150223今日は、皆さんにある少女のお話をしたいと思います。
その少女は1997年にパキスタンのミンゴラに生まれます。ミンゴラは近くにはスワート渓谷があり、この渓谷には、滝や緑豊かな丘陵があり、四季の彩りが豊かで、地元の人は「地上の天国」と唱っています。この美しい自然の中で彼女は育ちました。数学が少し苦手でしたが、将来は医者を目指して、お父さんが経営する学校で勉強にはげんでいました。

しかし、そんな緑豊かな楽園に悲劇がおとずれます。2007年から、パキスタン・タリバン運動というテロ組織がこの地域の政治を動かすようになります。この組織は様々なものを禁止していきます。
・映画やテレビを見ることの禁止。
・音楽を聴いたり、おどったりすることの禁止。
・ひげを剃ることの禁止。
・ポリオワクチンの接種の禁止。
・女生徒が学校に行くことを禁止。
・女性の買い物の禁止

これらの命令に従わない者は、
顔に酸がかけられる、家や学校が爆撃される、さらに公開処刑され、その死体は広場にならべられる・・・現在の日本では考えられないような現実が次々とおこっていきます。

けれども、そんな日常をなんとかしようという人も現れていきます。この少女のお父さんもその一人です。このお父さんの友人がジャーナリストでした。少女はこのつながりから、イギリスの主要テレビ局のウェブサイトにスワートの現状というブログを書き始めました。スワートの人々がどれだけ過酷な日々を送っているかをリアルタイムで伝えるためです。もちろん、命を狙われる危険があるため、ブログネームを使いました。また、テレビに出て「どうして学校に行く権利を取り上げようとするのですか?」と自分の意見を主張したことも何度かありました。少女が11歳のときです。

12歳になった少女は、母に新しい夢を伝えます。「私、政治の道に進むべきだと思う。この国の役に立とうとすると紛争が多すぎるでしょ。わたしが解決したいの。パキスタンを救うために」・・・そして、テレビでブログを書いていたのは私です。と公表します。すると彼女のところにはテレビの出演依頼が殺到します。彼女の肩書きも「スワートの女子学生」から「子どもの権利を訴える運動家」に変わりました。少女は信じています。「学校を作って全ての人に教育を施すことが、タリバンというテロ組織と戦う最善の方法だと。」

テレビの出演が増えると、少女や少女の父には脅迫の手紙が何通も届くようになりました。少女の父の友人たちは、「少女を留学させたほうがよい。命が危険だ。」と何度も伝えてきます。そんなとき少女はこんなことをいいます。「おじさんは素晴らしい人だけど、それは勇気の教えに背くことだわ」と。

そして2012年10月9日、15歳になった少女は通学途中に銃撃に合います。頭部と首に2発の銃弾を受け、2ヶ月半の入院生活をします。奇跡的に一命をとりとめた少女は、電話口で父にこう伝えます。「こっちにくるとき本をもってきて。試験勉強がしたいから。」

2013年7月12日、少女は国連本部でスピーチをする機会を得ます。少女はスピーチの締めくくりにこんなことを呼びかけます。

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、何百万人もの人が貧困、不正、無知に苦しんでいることを忘れてはなりません。何百万人の子どもたちが学校に通えていない事実を忘れてはなりません。わたしたちの兄弟姉妹が、明るく平和な未来を待ち望んでいることを忘れてはならないのです。
ですから、本とペンを手に取り、全世界の無学、貧困、テロに立ち向かいましょう。それこそわたしたちにとってもっとも強力な武器だからです。
一人の子ども、一人の教師、一冊の本、そして一本のペンが、世界を変えられるのです。
教育以外に解決策はありません。教育こそ最優先です。
 
少女は、現在イギリスの高校で勉強しています。近い将来パキスタンに帰るために。

先生の話は以上になります。この少女の生き方から何かを感じ取っていただけたら幸いです。