勉強をしようと机に向かうものの、始めのうちはなかなか集中できなかったのに、時間が経つにつれて自分でも驚くほど勉強がはかどった経験はありませんか?
また、乗り気ではなかった部屋の掃除も気がつくと必要以上に細かい部分まで掃除をしていた…など。

これは脳の「側坐核(そくざかく)」という部分が深く関係しています。
側坐核は脳のほぼ真ん中、左右に1つずつにあります。
この部分が刺激されると脳内物質が分泌され、「やる気」を引き起こします。
しかし、この側坐核は「勉強を頑張るぞ!」「部屋を掃除するぞ!」と思っていても活発に動き出してはくれません。
側坐核は「実際に行動する」ことで活発に動き出し、一度働き出すとどんどんやる気が出てきます。
始めに書いたものも「実際に勉強や掃除をする」ことで側坐核が刺激され、やる気を引き起こし、そのやる気が継続することで想像以上の成果に繋がるのです。

やる気が出ないな、感じたときは「実際に行動する」ことから始めてみましょう。
そのあとは自然とやる気が出てきますよ。
最後にひとつだけ大切なポイントを。
実際に行動するときの始めの一歩は「ハードルの低い部分から手をつける」です。
最初からいきなり応用問題を解くのは大変ですね。
勉強も運動と同じでウォーミングアップが必要なのです。
例えば、その日1日の勉強計画を立てる・英単語を読む・昨日解いた問題の復習としてノートを見直す、などです。

皆さんのちょっとした行動が脳を活性化させ、やる気を引き出します。
試しにやってみて、本当かどうか確かめてみましょう。

みなさんは、世界一身長が高い国はどこにあるか、知っていますか?
アメリカ、カナダ、ロシア・・・いろんな国がイメージされると思います。
実は、その国はヨーロッパにあります。

それは、みなさんもよ~く知っている国、チューリップ・風車で有名な「オランダ」なんです。
オランダ人の男性の平均身長は182cmです。ちなみに、日本人の男性は170cmと、約10cmも差があります。少し驚いてしまいますね。
先生は、「世界一身長が高い国」と聞いて、つい「アメリカかな?」と思ったのですが、そうではありませんでした。多くの人にも「アメリカ=大きい」というイメージがあると思います。確かにアメリカに比べると、日本は小さな国です。広い土地、大きな家、大きいサイズの洋服に靴。平均身長も高く、人口も約2倍。しかも英語は世界共通語。
私たちがアメリカについて見るものの多くは「ビッグサイズ」です。だから、つい、1番はアメリカだとイメージだけで思ってしまったのですね。

英語を勉強することは当たり前のこと、むしろ、英語が話せないと“ダメ”だと言われる時代になってからもう何年もたっています。だからかもしれませんが、つい先日、こんな話を日本在住のある外国人の方から聞きました。

「私が道を聞きたくてコンビニに入ると、70歳くらいの店員さんが一人いました。『○○まで行くにはどうすればいいですか?』と尋ねると、その店員さんは大きな声で『I can’t speak English』と叫びました。私は、日本語で話していたのにです。そして、日本語で答えを聞きたかったのです。でも、その店員さんはそれを繰り返すばかりで答えてはくれませんでした。」

しっかりと相手を見て話を聞けば、外見は外国人でも日本語が話せることがわかったはずですよね。しかし、店員さんは相手の外見だけで判断をして、きちんと話を聞きませんでした。その外国人の方は、とてもがっかりされたそうです。

彼は最後にこうまとめてくれました。

「私の国ハンガリーは、日本よりも小さく、人口も少なく、ヨーロッパの中では身長も低い。でも、自分に、自分の国に誇りを持っています。逆に、日本の人は自分たちがダメだと思い込んでいる人が多いように思います。日本にはすばらしい文化があり、言葉がある。それなのに、アメリカばかりと比較している。だから『英語が話せないとダメ』だと思い、外国人を見ると英語で話さなければと思ってしまう。私の息子は、全く英語が話せないんです。でも、日本に来ると、やっぱり英語で話しかけられてしまいます。もちろん英語が話せることは大切です。でもそれよりも、もっと大切なのは、目の前の相手をよく見て、堂々と自信を持ってコミュニケーションをとることです。」

はっとした瞬間でした。

みなさんはこの話を聞いて、どう思いますか?

君たちは『 努力すれば結果がでる!!』と言われたことがあるだろう。
どうだろうか。努力をした分だけ常に結果がでているだろうか。

先生は、必ずしも努力したからといって結果がでるとは思っていない。
『努力』といっても、その度合いには個人差があり、期間的な違いもあるからだ。
では、結果がでないのならば努力しても無駄なのか。
部活動で試合に負けたからといって、練習していたことが無駄なるのか。
一生懸命考えて解いた問題が正解していなければ、考えた時間は無駄になるのか。
受験で失敗したからといって、挑戦したことが無駄になるのか。

努力をしていくことで何かしら学んだことがあるはずである。
成功して学ぶこともあれば、失敗して学ぶこともある。
むしろ、先生は失敗したほうが学びは大きいとさえ思う。
結果がでないことはあっても努力することが無駄になることは一切ない。

さらに、どんな些細なことであっても無駄な出来事はないだろう。
すべてのものごとには『学び』が隠されていて、どれも君たちを成長させてくれているはずである。
君たちには、誰よりも多くのことを経験し、誰よりも多くの『学び』に気付いて欲しい。
人間は学び、成長する生物。
人生に無駄はないはず。

みんなはよく「授業を受ける」といいます。
授ける、授かる という意味の「授」という言葉、よくみると「てへん+受ける」という組み合わせになっています。

手を使って(意識的に、積極的に) 受け止める姿勢こそが「授業」なのでしょう。
しかしおうおうにして、右側の「受ける」だけが大きい人がいます。

受け身で、ただぼんやりと聞いているだけ。これでは授業ではなく受業になります。
自分で調べたり、問題を解いたりしてから臨む。そうすれば、自ずと目は黒板に集中し、耳は先生の声をききのがしまいとし、手はノートに書き写すのに使われます。

以前、先生が教えた生徒の話です。
中3の男子でしたが、その子のノートを見てみると、英語の問題文も全て書き写し、当然日本語訳もして、それに赤ペンで書きこみがしてありました。公立模擬試験がはじまると問題文全部をノートに写して復習してきていました。それまでのテキスト予習でそうやって授業に臨むというくせがついていたから苦ではなかったそうです。長文や会話文の中の単語や用語や言い回しが、次のテストで問題として出るかもしれないから、ともいっておりました。その子は授業中に鉛筆を放すことはありませんでした。
社会の問題が延々とノートに書かれているのも圧巻でした。そういえば社会の重要用語というのは、あるときは問題で、あるときは答えででますね。

よくお母さんたちも「授業があるから能開に行く」というと安心されます。でも受け身の受業では何時間、何十時間参加していても身になりません。
手偏のほうが大きい「授業」で参加しないと意味がありません。思い当たる人がいたらこのゼミから変えましょう。

付け加えると、きく時も「門+耳」でなく「聴く」でいて欲しいと思います。
耳と目と心が全部がはいっていますから。

 みなさんは「慣れる」という言葉を聞いてどんなイメージを持ちますか。また、みなさんはどんなもの、どんなことに慣れていますか。
 一つ目は、身の回りにある道具や持ち物などに「慣れる」ことが挙げられます。「慣れ親しむ」、「使い慣れる」、「肌慣れ」などという言葉があります。みなさんも「使い慣れた勉強道具」というものがあるはずです。「このシャーペンは手にしっくりする」や「この参考書はどこに何が書いているのかほとんど分かる」という経験のある人もいるはずです。道具や持ち物であれば、「自分のものになる」ということが、「慣れる」という意味になると思います。
 二つ目に、勉強すること、その勉強の内容に「慣れる」ことが挙げられます。「机に向かって集中することが身につく」、「この計算問題だと自然と手が動く」という受験生もたくさんいると思います。また、「慣れ親しんだ問題」を目にすると、安心して解答できます。「もの慣れた分野」、「習熟度別問題」などというような表現もあります。勉強面においては「できるようになる」ということが、「慣れる」という意味になります。
 「慣れる」という意味を英単語1つで表現することはできません。小学生には難しいとは思いますが、英熟語であれば、“be used to”や“be accustomed to”と表現することはできます。また、「習慣」を表わす英単語には、“custom”や“habit”があります。「慣れること」という意味は、英語でも日本語でも一言で表現することが難しいようです。
 表現すること以上に、道具や持ち物、勉強することや問題に、「慣れる」ことはとても難しいことです。「自分のものになる」、「できるようになる」ために、絶対に必要なものは「時間」です。何度も繰り返すこと、たくさんの時間をかけることなしに、「慣れる」ことはありえません。春休みには、次学年の学習の取り組みがスタートします。春休みは、たくさんの「時間」を費やすことができるはずです。その中で1つでも多く、「自分のもの」を見つけて、新学期にそなえていきましょう。