入社時の条件に「子どもの頃にお手伝いをしていたか?」がある会社があることをこの前知りました。びっくりですね。この会社、入社してくる人にある程度の割合で「使えない人」がいて、その人たちの共通点を調べたら、何と「使えない」と言われている人たちは、みんな子どもの時に家のお手伝いをしていなかったことがわかったそうです。

子どもの時のお手伝い経験が、大人になったときの「仕事をする力」を育てるのですね。それが分かった時点から、その会社は子どもの時に親の手伝いをしたことのない人間は採用しなくなったそうです。

お手伝い(掃除、洗濯、買い物、調理、後片付け)は、親から家庭内の仕事の一部を指示されて任されます。その過程でコミュニケーションする力、段取りする力、計画する力、問題を解決する力、最後までやり遂げる力などが自然に身につきます。

ゴールデンウイークももうすぐです。今年はお家時間が増えるはず。社会に出たときのためにも、みなさんもお手伝いに精を出してみてはどうでしょうか?

あなたは、何のために(目的)勉強をするのですか。

例えば、
①いい大学に入るために(目的)、成績で1番を取る(目標)。
②人の命を救うために(目的)、医者になる(目標)。
③人の役に立つ為ために(目的)、公務員になる(目標)。

この3つの中には、目的の立て方として良いものと良くないものがあります。①は良い目的の立て方ではありません。残りの②、③は良い目的の立て方なのです。この違いを簡単に言えば①には終わりがあるのです。②と③には終わりがないのです。「人の命を救う…一人救えば終わりではないはずですね。

良い目的は、進むべき方向なのです。目標はマラソンで例えると中間のチェックポイントなのです。社会に出た後、自分はどんな仕事をして役に立つのか、ということを思い描いて勉強をして欲しいのです。

先日、数学の授業でチャレンジ問題として難問を解く時間がありました。多くの生徒が「こんな難問は、試験に出ないから…」という理由ですぐに投げ出す中で、ただ一人A君だけが最後まで教室に残り「ウーン、ウーン」と考えているのです。なぜそんなに粘るのか聞くとこう答えが返ってきました。

「ぼくは、治療方法のわからない難病にかかった人を救える人になりたい。だから答えのある問題くらい解けなければ、将来医者になって人は救えないから」でした。(私は思わずA君の身近な大人、ご家族に対して心の中で拍手を送っていました。)

今やっていることの目的(何のために)を常に考えることがとても大切なのです。

「将来、出会う人たちを幸せにするために、僕たちは今勉強しているんだ」こう気づいた時、顔はパッと輝きます。自分の人生が誰かの役に立つとわかったときに感じる幸せを、こうやって積み重ねていって欲しいと思います。

そこには、初めてのことであっても挑戦する勇気が必要です。飛行機が逆風を受け、翼に当たる風を利用して空高く飛び上がるように、人間もある時期に厳しい環境に身を置くことで、志や夢、感謝といった自分の中にある本来のエネルギーにスイッチが入り、そこに向けて、一直線に突き進んでいくことができると思うのです。

その結果として、「合格」が向こうからやってくるのです。

皆さんは現在、小学生・中学生ですが、勉強面だけではなく様々なことを吸収して成長していく必要があります。そのためには色々なことにチャレンジしていく日々を送ってほしいですし、たくさんの経験を積むことが大切です。

初めて経験することは非常に不安に感じます。
ここからは先生の初めての経験について話をします。

先生が大学時代の話ですが、みんなで市民マラソンに出場しようという話になりました。ハーフマラソン(21.0975km)でした。

正直、高校の体育では5kmまでしか走ったことがなかったので、最初は不安でいっぱいでした。でも他のみんなも初めてだったので、みんなと一緒ならということでやってみようと思いました。

マラソンまでは1ヶ月間でしたが、早朝と夜に走る練習をしようということで、ゆっくりのペースでもいいのでと距離を走るようにしていきました。大会当日前には、10kmまでは通して走る練習をして、市民マラソンにのぞみました。

本番での21.0975kmは長かったですが、何とか走りきりました。走りきったあとに疲れ果てて、家に帰ってそのまま寝てしまうと、翌日には自力で階段を上り下りできないくらいの筋肉痛になったことを覚えています。

その翌年にもう一度ハーフマラソンをみんなで走ったわけですが、走るための準備も最初よりはスムーズにいき、終わった後もきちんと体のケアをしてから寝たので、筋肉痛もさほどではなかったのを覚えています。

そういった意味では、一度経験を積むと次からは要領が分かりますし、一度できたことだから2度目以降も大丈夫とも思えます。こういったことで、人間は少しずつ成長していけるのではないでしょうか?

皆さんも今は、子供から大人への成長への階段を一歩一歩のぼっています。最初から「無理」と思わずに、色々な経験を積んでいってください。大丈夫です。みなさんには仲間もいますし、支えてくれる家族もいるのですから…。

春を知らせる虫の1つに「チョウ」がいます。

チョウは人類よりも、はるか昔から生息していたのですが、『万葉集』にチョウが読まれた歌が一首もないことは有名です。昔はチョウとガの区別がなく気味の悪いものとして見られていたことや、ひらひらと飛ぶチョウは死者の魂を運ぶとされ、不吉だと忌み嫌われていたためです。

しかし、ひらひらと舞う優美な飛び方こそ、チョウが天敵である鳥の攻撃から身を守るための逃避行動なのです。

アゲハチョウと鳥の戦いは生まれたときから始まっています。
卵から孵ったばかりの幼虫は、鳥の糞に似て黒と白の混じった色をしています。さすがの鳥も自分の糞は食べないためです。やがて成長し、体が大きくなると、植物の茎や葉と同じ緑色の保護色に姿を変え、大きな目玉模様ができてきます。よく田畑の鳥よけに大きな目玉模様の風船が用いられますが、鳥は大きな目玉模様を嫌う性質があるためです。

他にも、幼虫の体に描かれた白い模様には体全体の大きさをわかりにくくさせたり、鳥が嫌がるにおいを放つ黄色い臭角と呼ばれる角を出して威嚇したりもします。
さなぎも、ごつごつした木の幹では茶色いさなぎになり、緑色の細くすべすべした茎のような場所では緑色のさなぎになります。

アゲハチョウが鳥から身を守り、子孫を残し、種を守ろうとする、これらの生き残りのための遺伝情報はアップデイトを繰り返しながらDNAに書き込まれていったに違いありません。自らが置かれた環境で何とかして生き抜こうとするたくましさを感じます。

4月になるとみなさんも新しい環境での生活がスタートします。自分が思い描いた環境とは異なっているかも知れません。しかし、アゲハチョウのように置かれた環境で賢く生き抜くために、自分を変化させることで環境に適応していくことが大切です。変化は相手に求めるのではなく、自分が行うのです。

ところで、平安時代まで嫌われていたチョウは、平家が家紋にアゲハチョウを用いてからは、武家の家紋として好んで用いられるようになりました。アゲハチョウの優雅で華麗に舞う姿の裏に、どのように時代が動いても、我が御家はしぶとく生きのびて欲しいという思いが隠されていたのかもしれません。