんなことを自分でしないといけないんだ」、「何でこれがないんだ」、「家と料理の味付けが違う、量が足りない」と不満や苛立ちを感じた人もいるかもしれません。
それは、裏返せば保護者の方のおかげで日常がいかに恵まれているかということの証明です。
先生も、例えば、水道が突然、使えなくなるといったことが起こると、「あぁ、いつも蛇口をひねるだけで水が出るなんて、なんて水道ってありがたいんだ」と思う前に、「何で出ないんだ。まったく」と思ってしまいます。
蛇口をひねれば、きれいな水が必要なだけ出てくるということが、あまりにも当たり前になってしまっているからです。
しかし、あらためて考えてみれば、「当たり前のもの」というのは、長い年月をかけ、様々な人たちの努力によって「当たり前のもの」になったものや、様々な人たちの貢献によって「当たり前のもの」として維持されているものなのです。
保護者の方だって、みんなと同じようにやるべきことがたくさんあり、色々と大変なことがある中で、みんなのために様々なことを行ってくれているのです。
水道にしたって、古くは紀元前2,500年ごろに栄えたモヘンジョ・ダロにはすでにあったといわれていますが、様々な人たちの知恵と努力の結果、今の形になったのです。そして、様々な人たちが、日夜、維持に努めてくれているから、いつでもきれいな水が出るのです。
ちなみに、先生の家は、小高い山の頂上付近にあるのですが、家の近くには、室町時代に作られた石造りの水路があります。その水路は、常にきれいな水を懇々と流し続けています。先生の家の周辺では、二世代前まで、実際に生活用水としてその水を使っていたそうです。数百年たっても実用に耐えうる石造りの水路を、機械など無い時代に、数kmつないだ人たちの行いには頭が下がります。
みんながいずれ直面する受験にしたって、生まれや育ちにかかわらず、全ての人が平等に様々なものを学び、自由に職業を選択できるように、先人たちが知恵を絞って生み出したシステムということもできると思います。
さぁ、Ⅱ期の日常が始まりました。「当たり前のもの」に感謝することは中々難しいことかもしれませんが、だからこそそういったことに感謝する気持ちを少しでも持てれば素敵なことだと思います。
また、感謝できる人は、感謝される人でもあると思います。自分がかかわる「当たり前のもの」が、誰かの大切なものになっていると思えれば、日常の何気ないこともがんばる力がわいてくるんじゃないかなと思います。