170731「怖いリンゴの絵を書いてください」と言われるとみなさんはどんな絵を書きますか。
テレビ番組で、何人かにこの指示を出してどんな絵を書くのか実験したところ、ほとんどの人が「怖い顔をしたリンゴ」の絵を書き、個性があまり出なかったそうです。
ところが「リンゴに顔は書かないでください」という制約を設けたところ、リンゴの周りに墓場の絵を書いたり、リンゴにナイフが刺さった絵だったり、怪しい模様のリンゴから毒々しい液体が出ている絵を書いたりと、様々なアイデアが盛り込まれた個性豊かな絵が集まったそうです。

なんでも自由にできる環境よりも、逆に「制約」のある状況の方が、限られた中でなんとかしようと創意工夫するため、良いものができることがあります。
先生は映画を良く観るのですが、新人監督が低予算で斬新なアイデアの映画を作って注目を浴び、映画会社がその監督に多額の予算を使わせて新作を撮らせると、見た目はすごいけれどアイデアに乏しいつまらない映画になることがよくあります。お金という制約がなくなったことで、思考が散漫になるからかもしれませんね。

勉強も同じことが言えると思います。日々の勉強で「時間が足りない」「部活との両立がしんどい」など、様々な場面で「制約」を感じるときがあるでしょう。そんな大変な時こそ、どうすればできるのか考え、創意工夫し、自分を高めるチャンスです。そしてこの夏、合宿に参加するみなさんは、普段感じない不自由さの中で大きく成長してください。

170724誰もが知っている推理漫画『名探偵コナン』。
初登場から四半世紀近くの歳月が流れた今でも絶大な支持を得ながら、現在、コミックスは93巻まで刊行され、テレビアニメは22年目を迎えています。
また、劇場版アニメも年1本のペースで計21作公開され、ここ最近では4年連続で最高興行収入を更新し続けるなど、国民的作品として、ますます上昇傾向の人気を誇っています。

大人顔負けの抜群の頭脳を持つ高校生探偵・工藤新一。彼は、黒尽くめの男たちによって試作段階の毒薬を飲まされ、身体が縮んで幼児化してしまいます。
自分が生きていることを知られたら再び命を狙われて周囲の人間も巻き添えにされてしまうため、正体を隠して江戸川コナンと名乗り、黒の組織の行方を追いながら、持ち前の推理力と洞察力、更には万能アイテムを駆使して、次々に起きる警察もお手上げの難事件を解決していく。そんなストーリーなのですが、アニメ版第652~655話「毒と幻のデザイン」では、目の錯覚を利用したいくつかの幾何学的なトリックを使ったある事件が発生しました。

その中の1つは「ジャストロー錯視」。心理学者のジャストローが100年以上前に発見した、まったく同じ大きさのカマボコのような扇型の図形を並べると、扇の中心の側に置いたものが大きく見えるという誤認識で、本編では、大きく見えるバウムクーヘンの方に毒が降り掛けられていました。
ミュラー・リヤー錯視やツェルナー錯視など、形の錯視だけでも実に多くの種類が存在します。加えて、明るさや色の錯視もあり、一度調べてみると面白いですよ。

もう1つは「ゲシュタルト崩壊」。ゲシュタルトとは、ドイツ語で「形態・姿」というまとまりのある構造を意味します。
本編では「若」という漢字が使われていましたが、一つの漢字を長時間注視することにより、その漢字の各部分がバラバラに見え始め、よく知ったものでも、その漢字が何という文字だったかわからなくなってきます。
すなわち、姿かたちが壊れて全体性が失われてしまい、個々の構造部分に切り離して認識し直してしまう知覚現象なのですが、漢字ドリルでの練習などで、何度も同じ漢字を書き続けたときに、こんな感覚になったことはありませんか。(夏目漱石の小説「門」の冒頭近くでも、この現象に関連する場面が出てきます。)
例えば、「借」「貯」「弾」「秋」「粉」など、別々に意味を持った文字で構成される漢字は特に崩壊しやすいようです。(解・話・勇・校・較・明…、挙げればきりがありません。)

黒の組織の陰謀によって数々の苦境にさらされ続けてきたコナンですが、今回の事件に限らず、彼はいつも、正義の心と勇気を持って、謎に立ち向かっていきます。
そして、真実を解き明かすためには、どんな状況になっても諦めるということをしません。自分の大切な人たちが危機にさらされたとき、どうすれば助けることができるのか、どうすることが最善なのか、どうすれば居場所を特定できるのか、という風に、「どうすれば今の目的が達成できるか?」ということだけを考えています。つまり、コナンの生き方は、常に、「何でできないのか?」ではなく、「どうすればできるのか?」というポジティブな考えがベースになっています。
人は、否定的な問いかけを自分にすると、自己暗示が進行してどんどん自分に自信がなくなり、失敗を恐れ、何もできなくなってしまいます。逆に、肯定的な問いかけができるようになると、ふとしたときに解決策が浮かんできたりします。この「どうすればできるのか?」という問いかけには、これから達成しようとする目的に対して、「自分ができない」というネガティブな要素がありません。
だから、自分に対するマイナスイメージも軽減されます。問いかけ一つを変えるだけで、何か問題(壁)にぶつかったときの行動も、まったく別のものに変わるのです。

暑くて長い夏休み、頑張ろうとしている勉強のたいへんさにめげそうになったとき、コナンの前向きな思考をぜひ思い出してくださいね。

170718プールサイダーという言葉があります。プールで飲むサイダーじゃないよ。念のため。

プールサイダーと言うのは、プールの横(プールサイド)に立って、自分は泳がないのに、タイムが遅いとか、フォームが良くないとか、他人の泳ぎをいろいろと批判する人のことだそうです。確かにプールに行くと、せっかくなのに自分は水の中に入らず、他人が泳ぐのを見ているだけの人もいますね。でも、泳ぐ楽しさや難しさは、実際に泳いだ人にしかわからないものです。

皆さんの周りにも、そんな人はいないでしょうか。勉強や部活、スポーツなど、他人のことをいろいろと批判するのに、それには参加しようとしない人です。評論家タイプの人ですね。

もしかすると、参加する勇気がないのかもしれません。失敗して笑われることが恐いのかもしれません。あるいは、本気になれば自分はいつでもできると思っているのかもしれません。でもやっぱり、見るのと参加するのとは違います。

勉強でも部活でもスポーツでも、参加して初めてわかることがあります。失敗した悔しさは、次こそ頑張ろうという気持ちにつながります。失敗を次に生かすために、いろいろと工夫が生まれますね。そして、うまくできたときの喜びは、仲間と分かち合うことで何倍も大きくなります。でもそういったことは、プールサイダーのまま傍観者でいると、経験できないことなのです。

いよいよ夏休みが始まります。いろんなことにチャンレンジできるのが夏休みです。見る人から参加する人へ、思い切って踏み出してください。

170710これは有名構文を使った英文で、小中学生の皆さんにはちょっと難しいかもしれませんが、「カーナビと道路地図の関係は、先生と参考書の関係と同じだ」という意味です。何を言いたいか、今から説明します。

皆さんの家にある車にカーナビは付いているでしょうか?昔は、高級車にしかついていない時代もありましたが、今やグレードによっては軽自動車にも標準で付いているので珍しくありません。
1990年頃にGPS搭載のカーナビが発売されたそうですので、まだ歴史は浅いのにあっという間に普及しました。それくらい便利なアイテムです。
実は先生は、カーナビを付けていません。理由は金が無い…ではなく頼りたくないから、です。その代わり、道路地図を車に入れて、困ったらその道路地図を見て目的地に行きます。それが楽しいし、それで困ったことはないので必要性を感じません。
おかげで道は裏道も含めてかなり詳しいです。先生の友人は、カーナビに依存しすぎて、ナビなしでは自宅近辺以外は怖くて移動できないそうです。
今は便利な時代で、車のギアをR(バック)に入れると、バックモニターがカーナビの画面に映り綺麗に駐車ができる機能もありますが、先生は付けていません。理由は、頼りすぎるとバックモニターの無い車の車庫入れができなくなりそうだから、です。腰痛が酷くなって運転がきつくなったらつける予定ですが…。

便利なものはとても役に立つのですが、頼りすぎるのはよくないと先生は考えます。先生達は、授業中に「参考書出して」とよく言いますよね?まずは、自分の力で問題と向き合い、解ききって欲しいから、です。簡単な英単語は自分で辞書で調べて、赤線内に書く、これが勉強です。先生に聞けば早いけど、それでは定着しないのです。
教室のブース内に学習定着率の表「ラーニングピラミッド」が貼ってあるので、見てわかると思うけど、人から口頭で教えられたことって、あまり頭に残らないものです。自分の頭で考えたり調べたことの方が長く頭に残ります。先ほどのカーナビと同じです。カーナビに依存している人は道を覚えなくなります。これはカーナビ使用者の多くが口を揃えて言います。
もし問題を解いていて困ったら(わからなかったら)、先生に聞く、ではなく、まずは参考書で類似問題を調べてその解法をよく読んでください。その意味がわからなかったら、先生に聞く。これを習慣化しましょう。これができるようになると、大人になっても困りません。
でもこれがゴールではありません。究極は参考書など使わずに問題を解ける状態にすることです。入試本番では誰にも、何にも依存することなく、問題を解かないといけないわけですから…。

17070315年ほど能開の先生をやってきました。
能力開発センターでは、まだまだ修行中の先生ですが、最近少しだけわかってきたことがあります。
はじめのころは、「受験に強い人弱い人」について、とんちんかんな、目先の成績の分析をしていましたが、大切なのはそういった受験直前期の姿を支えているその人の、それまでの生き方だということが分かるようになりました。
信じるか信じないかは君次第だけど、以下が先生が見てきた受験に強い人の要素です。今までゼミで時間をともにした何百人もの先輩たちの名簿を開いて、顔やノートの字や話した内容を一生懸命思い出しながら、書きます。

■ あいさつや会話が目を見てできる人
■ よほどの理由が無い限りゼミを休まない人
■ 勉強以外のスポーツ、芸術、学校の委員や係などの手を抜かない人
■ 笑っている人、明るい人、前向きな人
■ 「ありがとう」と言える人

簡単そうですが、簡単ではありません。
先生自身も、できそうで、なかなかできないこともあります。
細やかな技術が問われ、情報戦の側面もある大学受験ならばともかく、中学受験や高校受験の段階では、このような人間としての初歩が結果にも大きく関わってくることは間違いありません。
特に難しいのは「笑っている人、明るい人、前向きな人」かもしれません。その人の生きる姿勢にかかわることですから。
君たちに頑張れ、という以上、先生も前向きに、明るく、笑って生きようと思っています。
だからこの夏は、先生たちと一緒に頑張ってみませんか。