11月11日、日本の空に、戦後として初めて国産ジェット旅客機が飛びました。
皆さんの中には知らない人がいるかもしれませんが、日本に国産のジェット旅客機は存在していませんでした。(※) 自動車やコンピュータ、バイオ技術など、日本の科学技術は世界の最先端を進んでいますが、航空産業だけは大きく遅れていたのです。
その理由は、第2次世界大戦にあります。戦時中に日本が開発した戦闘機「ゼロ戦」が非常に高性能だったため、終戦後に日本にやってきたGHQ(連合国軍総司令部)は、戦闘機開発の復活を恐れて、航空機の生産、研究、実験を禁止。模型飛行機を作ることさえ許されませんでした。ちなみに第2次世界大戦中にゼロ戦を設計したのが、三菱重工のエンジニアだった堀越二郎さんで、宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」のモデルとなった人物です。
技術の継承というのはとても大切で、いったんそれが途切れてしまうと、取り戻すために膨大な時間と労力がかかります。開発を禁じられた日本の航空産業は暗黒の時代に入りました。その封印が解かれたのは1962年。ようやく国産のプロペラ機が開発され、「YS-11」が初飛行を果たしました。YS-11は182機が製造され、75機が海外に輸出されましたが、コストやサービス体制の問題があり、10年後の1973年には製造中止となりました。
YS-11の製造中止からさらに42年後、今月の11日に初飛行を果たしたのは、三菱製のジェット機で90人乗りの「MRJ」です。環境性能にも優れ、燃費の良さと客室の快適さが特徴です。メイドインジャパンのMRJは世界中から注目されており、既に400機以上の注文を受けているそうです。一般的に自動車の製造には2万~3万点の部品が必要ですが、航空機の場合は数百万点といわれ、それを国内で製造することで、日本の製造業の技術力を高めたり、裾野を広げることが期待されています。
MRJの1号機は2017年にANAに引き渡される予定で、日本の地方路線で就航するそうです。これからが本当に楽しみですね。
※ホンダは、6人乗りのビジネス用小型ジェット機を2003年に初飛行。2015年中には運用が開始される予定