世の中には興奮する事はいっぱいありますが、先生にとってその1つは間違いなくエベレストです。
先生は、小学生の時に遠足で普賢岳という山に年1回登っていた以外、登山の経験がない全くの素人ですが、この世界一の山だけは以前から気になって仕方がありません。

エベレストで興奮するところは、何といっても8,848メートルと言うその高さです。
これは飛行機の巡航高度 (8,000〜12,000メートル)と同じくらいの高さです。
すなわち、皆さんが頭上の飛行機を見上げたときの高さ、それがエベレストの高さなんです。
標高8,000メートル以上の地帯は、「デスゾーン」と呼ばれ、空気は地上の3〜4分の1しかありません。
そこでは、10キロ以上ある酸素ボンベがないと低酸素症となり生きていけません 。
平均気温は夏でもマイナス30度を下回ります。
モンスーンが近づくと風速50メートル以上の猛烈な吹雪となり、体感温度はマイナス60度にもなります。

そこを登る苦しさを、ある登山家は「マイナス50度の冷凍庫の中で、20キロの荷物を背負い、顔に枕を押し当てて、全速力で6時間以上走り続けるようなもの」と表現しています。
よく映像で登山家が 山の上をよちよち歩いている場面ありますが、そこには1歩ごとに想像を絶する苦しさがあるのです。

このエベレスト界隈で、昨年衝撃が走りました。
それはある遭難した登山家のミイラ化した遺体が、溶けた氷河の中から見つかったからです。
実はエベレストの上には遺体がゴロゴロ転がっています。
その数は100を越えるとも言われています。
エベレストのような極限状態では遭難者を救助する事は難しいです。
二重遭難といって救助に向かった人までが遭難してしまう可能性が非常に高いからです。
そのため、遭難者や遺体は回収されず放置されることが少なくありません。

しかし、今回その遺体に世界の注目が集まったのは、エベレスト登山の歴史を変える可能性があるからです。
現在公式に認められているエベレスト登頂に最初に成功した人は、オーストラリア人のエドモンド・ヒラリーとネパール人のテンジン・ノルゲイという2人です。
2人は1953年に登頂に成功しました。
(この2人についても非常に面白い話があるので、お話ししたいのですがここでは割愛します。)
しかし、この2人に先立つ29年前の1924年、エベレスト登頂に成功したのではないかと言われている2人がいます。
イギリス人のジョージ・マロリーとアンドリュー・アービンです。
ジョージ・マロリーは「なぜ山に登るのか」と聞かれ、「そこに山があるからだ」と発言をしたことでも有名な人です。

この2人はエベレストの山頂から500メートル付近のところにいた事は確認されています。
しかしその後に消息を立ち遭難しました。
問題はこの2人が山頂にたどり着いた後に遭難したのか、それともたどり着く前に遭難したのかと言う点です。

アーヴィンはその当時の最新機種であるヴェスト・ポケット・コダックという、コンパクト・カメラを持っていました。
もし山頂にたどり着いたのならば、記念撮影をしたでしょうから、カメラにフィルムが残されていれば、初登頂の決定的な証拠になるのです。

その、アーヴィンの遺体が見つかったことで、近くからそのカメラも発見されるのではないかと、注目が集まったのです。
残念ながら、現時点ではカメラの発見には至っていません。
しかし、捜索範囲は確実に狭まっています。
近い将来、そのカメラが見つかり、この論争に決着がつくことを先生は願っています。

このように、歴史には、不確定なものがたくさんあります。
教科書で習う歴史は、推論にしか過ぎないこともあるのです。
皆さんが普段から勉強する際、本当にそうなのだろうかと疑問を持って取り組むこと、そのことが皆さんの学習に厚みを与え、より充実した人生を送る手助けになると先生は考えます。

ちなみに、エベレストには素人でも登頂することができます。
ただし、お値段のほうも世界最高峰で800万円ほどかかるそうです。
これを読んでくれた人の中から、誰かチャレンジしてくれる人が出てくることを期待しています。

今年も「今年の干支は何でしょう」と問いかけると、「巳(へび)年です」という元気な声が返ってきました。
しかし、一部の生徒は「あっ」と気付いて考え始めました。
毎年、話すと覚えていてくれるものですね。
「乙巳(おつへび)!」惜しい(笑)、乙巳(きのとみ)です。

干支というのは、十干(じっかん)と十二支の組み合わせ、十干十二支を略した言葉です。
あまり聞きなじみがないと思いますが、十干は、中国の古代思想から考えられたもので、甲(こう)、乙(おつ)、丙(へい)、丁(てい)、戊(ぼ)、己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、癸(き)という10個の要素で構成されています。
日本独自の読み方では、きのえ、きのと、ひのえ、ひのと、つちのえ、つちのと、かのえ、かのと、みずのえ、みずのと、となります。
木、火、土、金、水は五行思想、えは兄、とは弟からきています。
十干が10通り、十二支が12通りあるのでその組み合わせは60通りです。
算数で習う最小公倍数の考え方ですね。
60通りですので一巡りに60年かかります。
60歳で還暦のお祝いをしますが、この還暦というのは干支がもとになっている考え方です。
生まれた年に還るから還暦なのですね。

歴史で習う“乙巳の変”の乙巳もここから来ています。
“乙巳の変”は“大化の改新”ともいわれますね。
蹴鞠(けまり)で親しくなった“中大兄皇子”と“中臣鎌足”が、談山(かたらいやま)で密談して、蘇我宗家を討ったあれですね。
ちなみに密談場所の談山のふもとにある談山(たんざん)神社には藤原鎌足が祀られています。
世界唯一の木造十三重の塔は一見の価値ありですよ。
そして、談山の奥にある御破裂山(ごはれつざん)には鎌足公の墓所といわれる場所があります。
墓所があるという以上に、名前のインパクトがすごい山ですが、「天下に異変が生じる時、御破裂山が鳴動して知らせる」、という何かの映画に出てきそうな言い伝えがあり、少なくともこれまでに53回、鳴動したそうです。
やばいですね。

さてその十二支の巳ですが、競争では辰(たつ)と同着の5番でしたが辰にゆずって6番になったそうです。
あのにょろにょろ進む巳が、空を飛ぶ辰と同着とはすごいですね。
それに地面をはって午(うま)、未(ひつじ)、申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)、亥(いのしし)に勝ったというのもすごいですよね。
ちなみに負けた動物たちにはそれぞれ理由があるそうです。
順に挙げると、午は道草をくっていた。
未は迷子になっていた。
申と戌は喧嘩をしていた。
酉はその喧嘩の仲裁をしていた。
亥は誰よりも早かったが、違う場所についていた。
といった感じです。
巳がこつこつがんばっていたら、ライバルたちがかってに負けてくれたといったところでしょうか。
なんだか考えさせられますね。

新年になると、何か新しいことをしたいな!と思うのですがみなさんはどうでしょうか?
先生は昨年から言語学に興味を持ち、時間があるときに気になることを調べています。
その中で一番好奇心がそそられたのは、幼い子どもの言語発達についてです。

突然ですが、みなさんは幼い子から「今日、とらのこが降るからはやく帰ろうよ。」と言われたらどう思いますか?
「とらのこって何だ?」ときっと大困惑することでしょう。
実はこれ、「今日は雹(ひょう)が降るからはやく帰ろうよ。」と言いたかったのです。
天気予報で「ひょうがふる」と聞き、ひょうと言えば動物、豹ってなにか虎と似ていたな、じゃあ虎の子だ!と考えたという成り行きでした。
とっても可愛い間違いですよね…。
「そんな勘違いありえないよ!」と笑っている人もいるかもしれませんが、おそらく幼いころに似たようなことを言っているはずですから、ぜひお家の人に聞いてみてくださいね。

さて、言葉というのは年齢を重ねていくにつれ、正しく使える数が増えていくものだと思います。
それではなぜみなさんは言葉が正しく使えるようになっていくのでしょう?
それは、わたしたち人間が訂正・修正を繰り返して学ぶことができるからだと思います。
かく言う先生も、言葉はどう使うのかといったことを語っていますが、幼い頃はとうもろこしを「とうもころし」と物騒な言い間違いをしていましたし、今でも自分の使っていた言葉の誤りに気付くこともあります。
(「準備万端」と「準備万全」って違うんだ!とか)

ただ、少しずつ心身が発達してくると、間違いが「恥ずかしいこと」「してはいけないこと」のような気がしてしまい、なかったことにしたり、放置したり、何か他のせいにしてしまったりしてしまいたくなります。
そこで、間違いを訂正していくことが成長に繋がることを心に留めていてほしいのです。
もちろん、いくら頭では理解していても実行することは生半可な気持ちでは難しいです。
しかし、その大変さ、面倒さを超えた先にある理解したときの気持ちよさを味わってほしい、学びの原動力としてほしい、そして、そのサポートができたら幸せだなと思っています。

秋は過ぎ去り、冬が本番を迎えつつある昼下がり。
いい加減運動せねばと思い、近所を散歩する。
いい天気だ。雲ひとつない。
遠くに見える真っ青な空と深い緑の山の境界線が好きだ。
たどり着ける訳もないのにそこへ向かって歩みを進める。
ふと、空と山の境界線に白い鉄塔があるのに気づく。

そう言えば、あの鉄塔はどうやって建てたのだろう。

トラックが通るような道があるようには思えない。
まさか人の力で運んでいるのだろうか?
それに鉄塔と鉄塔の間を結ぶ電線はどうやって張ったのか?

次々に浮かぶ疑問と一緒に散歩を続ける。
ふと、目の前に「〇〇の宿跡」と彫られた石碑が現れる。

宿?
ここには昔宿があったのか?
温泉か?温泉があったのか?

温泉に行きたいな。
寒くなってきたな。
帰ってお風呂に入ろう。

湯船につかりながら先ほどの疑問を思い出す。
なぜ?どうして?どうやって?
だめだ、お風呂になんて入っている場合じゃない!

どうやって山の上の鉄塔を立てるのか?
建設場所まで行くための道路を作って資材を運んだり、ヘリコプターを使ったりして運ぶ。
送電線もヘリコプターと地上の作業員との協力で張る。
資材の材質や塗装の色、作業方法の一つ一つに工夫がしてある。すごい。

「〇〇の宿跡」とはいったい何?
昔の街道沿いにあった休憩のための宿。場所によっては峠を越えるための準備をする場所。
街道で有名なのは五街道「東海道」「中山道」「甲州街道」「奥州街道」「日光街道」。
街道は人や物資が行き来するために整備された道のこと。五街道は参勤交代にも用いられた。
街道は日本各地にあり、中でも長崎街道は別名「シュガーロード」とも呼ばれる。
出島を通じた貿易で当時貴重だった砂糖が大量に長崎にもたらされ、街道を通って長崎から佐賀を通り、福岡まで砂糖が運搬された。
このとき街道沿いに砂糖や砂糖を使った菓子作りの技法が伝わり、カステラや丸ぼうろなどの有名なお菓子が生まれた。なるほど。

普段気にも留めない目の前の光景にも、必ず意味や歴史が存在する。
誰かが言った。
「知識を増やすことは、世界の解像度を高めること」
知れば知るほど世界はより鮮明に、より深く、より広がっていく。

知るためのスタートラインは疑問を持つこと。
なぜ?どうして?と感じることが、あなたの世界を広げるきっかけとなる。

今年も残りわずか。
来年もあなたにとって世界が広がる1年となりますように!

そう願いながらこの文章を打つ手が止まる。
キーボードの配列はなぜこうなっているのか?

夏の暑さがうそのように涼しくなり、あっという間に寒くなりましたね。
夏の暑い時期は、ちょっとした移動もおっくうで、クーラーのきいた電車やバスに乗ったり、すぐに車を使ったりしていましたが、歩きやすい季節になったので、運動不足解消もかねてなるべく歩くようにしています。
最近は、目的地に向かってただ移動するだけでなく、ちょっとした脇道があると、「そこに入ってみよう」と、知らない道にドンドン入っていくようになりました。

普段は絶対に通ることのないみちをぶらぶら歩くと、いつもは気づかなかったことをたくさん発見します。
先生が住んでいる長崎は坂の町なので、本当にこんなところまで家があるのか!という山の斜面まで家がびっしり並んでいます。
車は入ることのできない細い路地なので、ゆっくり歩くことができますし、猫もよくいます。
こんなところに小さな公園がある!裏道の小さなおにぎり屋さんのおにぎりがめちゃめちゃおいしい。
歩かないと気づかないことはたくさんあります。
階段に白いペンキが塗っていますが、暗くなった時に見やすいように塗っているのだそうです。
階段を上っていくのはものすごく大変ですが、ふと振り返るとものすごくいい景色が広がっています。

タイトルの「さるく」ですが、「さるく」とは、長崎の方言で「ぶらぶら歩く」という意味があります。
ぶらぶら歩くことは、一見、意味のないことをしているように思えるのですが、思わぬ発見があるのが「さるく」なのかもしれません。

みなさんの勉強もそうではないでしょうか。
英語がきらいな人は「自分は外国になんか行かないから、英語はいらない!」数学や算数がきらいな人は「計算ができなくても電卓やスマホがあればかわりにやってくれるし…。」社会がきらいな人は「もう死んでしまった人がやったことを覚えて何の意味がある?」なんて言っていませんか?
確かに意味のないことなのかもしれません。
目的地に向かわず、ぶらぶらしているのが勉強かもしれません。
だからこそ、その中に隠れている大切なことを見つけるチャンスが転がっているかもしれませんよ。

みなさんも「さるく」してみませんか?

12月に入り、空気が一段と、ピリッと冷たくなってきた気がします。
あまりの寒さに、外出するのも億劫になりそうですが、外を歩くと、イルミネーションが目を楽しませてくれますね。
最近では目を見張るような装飾も多く、キラキラ輝く街並みを見ていると、なんだかワクワクしてきます。
みなさんは、このイルミネーションの起源を知っていますか?
いろんな説があるそうですが、最も有名な説の一つは、18世紀のドイツに遡ります。
マルティン・ルターという人(宗教改革をした人。社会で習った人もいますね。)が、クリスマス・イブのミサの帰り道、森の中で見た星の煌めきに感動して、子供たちに見せたいと木にロウソクを飾って再現しようとしたのが始まりだそうです。
その後、電球を使用して飾りつけをしたのは、ご存知エジソンなのだとか。

昔から人の目と心を惹きつけるイルミネーション。
暖色系の光は喜びを感じさせ、寒色系の光はリラックス効果をもたらす、というのは知っている人もいるかもしれません。
さらに光の点滅や変化による視覚の刺激と、家族や友人との共有体験が合わさって、幸福感をもたらしてくれるそうですよ。

さて、このイルミネーション、ある場所では準備に1年を費やすそうです。
テーマを決め、コンセプトを練り、光を調整するために明るさを100%から0%まで試して修正を重ねていく。
また、周囲とのバランスを考え、見え方や点灯、消灯の秒数まで、妥協なく労力を費やします。
当然、試験的に点灯するためには人がいない真夜中まで作業する必要も出てきます。
きれいなイルミネーションの裏に、こんな苦労が隠されていると考えると、何気なく見上げていた光も違って見えそうですね。
だからこそ綺麗なんだ、とも言えるかも。

さあ、これから冬行事の季節です。
イルミネーションにも負けない輝きを放てるように、努力を惜しまず頑張りましょう!未来を照らす冬になりますように。

「Doubt is the father of invention(懐疑は発明の父である)」という言葉を知っていますか?
これは天文学の父として有名なガリレオ・ガリレイの格言です。
ガリレオは天文学の他にも数学・物理学・哲学など多くの学問で功績を残しており、先生が尊敬する偉人の一人です。

天文学は、ここ日本では「第Ⅰ期(古代~江戸時代)」と「第Ⅱ期(明治以降)」に大きく分かれます。
第Ⅰ期は中国から伝来したもので、農耕のための暦の作成や、平安時代には政治の世界にも活用されていました。
映画化もされて有名な陰陽師の活動とも関係が深いものだったようです。
一方、第Ⅱ期は西洋の影響を受けました。
江戸時代初期に宣教師を通じて伝わってきたものの鎖国状態だったため風化していったのですが、江戸時代中期に徳川吉宗の普及活動や伊能忠敬らの功績により幕末から明治にかけて発展していきました。

余談ですが、昔は特異な天体現象は人々にとって脅威とされ、ハレー彗星が怪物のように恐れられた例もあったようです。

話をガリレオに戻しますが、ガリレオは、当時主流だった地球を中心に宇宙が回っているという「天動説」に対し、太陽を中心に地球やその他の惑星が回っている「地動説」を木星や金星などの観測から実証して発表しました。
しかし、この考えは異端とされ、ガリレオは宗教裁判にかけられました。
当時はキリスト教が掲げる「天動説」が信じられていて、ガリレオの「地動説」はありえない発想だったのです。
ガリレオは有罪判決を受けたあとも、最後まで「地動説」の正しさを唱え続け、「それでも地球は回っている」という有名な言葉を残して亡くなったと言われています。
ちなみに、キリスト教がガリレオの「地動説」を公式に認めたのは2008年になってからで、ガリレオが亡くなってから400年近くもかかりました。

さて、先生が最初に挙げた、ガリレオの「懐疑は発明の父である」という言葉ですが、これは、「あらゆる事象に疑いを持ち探求することで、新たな発見が得られる」ことを意味しています。
ガリレオは、“なぜ天動説に疑いを持てたのか”。
これは、まずは「天動説」という基本となる考え方を誰よりも深く理解していたからこそ、様々な観測データをとるうちに様々な疑問点が湧いてきたためです。
皆さんの学習も同じです。
これから新しい発見をするためには、まずは基本となる現在の知識をしっかりと学ぶ必要があります。
それこそが学校の勉強であり、今ゼミで学んでいる事です。
それがあるからこそ疑問点が生まれ、新たな発見に繋がっていくのです。
つまり皆さんがいま取り組んでいることは、目の前の受験のためだけではなく、将来に直結しているのだと認識して取り組んでほしいのです。
それを継続して行うことが、皆さん一人一人の新たなる発見に繋がるはずです。

それでは、今日も偉大な先人たちに追いつけるように、たくさんの知識を一緒に身につけていきましょう!

今年もあと1ヶ月あまりとなりました。
能開の教室は北から南までありますので、まだ寒くない地域、雪景色になっている地域など様々かと思います。
さて、みなさんは宇宙の年齢を知っていますか?
宇宙の年齢は様々な観測データを組み合わせて出された結果、138億年といわれています。
人間の一生が仮に100年としてもその年月は途方もないような時間に感じます。

ところで、どこの家にも一つはあるであろう「トランプ」(アメリカの新大統領でありません)は、52枚から成ります(ジョーカーを除く)。
この52枚のトランプの並び方のパターン数と、宇宙が誕生してから経過した秒数では、どちらの数が多いと思いますか?

答えは、圧倒的にトランプの並び方のパターン数の方が多いです。
まず、トランプ52枚の並び方のパターンは、52×51×50×・・・・×2×1となります。
実際に計算するのはやめましょう。
これは計算すると68ケタの数となります。
片や宇宙の年齢を秒に換算すると138億年×365日×24時間×60分×60秒=435196800000000000秒で18ケタとなり、68ケタの数 対 18ケタの数で、トランプの方が圧倒的に多いことになります。

身近に宇宙にも勝る数値が潜んでいるのは考えると不思議でワクワクしますね!
勉強の合間にゲームやYoutubeもいいですが、ちょっと興味のある本を開いてみるのも新たな発見があっていいかもしれませんよ。

みなさんは「箱根駅伝」を知っていますか?
毎年1月2日と3日に開催される関東の大学駅伝で、お正月の風物詩にもなっています。
東京から神奈川県の箱根・芦ノ湖間を、往路5区間(107.5Km)と復路5区間(109.6Km)、合計10区間(217.1Km)で競われます。これは学生駅伝では最も長い距離です。

箱根駅伝に出場できるのは関東圏の大学で、「前年度の上位10校」と「予選会を通過した10校」、それに「関東学生連合チーム」を加えた21チームです。
箱根駅伝には、11位以下になってしまうと、次年度は予選会から参加しなければならないというルールがあります。
そして、その予選会で10位以内に入らなければ、箱根駅伝には出場できません。
予選会は毎年10月に行われ、40校近くが出場枠を争います。

予選会では、各大学の10~12人がハーフマラソンのコースを一斉に走り、各大学の上位10人のタイムを合計して順位を競います。
10人の合計タイムで決まるため、走り終わっても予選を通過できたかどうかはすぐにはわかりません。

今年の予選会は、雨上がりの蒸し暑さに加え、容赦ない強い日差しがふり注く過去最悪のコンディションで、波乱が続出しました。
フラフラで今にも倒れそうなランナーたちをテレビで観ていて、何度も声が出そうになりました。

予選会が終わり、いよいよ運命の結果発表の時・・・。
発表は「結果発表ボード」に、第1位の大学から読み上げ・開示されていきます。
「第1位 立教大学 記録10時間52分36秒」
次々と箱根の切符を勝ち取った大学が呼ばれ、そのたびに大きな歓声が上がります。

9位まで呼ばれて、箱根駅伝に出場できるのはあと1校だけ。
「第10位 順天堂大学 記録11時間1分25秒」
その瞬間、順天堂大学の選手たちは抱き合って喜びを爆発させました。私も感動で鳥肌がたちました。

その後、第11位が読み上げられました。
「第11位 東京農業大学 記録11時間1分26秒」
10位と11位のタイム差は、なんとわずか1秒。
東京農業大学の選手たちは泣き崩れました。
たった1秒。しかし、それはとてつもなく大きな1秒でした。

勉強にも同じことが言えると思います。
1点でも多く!1問でも多く!これを生み出すことは決して簡単なことでないですよね。
しかし、日々の積み重ねによって叶えられると私は信じています。

だからといって、毎日全力でガツガツ頑張り続けるのは難しいでしょう。
小さくてもいいんです。
積み上げていってください。

今日の積み上げが「0.001点」「0.001問」でも構いません。
未来の1点・1問に必ずつながっていきます。

昆虫少年だった伸一君(だれだろう?)は、日々、蝶やカミキリムシの採集に夢中でした。そしてもちろん、将来は大好きな昆虫を研究して、生物学者になるつもりで大学に進学しました。
しかし、昆虫の研究の多くが「害虫」、つまり人間にとって迷惑な虫をどう駆除するかというテーマが中心。
農薬の研究なども多く、結局は大好きな昆虫を殺すための勉強ばかり。
伸一君はあっさり挫折してしまいました。

そこで、当時脚光を浴びていた「生命とは何か?」というテーマをミクロな視点で研究する分子生物学に挑戦することにしました。
厳しい研究の末、彼はついに新しい遺伝子細胞を発見!(やったね、伸一君!)
彼は、この遺伝子が生き物にどのような情報や役割を持っているかを実験で確かめることにしました。
実験方法は、発見した新しい遺伝子細胞をネズミから取り除き、その後の変化を観察する、というものです。
ネズミに何かしらの異常が現れれば、遺伝子の役割が見えてくるはずです。(すごいね、こんな方法を考え出すなんて!)

伸一君が発見したこの新しい遺伝子は「GP2」と名付けられました。
GP2を取り除いたネズミを育てるのにまず3年かかりました。(おーーー!)
その後、GP2を欠いたネズミを毎日観察。
しかし、ネズミはすくすくと健康に育ち、子どもまで生まれました。
「なんでなんだ~!」 ネズミは健康そのものです。

この頃の生物学の世界では、生物も機械のように考えられ、一つ一つの細胞もパソコンの部品のようなものと同じだと捉えられていました。
だから、どこかの部品がなくなれば当然、不調が起こり壊れてしまうはずだと考えられていたのです。
「なぜネズミは平気で元気なんだ…うーーーー?」
伸一君はまたも大きな挫折を味わいました。

けれども、彼には新たな考えが生まれました。
長い年月をかけて生き残った遺伝子細胞がなくなっても何も起こらないということは、もともとの考え方が間違っているのではないか?
そうして彼は、当時は忘れ去られていたシェーンハイマーという100年前の学者の言葉を思い出しました。
「生命は機械ではなく、流れである」という言葉を。

その後、伸一君は、生物にとって食べ物は車のガソリンのようなものではなく、体は常に自らの細胞を壊しながら、食べ物を取り込み、新しい自分を作り直していることを知りました。
すごいね。
特に新しく入れ替わるのは胃や腸などの消化器官の細胞で、早ければ1か月で入れ替わるのです。
人間全体も1年もすればほとんどが新しい細胞に入れ替わるそうです。

そして、生き物は(僕らも)何かを失っても他の部分で補い、常に細胞を入れ替えながら、絶妙なバランスを保って生き続けているのです。
これを「動的平衡」と呼ぶそうです。

昨日の自分は、厳密には今日の自分とは違うわけです。
僕らは日々自分を壊し、新しく作り替えながら生きているんだね。
すごく気持ちいい話だと思わない?みんなはどう感じるかな?

※伸一君についてもっと知りたい人は、ネットで調べてみてください。
【福岡伸一先生】