170529今日は先生の大好きな「蟹の話」。先生は福井県でうまれたので、毎年のように越前蟹を冬場に美味しくいただいていた。最高の食べ方は蟹のしゃぶしゃぶ。湯通ししたときに蟹の実が花のようにふわぁ~と広がる。何とも綺麗なんだ。
蟹は冬のイメージが強いが、5月はタラバガニのシーズン。季節ごとに美味しい蟹があるから、調べてみるといいかも。

そんな蟹の一種「タカアシガニ」をみんなは知っているだろうか?「生きている化石」と呼ばれている巨大な蟹で、節足動物では世界最大と言われている。
生息場所は日本近海の深海(150m~800m)。成熟すると、脚を広げて3.8mになるものも。甲羅の幅は40cmほど。とにかく大きい。
でもあまり美味しくない。だから食用というよりは、よく水族館などで観賞用として飼われている。見たことがあるかも知れないね。中には100年ほど生きるものもいるそうだよ。

この「タカアシガニ」、蟹だから脱皮をくり返し、その度に大きくなるのだが、脱皮は命がけだということを知っているだろうか?
タカアシガニの脱皮に要する時間は大きいものだと約6時間。脱皮の途中は無防備になるため、敵に狙われる。また脱皮はすごく繊細で途中に他の蟹とぶつかっただけで、脚が曲がったり、脱皮に失敗してしまうこともある。失敗すると最悪の場合、死に至る。
蟹はなぜそこまでして脱皮するのだろう?大きくなりたい、新しい自分になりたい、のかも知れない。脱皮すると以前に失った脚やはさみも元に戻るんだ。

みんなもいろんなタイミングで成長しているんだよ。心の脱皮をくり返している。成長してきて、自分の殻が小さくなって、さらに大きくなるために脱皮をする。どんどん脱皮して大きくなろう。
EXオープン模試、ゼミ、講習会、合宿、君はどのタイミングで脱皮し、大きくなるのだろう? 楽しみだね!

170522「255」を素因数分解すると「3×5×17」と表すことができます。これが一瞬でできた人は凄いかもしれません。

「3」も「5」も「17」も「素数」と呼ばれています。素数の定義は「2個の正の約数(1と自分自身)をもつ自然数」となります。「割り切れない数字」と言った方がわかりやすいでしょうか。

ちなみに素数は、「2、3、5、7、11、13、17、19、・・・」と無限に続くとされています。今まで発見された中で最大の素数は「22,338,618桁」もあります。最近流行りの「35億」という数字もとても大きな「数」ですが、「桁」で表せばたったの「10桁」ですから、「2000万桁」を超えるとは、もはや気の遠くなるような桁数ですね。その素数の法則を発見するために提唱された「リーマン予想」は150年もの間、未解決のままだという事実も驚きです。

素数は、これ以上分解できない「数」ですが、物質の成り立ちとも似ていると言われています。

中学校の理科では、一番小さな「物質」は、「原子」ということになっています。しかし、それは大昔までの話です。原子は「原子核(1個)+電子(複数)」だと解明されました。そして、その原子核すらも陽子、中性子で構成されて・・・、といったように原子よりも小さな単位が存在することが分かってきました。

さて、そろそろ本題に入りましょう。

今回伝えたいことは「なるべく小さく分解して考える」ことの大切さです。つまり「要素」を見つけることです。

例えば、プロ野球のピッチャーとして必要な「要素」は何でしょうか。

時速150キロの球を投げられる。これはひとつの「要素」です。もちろんこれだけでは通用しません。まるでストライクゾーンに投げられないのであれば、ずっとフォアボールです。
そこで「コントロール」という「要素」も必要だとわかります。速くてコントロールがあれば大丈夫か。プロの世界ではそれでも通用しません。プロのバッターは、どんなに速い球でもストレートしか投げてこないとわかれば「打てる」といわれています。だから、いくつかの変化球を持つことが必要になります。多くの種類の変化球を投げられることは、バッターに的を絞らせないためにも必要な「要素」です。
では、それも猛練習の末、体得したとしましょう。すでに3つも「要素」を集めました。しかし、それでもまだまだなのです。

最後はピッチャーとしての「実践経験」が必要だというのです。

何万人という観客や多くのビデオカメラに囲まれて、マウンドにポツンと一人。さらには実績豊富な強打者の迫力を前にしたとき、緊張してまったく力が発揮できない場合があります。あるいは、ピンチに立たされた時に平常心が保てずに、失投が続いてしまうこともあります。
自分にとって理想の環境であれば力が発揮できたとしても、それが「現実世界と地続きである」とは限りません。

そこに「本番力」という「要素」が見つかります。

非常に遠回りをしてきましたが、「本番力」とはそれくらい見つけにくい「要素」だということです。「255」を構成する要素に「17」が必要なように。

「本番力」とは、どうやって身につけるのでしょうか。様々なアプローチがあるかもしれません。ただ、一つ言えるのは「自分にとって都合の悪い環境」の中で結果を出す練習をすることが、「本番力」を高めるということです。

ちなみに、勉強を頑張っているのに成績が上がらないのであれば、この「要素」を見つけられていないのかもしれません。野球でいえば、速い球を投げることだけが、野球の練習だと思い込んでいるようなものです。
求められているのは「要素」を組み合わせることなのです。「英語」や「数学」といった勉強もこれと同じです。

さて、本番力について。それが身につくための場として用意しているものの1つとして「合宿」があります。「合宿なんて嫌だ」という人もいるでしょう。
しかし「嫌だ」からこそ「必要」なのです。仲の良い友人、顔見知りの先生、使い慣れた机や椅子、それらに囲まれた見慣れた景色。そうした自分にとって都合のよい環境の中でしか結果が出せない、となれば「本物の力」とは言えません。

誰でも、本当に強くなりたいならば「真剣勝負の場」に身を置こうとします。日常と地続きではない環境は、「合宿」でこそ体現されます。
もし、自分次第で合宿への参加が決められる状況にも関わらず足踏みをしているのならば、自分の心の中をしっかり覗き込んでみてください。

170515私が、能開の先生になって初めて参加した合宿は「南の島の大冒険合宿」でした。正直、その合宿に参加すると決まった時は、行きたくありませんでした。しかし実際に参加してみると、自分が想像すらできなかった様々な経験をすることができました。本当にすべてが初めて!海底まで見える澄んだ海・まさに手が届きそうなくらいの満天の星空。5泊風呂なしの生活。日焼けで耳たぶまで皮がむけるなどなど・・・本当に人生観が変わるくらいの経験でした。またそこで先生が担当した班での活動は、苦労の連続でした。最初は全くまとまりがない班で
した。協力的でもなく自分勝手。先生も悩み、班での話し合いもいろいろしました。しかしそれを積み重ねていく中で班がどんどん団結していく。本当に感動的でした。今の教室での生徒対応も、この時の経験がベースになっています。
最初は嫌だったものだけど、そこでの経験が今の自分のプラスになっていることを実感して、心底「参加して良かった」と思うのです。

これからの時代、様々な力が求められます。「やってて良かった」と「やっておけば良かった」の差は今まで以上に大きくなってくるでしょう。例えば大学入試も2020年から大きく変わっていきます。学力評価だけではなく人物評価まで入ってくるのです。学力だけであれば、短期間で何とかなるものです。しかし人物評価となると予備校に通って、詰め込んで何とかなるものではありません。それこそ、その時までにどんな経験をし、どんなことを学び、どれだけ自分を成長させてきたかが問われると言ってもよいでしょう。
高校3年生のその時になって、「やってて良かった」と思うのか?「やっておけば良かった」と思うのか?この2つの思いのどちらかを強く感じるような入試になると考えられます。また入試だけではなく、大人になって社会に出たときに、「やってて良かった」の安堵・「やっておけば良かった」の後悔はさらに強くその人の生き方に影響してくるかもしれません。

5年先・10年先・将来を見据えて、早い段階から準備することも大切です。
ただ、自分が将来を想像して、必要なことを今のうちからやっておくというのも限界があります。
むしろ、今の段階ではそれほど必要性を感じない・めんどくさいものの中にこそ、将来になって「やってて良かった」と実感できることがあると思うのです。
なので先生は君たちに言いたい。勉強も大切だけど、子どものうちにあらゆることに飛び込んで、多くの経験をしてほしい。目先の利益・算段で行動するのではなく、今の自分にとって必要性をあまり感じなかったとしても、どんどん機会があれば飛び込んでいってほしい。ティエラの夏合宿はまさにその機会だと思う。家族旅行や物見遊山では絶対に得られない経験がそこにはあるから。
「やってて良かった」と「やっておけば良かった」の大きな違いは、まず「やること」からだよ!

170508この春、能開の高校部で昨年以上の多くの生徒が志望大学への合格を果たしたことは、皆さんも知っていると思います。これは生徒たち一人ひとりが努力を積み重ねた結果であり、とても誇らしいと感じています。今回、合格を果たした生徒たちやその先生に話を聞く機会がありましたが、その中で印象に残っている言葉があります。

高3年生は受験直前期のように、高2年生は受験生のように

これは1年間を前倒しで、勉強を進めようという考え方です。3年生になったばかりの人は、いよいよ残り少ない受験直前に突入するような集中力で、2年生になったばかりの人は、今からが本格的な受験生だぞという強い気持ちで、それぞれ勉強を進めることが合格の秘訣なのです。

もちろん1年間も前倒しするわけですから、簡単なことではありません。難しいことやわからないことにもたくさん出会うでしょう。でも、そこであきらめたり逃げ出したりするのではなく、自分が掲げた目標とのギャップを、少しずつ埋めて進んでいく努力が必要なのです。これは大学受験での話ですが、高校受験にも通じることがありそうですね。

「先んずれば人を制す」という言葉もあります。何事も人より先に行えば、物事を有利な立場に立てるという格言です。どちらかというと他人を押しのけて自分だけが勝利するイメージがありますが、もっと大きな視点で考え、自分からどんどん先に進むことで、一段上のレベルに成長するという意味だと理解してみてはどうでしょうか。

受験勉強は孤独な苦しい戦いだと言われますが、能開では「受験は団体戦だ」という話をします。それは皆さんを支えてくれる家族や、一緒に頑張れる仲間たち、そして能開の先生がいるからです。家族に励まされ、友だちと競い合い、助け合い、目標に向かって進んでいく先に合格があるのです。

5月に入って1学期も中盤になりました。自分からどんどん先に進む気持ちで、新しい目標にチャレンジして下さい。

170501マンガ「ドラえもん」の中では便利な道具がたくさん出てきますよね。ドラえもんが生まれたとされる22世紀では、車の運転はおろかトイレなど世の中のあらゆるものが自動化されて、人間を助けてくれます。
「宿題を自動でしてくれるペン」とか「食べたら暗記できるパン」とか、先生はそれを見て「うわぁ、こんなものがあったら楽になるのになあ!」と感心したものです。
さすがに暗記パンは無理にしても、今では技術の進歩でその一部が実現できるようになってきました。長崎ハウステンボスの「変なホテル」では、人間ではなくロボットがお客さんにサービスをしています。「自動で運転してくれる車」は5年~10年後には登場していることでしょう。(50年後には空を飛んでいたりして!?)

またロボットだけではなくAI(人工知能)もすごい勢いで発達し、昨年にはなんと一人の人間の命を救ったこともありました。
白血病(血液のガン)と診断されたある患者が、薬による治療を続けてもまったく症状が回復せず、このままでは死んでしまう可能性まであったそうです。
ワトソンというこのAIは、2000万件にものぼる医学論文と1500万件の薬の効果を学習しています。このAIに患者のDNA情報や症状を入力したところ、「この患者は特殊な白血病ではないか」「別の薬に変えたほうが良い」というアドバイスを出したのです。
このアドバイスに従い医者が薬を変えたところ、それまでまったく良くならなかった病状がみるみる回復し、患者は半年後に退院することができました。

コンピュータや機械は、人間には不可能なスピードや量を処理することができます。いくら勉強熱心な医者でも、これほどの色々な病気をすべて暗記することは不可能でしょう。
ですから「これから医者はいらなくなる」「これからはロボットとAIが何でもやってくれる」「人間は何もしなくても生きていけるようになる」と極端なことを言う人もいるようですが、はたして本当にそうでしょうか。

もしお医者さんがロボット(AI)になった場合、もしその治療によって病気が悪くなったら、ましてや命を落としてしまったら、誰が責任を取るのでしょう。そのロボットを操作した人間でしょうか。そのロボットを置いている病院でしょうか。それともロボットを作った会社でしょうか。
ロボットが出した判断が正しいかどうか、またその治療を行うかどうかを判断して、最終的に責任を取るのはやはり人間であるべきです。ということは、ロボットを使う医者も、ロボットと同じくらいのことはできなくてはならないでしょう。
どれだけ技術が進歩しても、その技術を使う人間もまた進歩していかなくてはならない。先生はそう考えます。

便利な世の中になって人間が考えることをやめてしまうとき、それは世の中がロボットとAIに支配される日なのかもしれませんよ???