150427先月、先生の住んでいる石川県に新幹線が開通しました。今まで東京まで4時間かかっていたのが2時間半で、お隣の富山までは今まで40分かかっていたのがわずか18分で行けるようになりました。
これでは本を読んでいるヒマも座っているヒマもないかもしれませんね。先生の家のベランダからも全力疾走する新幹線が見えますが、やはり時速260kmというのはすさまじい速さです。
実はこのくらいのスピードになると、通常では考えられない問題が起こってくるそうです。

例えばブレーキの問題がその1つです。新幹線以外の鉄道では「最高速度は時速130km」と決められています。これは、運転手が障害物を発見したときブレーキをかけて止まれる距離(600m)から計算されているそうです。
では時速260kmで走る新幹線は、ブレーキをかけてから止まるまでに何m必要だと思いますか? 答はなんと「4000m」です。4km先なんて見えるわけありませんから、つまり運転手が何かを発見してブレーキをかけても絶対に間に合わないということですね。

今から50年前に日本で初めて新幹線が開通するときも、技術者はこの問題をどうやってクリアするか色々と悩んだといいます。みなさんは、この問題をどうやって解決したかわかりますか?
実は『ブレーキをかけなくてすむように、線路内に何も入り込めなくする』方法をとったのです。ブレーキをかけても間に合わないのなら、「ブレーキをかけるような状況を作らなければ良い」というまったく逆の発想を思いついたのです。
こうして新幹線は「全線立体交差で踏切を作らない」ように作られ、さらには「新幹線の線路内への立ち入りを禁止する法律(新幹線特例法)」まで作られました。
今では当たり前に走っている新幹線も、このような発想の転換によって実現したとは驚きですね!

目の前に何か困った問題が起こったとき、「正攻法」で原因と改善を図るのはもちろん大切なことですが、どうにもこうにもならないときは「逆転の発想」をしてみるのもよいかもしれませんね。
(間違っても「能開の宿題が終わらない」から、「終わらせなくても済む方法を考える」という逆転の発想をしてはいけませんよ!?)

150420先日、井上雄彦×ガウディ展を見てきました。
井上雄彦さんは漫画家で、代表作は『スラムダンク』『バガボンド』などです。『スラムダンク』は連載終了から10年以上たっていますが、心をふるわす名言がたくさんあります。興味を持った人はぜひ一読してください。
アントニ・ガウディは19世紀から20世紀にかけてスペインのバルセロナで活躍した建築家です。サグラダ・ファアミリアが有名ですね。そのガウディの人生を井上雄彦さんが絵に描いたものやガウディの設計図や模型の展覧会でした。

「天才の仕事だ。」

ガウディは言うに及びませんが、井上雄彦さんについても同様の感想を持ちました。圧倒的な表現力に打ちのめされました。
大学時代、先生は漫画研究会(漫研)に所属していました。大学に入るまで漫画を描いたことがないどころか絵すらもろくに描いたことがありませんでした。なんの因果か成り行きで漫研に入ることになりました。
このサークル、本気で漫画を描こうとする人たちの集まりでした。先輩たちの描くものと自分が描くものの落差に愕然としました。それはそうですね。先輩たちは幼稚園のころから絵を描いていたような人たちですから、比べるのもおこがましい話です。
完全に心を折られた先生は、ある日、部長に退部のお願いをしました。「自分には才能がないので辞めせてください」と。部長は、「才能なんて関係ない。絵がうまくなりたいなら、描いて描いて描きまくるしかない」と諭されました。先生はその言葉を信じ、もう少し続けてみようと思い退部を踏みとどまりました。
それから時間があれば絵を描く生活をしました。先輩たちのようなレベルには到達しませんでしたが、以前の自分より明らかにうまく描けるようになりました。そこからは描くのが楽しくなり卒業するまで漫研にいました。

いま圧倒的な画力を有する井上雄彦さんですが、『スラムダンク』の1巻を見返してみるとうまいと言えない画力でした。現在の仕事ぶりをみて、「天才(1031)だ」「才能がある」という一言で片づけてしまいますが、子どものころから連綿と続く努力の結晶が今の姿であることを私たちは見落としがちです。
誰しも最初は出来ないものです。初めてやることですから、うまくいくはずもありません。いまでも先生の机の引き出しにはサークルに入ったばかりの絵が残っています。我ながらあまりの下手さに冷や汗が出ます。
その当時はうまく描けないから面白くない、やりたくないと思っていました。しかし、先輩の一言で我慢してやり続けることでそれなりに描けるようになりました。出来なくて苦しくても続けることでしか上達しません。それはどんな世界でも同じことです。

いま勉強ができなくて苦しい思いをしている人がいると思います。才能がないと嘆かないでください。勉強を止めないでください。みなさんは才能が不足しているのではありません。勉強をしている時間が、努力の量が不足しているだけです。
苦しい時間を乗り越えた先に本当の楽しさ面白さが分かります。あきらめず続けてみてください。

スラムダンクに登場する安西先生も言っています。
「あきらめたらそこで試合終了ですよ」

150413皆さんは「アマゴ」と言う魚を知っていますか?
サケの仲間で、一生を河で過ごす魚です。
先生の住んでいる岐阜県の長良川は、天然のアマゴで有名です。多くの釣り人が、とても長い釣竿を使ってアマゴを釣っています。
4月の今ぐらいの時期から5月にかけて旬を迎え、塩焼きにして食べるとほっぺたが落ちるほどおいしいですよ。

また、アマゴはとても縄張り意識が強い魚でもあります。
河の決まった場所に自分だけの住処を持って、他のアマゴが来ると体当たりをして追い払います。当然、体の大きな強いアマゴはより広くて、えさが豊富な縄張りを持ち、中くらいのアマゴは少し狭い縄張りを持ちます。
そして住みやすい場所は限られていますから、さらに体が小さいアマゴはほんの少ししか縄張りを持てません。

では、さらにさらに体が小さいアマゴはどうでしょう。
彼らは縄張りを持つことができません。住みやすい場所は全て別の、体の大きなアマゴにとられてしまったからです。仕方なしに小さなアマゴは河を下っていきます。海へ下るわけです。
でも、アマゴの体は淡水(しょっぱくない水)で生活するようにできているので、海水(しょっぱい水)の中ではとても息苦しいわけです。海へ下ったアマゴの中には途中で命を落とすアマゴもたくさん居ます。

こうしてやっとの思いで海へ下った小さなアマゴは、広い海で大きな縄張りを持つことができます。つらい海水のなかで懸命に努力するわけですね。広い縄張りと豊富なえさのおかげで、海へ下った小さなアマゴの体はぐんぐんと成長します。
そして、河で広い縄張りを持っていた大きなアマゴよりもさらに体が大きくなったころ、深緑色だった鱗がなんと銀色に変わるのです。
全身が銀色のうろこに包まれた大きなアマゴは「サツキマス」と呼ばれるようになります。

かつて体が小さかったアマゴは、数々のつらい事苦しい事を乗り越えて大きく成長しサツキマスになりました。いつもいつも楽に成長できるわけではありません。
これは人間でも一緒です。今までよりも難しい問題にチャレンジするとき、新しい友達と最初に会話するとき、通う学校が変わったとき・・・・・・。つらいと思うことがあるかもしれません。しかしつらいと思うことを乗り越えようとがんばっている時に、人は一番成長します。
つらい事から逃げずに努力を続けることが一番大切なことだと先生は思います。

最後にサツキマスの話をもう少ししましょう。海へ下ってサツキマスになったアマゴは、ある時期に故郷の河へ帰ります。そうすると、河にずっと住んでいたアマゴは体の大きさにびっくりして尻尾を巻いて逃げ出します。
こうして小さかったアマゴはサツキマスとなって、最後には一番大きな縄張りを得ることになるわけです。

150406この原稿を書いている3/30現在、春の選抜高校野球選手権大会では4強(ベスト4)が出そろっています。
先生の地元(福井県)からは、敦賀気比高校が昨年の夏の大会に続いて4強に入っています。
昨日の準決勝では静岡高校と対戦し、9回裏でのサヨナラ勝利を収めた今年の敦賀気比。確かに野球は9回裏・2アウト以降(あと一人…)の土壇場でのサヨナラや逆転が起こりうるスポーツ。観客はこういった展開に大いに感動し、純粋でまっすぐな高校生たちの「ドラマ」に気持ちが高揚します。
(※編集部注 4月1日に敦賀気比高校は北陸勢で初優勝を成し遂げました)

先生が学生時代、地元の福井商業高校が春の選抜大会で準優勝しました。北陸代表としては初の準優勝だったと記憶しています。このときの決勝戦は、今でも脳裏に焼きついています。
結果は0-2で浜松商業に敗れたのですが、当時の常識(世間の前評判)では、特に春の大会は「雪国の代表校は勝てない」というものでした。理由は単純。冬場は積雪や降雪のために練習ができないから(不利だから)というものでした。しかし、そんな理由は昨今の各種スポーツの結果をみる限り、何の根拠にもならない気がします。
冬場に屋外練習する機会に恵まれない分、屋内でどうトレーニングしていくか。まさに、物理的な(外的な)マイナス要素をいかにプラスに転じさせるかを「メンタル面」も含めて「コーチング」していく監督やコーチ、そして保護者の支え。こういった要素が選手たちのモチベーションや総合的な力を確実に上げていくのだと感じています。
今大会は高校生の野球の全国大会が開催されてから100年目の記念すべき大会だと、テレビで数十年ぶりに「開会式」を観たときに知ったのですが、敦賀気比高主将の篠原くんの落ち着いて一言一言をかみ締めるような選手宣誓の中には「大好きな野球ができることへの周りのみなさんへの感謝の言葉」がしっかりと入っており、こちらも大いに感動しました。
 
さて、ティエラに通うみなさんは、目標に向かっての新しい年度のスタートを切りました。自分自身の向上心の元、あるいは家族の期待や願いを受けての「通う目的」を持ってのスタートです。

9回裏でのサヨナラや逆転劇を入試や進学時に見せるというより、自分の目標を「高く
掲げて、この1年で「どうやってそこに到達するのか」を先生たちと共有しながらスタートするような「逆算の思考」で春のスタートを切りませんか?
「先行型で確実にステップアップ! 節目節目を迎えるまでの「先を見越した生活実践!
「能開五訓」の中の「断じて中途でやめるな。中断はゼロである。」というフレーズを今一度みなさんと共有して、新しい道を「永く」歩みたいと考えています。