秋は過ぎ去り、冬が本番を迎えつつある昼下がり。
いい加減運動せねばと思い、近所を散歩する。
いい天気だ。雲ひとつない。
遠くに見える真っ青な空と深い緑の山の境界線が好きだ。
たどり着ける訳もないのにそこへ向かって歩みを進める。
ふと、空と山の境界線に白い鉄塔があるのに気づく。

そう言えば、あの鉄塔はどうやって建てたのだろう。

トラックが通るような道があるようには思えない。
まさか人の力で運んでいるのだろうか?
それに鉄塔と鉄塔の間を結ぶ電線はどうやって張ったのか?

次々に浮かぶ疑問と一緒に散歩を続ける。
ふと、目の前に「〇〇の宿跡」と彫られた石碑が現れる。

宿?
ここには昔宿があったのか?
温泉か?温泉があったのか?

温泉に行きたいな。
寒くなってきたな。
帰ってお風呂に入ろう。

湯船につかりながら先ほどの疑問を思い出す。
なぜ?どうして?どうやって?
だめだ、お風呂になんて入っている場合じゃない!

どうやって山の上の鉄塔を立てるのか?
建設場所まで行くための道路を作って資材を運んだり、ヘリコプターを使ったりして運ぶ。
送電線もヘリコプターと地上の作業員との協力で張る。
資材の材質や塗装の色、作業方法の一つ一つに工夫がしてある。すごい。

「〇〇の宿跡」とはいったい何?
昔の街道沿いにあった休憩のための宿。場所によっては峠を越えるための準備をする場所。
街道で有名なのは五街道「東海道」「中山道」「甲州街道」「奥州街道」「日光街道」。
街道は人や物資が行き来するために整備された道のこと。五街道は参勤交代にも用いられた。
街道は日本各地にあり、中でも長崎街道は別名「シュガーロード」とも呼ばれる。
出島を通じた貿易で当時貴重だった砂糖が大量に長崎にもたらされ、街道を通って長崎から佐賀を通り、福岡まで砂糖が運搬された。
このとき街道沿いに砂糖や砂糖を使った菓子作りの技法が伝わり、カステラや丸ぼうろなどの有名なお菓子が生まれた。なるほど。

普段気にも留めない目の前の光景にも、必ず意味や歴史が存在する。
誰かが言った。
「知識を増やすことは、世界の解像度を高めること」
知れば知るほど世界はより鮮明に、より深く、より広がっていく。

知るためのスタートラインは疑問を持つこと。
なぜ?どうして?と感じることが、あなたの世界を広げるきっかけとなる。

今年も残りわずか。
来年もあなたにとって世界が広がる1年となりますように!

そう願いながらこの文章を打つ手が止まる。
キーボードの配列はなぜこうなっているのか?

夏の暑さがうそのように涼しくなり、あっという間に寒くなりましたね。
夏の暑い時期は、ちょっとした移動もおっくうで、クーラーのきいた電車やバスに乗ったり、すぐに車を使ったりしていましたが、歩きやすい季節になったので、運動不足解消もかねてなるべく歩くようにしています。
最近は、目的地に向かってただ移動するだけでなく、ちょっとした脇道があると、「そこに入ってみよう」と、知らない道にドンドン入っていくようになりました。

普段は絶対に通ることのないみちをぶらぶら歩くと、いつもは気づかなかったことをたくさん発見します。
先生が住んでいる長崎は坂の町なので、本当にこんなところまで家があるのか!という山の斜面まで家がびっしり並んでいます。
車は入ることのできない細い路地なので、ゆっくり歩くことができますし、猫もよくいます。
こんなところに小さな公園がある!裏道の小さなおにぎり屋さんのおにぎりがめちゃめちゃおいしい。
歩かないと気づかないことはたくさんあります。
階段に白いペンキが塗っていますが、暗くなった時に見やすいように塗っているのだそうです。
階段を上っていくのはものすごく大変ですが、ふと振り返るとものすごくいい景色が広がっています。

タイトルの「さるく」ですが、「さるく」とは、長崎の方言で「ぶらぶら歩く」という意味があります。
ぶらぶら歩くことは、一見、意味のないことをしているように思えるのですが、思わぬ発見があるのが「さるく」なのかもしれません。

みなさんの勉強もそうではないでしょうか。
英語がきらいな人は「自分は外国になんか行かないから、英語はいらない!」数学や算数がきらいな人は「計算ができなくても電卓やスマホがあればかわりにやってくれるし…。」社会がきらいな人は「もう死んでしまった人がやったことを覚えて何の意味がある?」なんて言っていませんか?
確かに意味のないことなのかもしれません。
目的地に向かわず、ぶらぶらしているのが勉強かもしれません。
だからこそ、その中に隠れている大切なことを見つけるチャンスが転がっているかもしれませんよ。

みなさんも「さるく」してみませんか?

12月に入り、空気が一段と、ピリッと冷たくなってきた気がします。
あまりの寒さに、外出するのも億劫になりそうですが、外を歩くと、イルミネーションが目を楽しませてくれますね。
最近では目を見張るような装飾も多く、キラキラ輝く街並みを見ていると、なんだかワクワクしてきます。
みなさんは、このイルミネーションの起源を知っていますか?
いろんな説があるそうですが、最も有名な説の一つは、18世紀のドイツに遡ります。
マルティン・ルターという人(宗教改革をした人。社会で習った人もいますね。)が、クリスマス・イブのミサの帰り道、森の中で見た星の煌めきに感動して、子供たちに見せたいと木にロウソクを飾って再現しようとしたのが始まりだそうです。
その後、電球を使用して飾りつけをしたのは、ご存知エジソンなのだとか。

昔から人の目と心を惹きつけるイルミネーション。
暖色系の光は喜びを感じさせ、寒色系の光はリラックス効果をもたらす、というのは知っている人もいるかもしれません。
さらに光の点滅や変化による視覚の刺激と、家族や友人との共有体験が合わさって、幸福感をもたらしてくれるそうですよ。

さて、このイルミネーション、ある場所では準備に1年を費やすそうです。
テーマを決め、コンセプトを練り、光を調整するために明るさを100%から0%まで試して修正を重ねていく。
また、周囲とのバランスを考え、見え方や点灯、消灯の秒数まで、妥協なく労力を費やします。
当然、試験的に点灯するためには人がいない真夜中まで作業する必要も出てきます。
きれいなイルミネーションの裏に、こんな苦労が隠されていると考えると、何気なく見上げていた光も違って見えそうですね。
だからこそ綺麗なんだ、とも言えるかも。

さあ、これから冬行事の季節です。
イルミネーションにも負けない輝きを放てるように、努力を惜しまず頑張りましょう!未来を照らす冬になりますように。

「Doubt is the father of invention(懐疑は発明の父である)」という言葉を知っていますか?
これは天文学の父として有名なガリレオ・ガリレイの格言です。
ガリレオは天文学の他にも数学・物理学・哲学など多くの学問で功績を残しており、先生が尊敬する偉人の一人です。

天文学は、ここ日本では「第Ⅰ期(古代~江戸時代)」と「第Ⅱ期(明治以降)」に大きく分かれます。
第Ⅰ期は中国から伝来したもので、農耕のための暦の作成や、平安時代には政治の世界にも活用されていました。
映画化もされて有名な陰陽師の活動とも関係が深いものだったようです。
一方、第Ⅱ期は西洋の影響を受けました。
江戸時代初期に宣教師を通じて伝わってきたものの鎖国状態だったため風化していったのですが、江戸時代中期に徳川吉宗の普及活動や伊能忠敬らの功績により幕末から明治にかけて発展していきました。

余談ですが、昔は特異な天体現象は人々にとって脅威とされ、ハレー彗星が怪物のように恐れられた例もあったようです。

話をガリレオに戻しますが、ガリレオは、当時主流だった地球を中心に宇宙が回っているという「天動説」に対し、太陽を中心に地球やその他の惑星が回っている「地動説」を木星や金星などの観測から実証して発表しました。
しかし、この考えは異端とされ、ガリレオは宗教裁判にかけられました。
当時はキリスト教が掲げる「天動説」が信じられていて、ガリレオの「地動説」はありえない発想だったのです。
ガリレオは有罪判決を受けたあとも、最後まで「地動説」の正しさを唱え続け、「それでも地球は回っている」という有名な言葉を残して亡くなったと言われています。
ちなみに、キリスト教がガリレオの「地動説」を公式に認めたのは2008年になってからで、ガリレオが亡くなってから400年近くもかかりました。

さて、先生が最初に挙げた、ガリレオの「懐疑は発明の父である」という言葉ですが、これは、「あらゆる事象に疑いを持ち探求することで、新たな発見が得られる」ことを意味しています。
ガリレオは、“なぜ天動説に疑いを持てたのか”。
これは、まずは「天動説」という基本となる考え方を誰よりも深く理解していたからこそ、様々な観測データをとるうちに様々な疑問点が湧いてきたためです。
皆さんの学習も同じです。
これから新しい発見をするためには、まずは基本となる現在の知識をしっかりと学ぶ必要があります。
それこそが学校の勉強であり、今ゼミで学んでいる事です。
それがあるからこそ疑問点が生まれ、新たな発見に繋がっていくのです。
つまり皆さんがいま取り組んでいることは、目の前の受験のためだけではなく、将来に直結しているのだと認識して取り組んでほしいのです。
それを継続して行うことが、皆さん一人一人の新たなる発見に繋がるはずです。

それでは、今日も偉大な先人たちに追いつけるように、たくさんの知識を一緒に身につけていきましょう!