皆さん、こんにちは。
今日は先生の高校生時代のお話しをしましょう。
今から12年前のことです。
先生の高校は男女共学の公立高校でしたが、男子が女子の2倍いるという変わった高校でした。
部活動も変わっていて、野球部やサッカー部、理科部や茶道部のほかに「応援団部」というのがありました。
普通「応援団」といえば、運動会の前に集められたりするものですよね。
先生の高校の応援団部は部活動が「応援」なのです。
しかもこの応援団部には、学校から直々にいくつかの特権が与えられていて、試合の応援に行くといえば
学校を休んで良かったり、休み時間やお弁当の時間などにはどの教室であっても自由に出入りすることができたのです。
その代わりに夏でも黒い学生服を着て帽子をかぶり、足は裸足。どこに居てもすぐに分かる格好です。

お弁当の時間になると、よく応援団の団員が4~5人ドカドカッといきなり教室に入ってくるんですよ。
そして何をするかというと、ゴミ箱はきちんと分けて捨てているかですとか、先生が授業に来られる前に黒板消しをきれいにしているかとか、教室の後の個人棚にきれいに入れているかとかをチェックして回るんです。
1人でもできていなければクラス全員の連帯責任になって、いきなり「全員集合っ!」と低い怖い声で叫ぶんです。
バツは何かというと・・・「校歌を歌うこと」。実は先生の学校の校歌は4番まであって、全部歌うのは大変なんですよ。全員が間違えなくなるまで、何度もくり返されるんです。それまでお昼ぬき。
担任の先生は、「わが校の伝統だからな」と言って笑って見ているんです。びっくりしましたね。

しかも、教室と教室の間は渡り廊下でつながれているんですが、ここでちょっとでも土足をすると、なぜかどこからともなく「こらーっ!土足すんなぁ!」と叫び声がするんです。朝や放課後になると屋上から見ているんですよ。そしてあとで屋上に呼び出されて・・・校歌を歌わせられるんです。
そのためか12年経った今でも4番まで歌えますよ。

先生も初めのうちは「何でこんな先輩達にここまで言われなければいけないんだぁ!」と反抗していました。
ところがある時、気付かされる出来事があったんです。
ある理由で遅れて学校に行ったときのことです。みんなが授業を受けている間に登校していきました。
門をくぐって進んでいくと、渡り廊下を何人かのおばちゃんがモップで掃除していたんです。
別のおばちゃんはゴミ箱を水で洗っていました。
よく見ると校内にある購買部でパンや文具を売っているおばちゃん達でした。
手伝いましょうか?というとバカタレ早く授業に行けと怒られました。あなたたちが勉強に集中できるようにきれいにしておくからしっかり勉強して来いと、たまにしか話したことがないおばちゃんに言われてしまいました。
そこで先生は「しまった、やられたな」と思ったんです。

おばちゃん達は先生たちが勉強に集中できるようにとやってくれて、それを応援団が支えている。しかも・・・校歌も覚えられる?まぁ、校歌はあまり関係ないけど、そうやって自分の後始末を誰かがやってくれてることに、自分のことばかりでそれまでは気付かなかったけど、支えられてると思うと平気で汚せないし、頑張らないといけないよなぁと思ってしまったんです。
そう、やられたんよ。

だから夏祭りが終わったあと、自販機の横のゴミ箱にいろんな食べカスが捨ててあるのを見ると悲しくなりますね。
誰かが後片付けをしているのに、何てこころないことをする奴らだ!と怒ってしまいます。
学校でもいるかもしれません。自分勝手な人は助けてあげたくなくなってきますよね。

結局誰かに支えられているんだけど普段はあまり気にかけていなんだよ。
君たちもお家の方やまわりの人に支えられているからここに居る。
今、着ている洋服も買ってもらっていなければ自分で縫って作るか葉っぱを着ておくしかないよね。

みんなもたくさんの人を支えたり支えられたりする人になって欲しいと思っています。
今日、キミは誰を支えられるかな?大きいことじゃなくていいと思うよ。
身の回りのプリントの切りかすに注意したり、消しゴムで消す時に隣の人に気をつかうだけでもかなり違ってくるよね。
何よりもやった自分が気持ちよく過ごせます。
特に長く能開に通っている人は、周りの人に教えてあげて!
教えてもらった人は恥ずかしがらずにお礼を言ってね!
そうやって支えて支えられて、この教室に居る全員で志望校合格や夢をかなえようよ。
みんなで支えあって、気持ちよく勉強できて、みんな成績が上がるって最高だよね!

え?先生たちは何をするかって?
もちろん先生たちは、・・みんなの応援団ですよ!
厳しくチェックしていくからしっかりついて来いよ!さぁ、今日のスタートです!

こんにちは、能開小野田教室の佐藤先生です。先生のふるさとは熊本県の阿蘇です。正確に言うと阿蘇外輪山の南側外にあります。阿蘇の中心には活火山の阿蘇山があります。阿蘇山はその規模世界一といわれるカルデラ火山です。現在標高1,592メートルの阿蘇山は本当は標高 6,000メートルくらいあったであろうと外輪山の規模から推測されています。外輪山の中には先月7月の集中豪雨で大きな被害にあった町がたくさんありま す。外輪山の中、つまり火口のまわりに位置しその周囲を外輪山が囲っているわけですから、大雨の時は水が外へ出て行くのにどうしても時間がかかります。さらに周囲の山々は火山灰で出来ているので雨水に弱い。土砂崩れ、鉄砲水となって水の流れを妨げてしまいました。今回の過去に経験のない集中豪雨はとても大きな被害を阿蘇に引き起こしてしまいました。先生のふるさとは外輪山の外です。まだ帰っていませんが、たぶん大丈夫。でも北側の外に住む人たちは、中の人たち同様やはり大きな被害を受けたようです。

そんなことがあった阿蘇にまた今年もあるものがやってきます。それは「☆フェスタ」です。正確に言うとスター フェスティバルです。毎年8月中旬、阿蘇南外輪山の裾野で行われます。全国から(本当ですよ)たくさんの人たちがこの日を楽しみにやってきます。一夜限り の☆フェスタですが、みんな寝袋持って大集合です。なぜかって?それは阿蘇外輪山の大草原に仰向けに大の字に寝そべって満天の夏の夜空を一晩中見るため です。

熊本県には阿蘇山より高い山はありません。ちなみに先ほども書きましたが、阿蘇の高さ(正確には阿蘇五岳で一番高い高岳)は1,592メートル“ひご くに=肥後国(熊本県の昔の呼び名)です。語呂合わせでなく本当なのですよ。だからまわりに障害物は何もありません。空気はめいっぱい澄みきっています。 最高の条件で夏の夜空を見ることが出来ます。特に素晴らしいのは“ミルキーウェイ”そう天の川です。とてもよく見えます。運がいいと流星群を一晩中見るこ とができますよ(ちょっと大げさ!)。流れ星があまりにもたくさん見られるのもどうかとは思いますがね。広い夜空を眺めていると、遠い星達を見ていると、 なんか遠くにある自分の将来、夢を追いかけたくなる気分になってきます。そしてそこからユメがどんどん広がっていきます。

突然、話は変わりますが、土佐 (いまの高知県)の坂本龍馬が毎日桂浜から太平洋を眺めながら「くよくよしてたらいかんぜよ、でっかいユメをもたにゃいかんぜよ」と思ったように、またそ れを「春風や闘志抱いて丘に立つ」と高浜虚子が俳句に詠んだように、さらに無限に広がる夏の夜空を眺めているときっと君にも大きな夢が広がってくるんじゃないかな。

今年の夏、ぜひ夏の夜空を見上げてごらん。するときっと、きみに何かが?!

いま生活していて「本当に便利な世の中になったなあ」と思うことがたくさんあります。遠くに離れていてもすぐに連絡がとれる携帯電話、今のように小型でポケットに入れて持ち運べるようなものではなく、まるでショルダーバックのようなものだったと知っていますか? 知りたい情報がすぐに手に入るインターネット。メールを使う人もいるかもしれませんが、手紙でやりとりすることが当たり前だった時代もあるわけです。今までできなかったことや、できたら便利だろうなと思うことが、どんどん可能になっていく。すごいことですね。

いきなり話は変わりますが、ちょうどこの時期は世間一般的に言う「お盆」と言われる時期ですね。お盆休み、盆踊りなどとよく使われます。
そもそも「お盆」とはどういう行事でしょうか。

一般的には8月13日から15日(関東では約1ヶ月早いところもありますが)において、先祖や亡くなった人たちが苦しむことなく成仏してくれるように、供養する期間のことです。各地の風習などもあり、その期間の行事は様々のですが、基本的には先祖の霊が帰ってくると考えられています。
よく考えてみると、「母の日」「父の日」「敬老の日」など、自分より先に生きている人たちを大切にしましょうという行事やイベントが、日本だけではなく世界中で様々な季節に行われています。

普段生活しているとあまり考えることはありませんが、こういった行事が世界中で大切にされているのも、「自分たちのご先祖さまがいなければ、私たちは存在していない」という、今まで生きてきた人たちを想う気持ちから生じているからだと思います。
最初に話した便利な世の中も、一番最初にそれを発明したり発見した人がいなければ、それらが世に出ることはなかったわけです。
考えてみれば、みんなのお父さんやお母さんであったりおじいちゃんおばあちゃん、もっともっと前のご先祖様がいなければ、先生はもちろん、皆さんもこうしてこの世に生をうけて、お互いがこの場で出会うことはなかったでしょう。そう考えると、いま自分の周りにいる人たちといることが「当たり前」ではなく、「実は結構すごいことなんじゃないか」と思いませんか。

今を生きるにあたって、今までの歴史を築いてくれた人たちに感謝する気持ち、忘れてはいけないですね。

「むか~しむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。」で有名な日本昔話の代表作品「桃太郎」。この物語の主要な登場人物(?)を皆さんは知っていますね。もちろん「桃太郎」「猿」「雉(キジ)」「犬」ですが、この登場人物がなぜ「桃・猿・雉・犬」なのか疑問に思ったことはありますか。この理由には諸説あるのですが、その中の一つを紹介します。
では、その前にこの話をするための予備知識を書いておきます。
① 昔、日本では「十二支」で方向を表していました。

② 昔から、北東の方角(丑と寅の間なので艮(うしとら)という)を鬼門(鬼が出入りする方向)と言い、不吉な方向とされています。
③ 昔から桃には「邪気を祓う力」があるとされています。
この三つを頭に入れて読みながら考えてください。

さて、皆さんもご存じの通り「桃太郎」は鬼退治をする物語です。鬼は北東(艮)の方角からやってきますね。この鬼に対抗するために、反対の方角(南西)に目をやると、そこにいるのが未(ひつじ)と申(さる)なのです。そして、申の隣には酉(とり)、その隣には戌(いぬ)。もう分かりましたね。昔話の「桃太郎」に出てくる登場人物は、鬼に対抗するために「申」「酉」「戌」である必要があったのです。そして、さらには、桃太郎は「桃」である必要があり、「柿」や「瓜」ではだめだったのです。なぜなら、桃には「邪気を祓う力」があるからです。
どうでしょうか、こう考えると昔話の「桃太郎」がただの物語ではなく、ものすごく奥深い話に聞こえてくるでしょう。
このように、周りの何気ないモノに対して疑問を持つこと、そして、それを深めること、これができれば、おもしろいと思いませんか。勉強とは、本来こういうモノなのです。今、皆さんは講習会のまっただ中ですが、頑張って「ノートまとめ」をしていますね。このノートまとめ(参考書の利用)を、「疑問を持つこと」「深めること」のきっかけにしてみてください。きっと、今よりもさらに勉強が愉しくなりますよ!