161031「君の名は。」は、公開されてから各メディアで取り上げられているので、先日観に行ってきました。
皆さんの中にも、劇場まで足を運んで観てきた人も多いのではないでしょうか。

全編に渡ってとてもきれいな映像が流れていることで注目されていますが、肝心の内容の面白さや秀逸さについてはほとんど触れられていません。映像が素晴らしいだけではこんなにヒットしないだろうと、映画が始まるのを待っていました。

さて、鑑賞後の感想は「あたたかい気持ちになりました。」です。
観てきた人たちはどんな感想を持ったのかな、と気になります。「おもしろかったー」と思った人もいれば、「なんだかよくわからなかったなぁ」とか「こんなこと現実にはないよ」と思った人もいるでしょうね。

もちろん面白かったし、映像もきれいでした。内容的には一つのキーワードがこの映画にあったと思います。それは「ムスビ」と言う言葉です。この言葉がいくつかのシーンで出てくるのですが、このキーワードを押さえて観ていくと、物語の中で起きる出来事がどこかの事象につながり、ストーリー全体をまとめているように感じました。特に人との”結びつき”はとても大切に描かれていました。どんなに記憶が薄れても、ちゃんと大切な人との結びつきは存在していると。
とってもあったかい気持ちになりました。

私たちは一人でがんばって生きているように見えても、実は色々な人と接しながら毎日を過ごしています。
ただ大きな声であいさつを交わすだけでもいい気分になり、元気が出てきます。
ありがとうと、感謝の気持ちを伝えるとお互いに幸せな気分になれますよね。
人と接して意見を交わすと、違う考え方や自分の知らない知識などに出会い、自分の幅が広がって行くこともたくさんあります。
それに、誰かと一緒にがんばることで、自分の力を今以上に引き出して行くことも可能です。

一人で黙々と勉強に向かうことも大切ですが、人との結びつきをつくる力をつけていくことが今から大事になってくると思います。
その力をつけていくコツは、相手を知りたいという気持ちと自分を知ってもらおうという気持ちを持つことだと思います。
ゼミ体験で、日々新しい仲間が参加しています。
新しい仲間にも元気に声をかけて ”ムスビ”を作っていきませんか。

161024突然ですが、次の3つの言葉に共通すること、わかりますか。
「姫路城」 「法隆寺」 「厳島神社」
どれも名高い日本史上の建造物ではあるのですが、それだけでは不十分です。では、ヒントになるような言葉を続けます。「富士山」「屋久島」「小笠原諸島」…、さらに「ピラミッド」「万里の長城」「グランド・キャニオン」…。実は、それらはすべてユネスコによって「世界遺産」に登録されているものばかりなのです。(現在、総数は1000件以上。日本は20件。)

人類共通の貴重な財産である、地球上の素晴らしい文化財や自然環境を崇めて、国際的な協力と援助の下で保護・保全し、未来へ向けて末永く受け継いで残していくという考えに基づいた取り組みである世界遺産の中には、平和への願いや人種差別の撤廃などを考えていく上で重要な物件もあり、明確な定義付けはされていませんが、別名「負の遺産」と呼ばれているものもあります。それらは、歴史上で人類が犯した愚かな過ちの出来事を記憶に留め、同じ事を二度と起こさないための教えとしての存在意義があります。日本では、唯一、広島の「平和記念碑(原爆ドーム)」が挙げられます。

その原爆ドーム、今年の5月27日、アメリカのオバマ大統領が伊勢志摩サミット後にその地を訪問したことで改めて注目を集めました。元々、この建物は、戦前から「広島県産業奨励館」(最初は広島県物産陳列館)として運用されていましたが、あの1945年8月6日の原爆投下により、一瞬にして無惨な姿へと変貌したのでした。

戦後、広島が徐々に復興していく中で、存廃の議論が活発になり、取り壊される可能性が高くなりました。そんな折の1960年、1歳の時の被爆が原因とみられる急性白血病のため16歳で亡くなった、ある女子高生の書き遺した日記のほんのわずかな一節がきっかけで、原爆ドームは保存の方向へと大きく動き出すことになります。
「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも恐るべき原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろう。」
この一言に民衆は感銘を受け、やがて保存を求める運動に広がっていき、1966年、永久保存が議決されました。そして、30年後の1996年の世界遺産登録へと繋がっていきます。

世界でただ一つの被爆国家として、正に原爆が投下された生々しさを世界中の人々に、そして後世の人々に伝えていくことは、他の国には決してできないとても大切な使命です。その陰に人々の心を動かした女子高生の悲しい運命がありました。彼女の平和を願う気持ちは、人類に永遠の貴重なメッセージを残していきました。

歴史は神が創るのではありません。一人ひとりの想いのうねりが、果てしない歴史を紡いでいくのです。

161017今回は「スティーブ・ジョブズ」の話をします。皆さんも知っているアイフォンやアイポッドを開発したアメリカのアップル社の創業者です。今年の10月で、ジョブズが亡くなって5年になります。

今では私たちの周りにコンピュータはあふれていますが、ジョブズが「アップルⅠ」というコンピュータを開発するまで、コンピュータは大きくて高額で、大企業などが持つ限られた機械でした。そのコンピュータを、小さくて安く、誰もが使いやすいものに変えたのがジョブズの功績です。アイフォンやアイポッドも同様ですね。音楽プレイヤーや電話機を簡単な操作で身近に携帯できるものに変えたのが、ジョブズなのです。

そんなジョブズのエピソードを一つ紹介しましょう。ジョブズは大学生の頃、つまらない授業にあきて大学を中退したのですが、「カリグラフィ」という西洋書道の授業だけはこっそりと参加し、文字のデザインの勉強に熱中していました。アルファベットの様々な書体が持つ文字の美しさに感動し、熱心に研究していたそうです。

コンピュータと西洋書道は全く別の世界で、何の関係もありません。一見、ジョブズは無駄で回り道のような勉強をしていたのですが、10年後、「アップルⅠ」の後に「マッキントッシュ」というパソコンを開発する時、西洋書道の勉強が美しい「フォント(文字)」の作ることに役立ちました。

「マッキントッシュ」以前のパソコンでは、お世辞にも美しいとは言えない、地味で無骨なフォントしか使われていませんでしたから、デザイナーをはじめとする多くの人々がジョブズの作ったマッキントッシュを支持しました。そしてそこから、パソコン用に多くのフォントが開発され、広く使われるようになったのです。

もともと「西洋書道」と「コンピュータ」は点と点で無関係な存在ですが、ジョブズはそれをつなぎ合わせて見事な成果を出したのです。亡くなる6年前に、ジョブズはスタンフォード大学の卒業式に招かれて、次のようにスピーチしています。

「将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。」

未来を信じて、今を一生懸命に生きよう、ジョブズはそう言いたかったのだと思います。

161011君は何色の夢を見ますか?
ここでいう夢は、寝ているときに見る夢のことです。
鮮やかな色の付いたカラーの夢を見る人、白黒の夢を見る人、それぞれでしょう。

アメリカで1300人を対象に行った夢の色についての調査結果では、カラーの夢を見ている人の割合は30歳以下の人は80%、60代の人は20%だったそうです。

さらにその研究の中では、カラーテレビしか知らない若い人ほど、カラーの夢を見ていると答えているそうです。
かつて白黒のテレビを見ていた人ほど「映像=白黒」のイメージがあり、潜在意識の中で夢の色を白黒と判断しており、カラーテレビの出現によって、若い人ほど「映像=カラー」になっている可能性があるそうです。

普段見ている景色ではなく、普段見ているものの「イメージ」が夢となって現れます。
カラーテレビが普及したことでカラーの夢を見るようになったとしたら、これからテレビが進化していったらどんな夢を見るようになるのでしょう。
においを感じることができるテレビができたら?
夢の中でもにおいをイメージとしてとらえるようになる?
今話題のVR(仮想現実)が各家庭に普及したら?
より現実に近いイメージの夢を見るようになる?
さらに未来で暑さや寒さ、風までも感じるような体験が身近にできるようになったら?
夢の中でも暑さや寒さのイメージがより強まって、暑さ、寒さを感じるようになる?
イメージが強くなることで、夢の世界がよりリアルになっていくでしょう。

君は何色の夢を見ますか?
ここでいう夢は君が思い描く将来の夢です。
この夢の色は君自身が選択し、塗り上げていきます。
強く、具体的にイメージすることで、それはやがて現実となっていくでしょう。

161003能開・熊本校の佐藤です。
今回は、ぼくの竹馬の友の話をします。

強く願い続ければ、「夢」は必ず実現できる。
貫き通した少年時代の夢の話です。

40数年前、中学生だった山下泰裕少年は、「一生懸命柔道の稽古に励んで、将来はオリンピックに出たい。メインポールの日の丸を仰ぎながら君が代を聞けたら最高だろう。そして選手を辞めたら、世界の人々に柔道を広げる仕事をしたい」と「将来の夢」と題した作文に書いた。

彼は自分の子供の頃は、悪ガキだったと言うが、ぼくはそうは思わない。とても優しい心の持ち主だった。たしかに体は大きいし、スポーツも得意、けんかも得意?それで、近所の厳しい柔道教室に連れて行かれたのが柔道との出会いと言う。でも本当はその前に剣道をやっていたけどあまり強くなかった(笑)。ところが、柔道はルールを守ればどんなに暴れても怒られない。エネルギーを発散でき、有り余る闘争心を満たしてくれる柔道の激しさに、たちまち夢中になっていったと言う。

彼の「将来の夢」のひとつは、1984年のロサンゼルスオリンピックで実現した。しかし、彼にとってオリンピック出場のチャンスは3回目だった。1回目は補欠、2回目はモスクワオリンピックのボイコットで参加できず。3回目にようやく、それも足を怪我して、苦しんで苦しんで最後のチャンスを勝ち取ることができた。テレビの画面を通してぼくもいっしょに泣いた。彼は、表彰式で日の丸を見ながら「自分は世界一幸せな男だ」と思ったそうだ。さらに続けて「もちろん、自分も誰よりがんばってきた。しかし、すばらしい先生との出会いや、切磋琢磨してきた多くの仲間がいたからこそ、自分の夢が実現できたのだ」と言った。

2003年、彼は国際柔道連盟の教育コーチング担当理事に就任しました。世界における柔道の普及と発展という、まさに夢の通りの仕事に就いた。

最後に、彼からのエールを伝えます。「自分の好きなことなら何時間でも続けられるし、やり遂げた後には心地よい達成感がある。今の楽しさを少しだけ我慢すれば、明日が、未来がもっと楽しくなると思ってがんばってほしいですね。」